NISHIMOTO

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7/13/2024, 12:12:45 PM

 ぐわりと口を開くと、歯列や赤い舌が一瞬覗く。そのまま勢いよく噛みつけば、バーガーから垂れたソースが彼の手を汚した。眉間に皺が寄っている。不快なのはよくわかる。
「……なんだ。僕は間違っているのか」
「いいや、まったく。ジャンクってのはそういうことさ」
 紙ナプキンを差し出せば躊躇してから受け取り、口元と手を拭う。丁寧な仕草だった。
 バーガーは実に見事なサイズ。一口が大きいわけではないから彼の咀嚼は短いし、本来ならナイフとフォークを持つ手が指を重ねてバーガーを零さないよう頑張っていた。小動物然とした振る舞いと呼んでいいのか。伝えたら怒るだろうから、思うだけ。初めて食べるハンバーガーはお気に召したようだ。
 ふたりそれぞれの、これまでずっとそうしてきたモノがぶつかって、こちらが譲ったり、あちらが譲ったりを繰り返してきた。譲る時は楽しい。譲られる時は嬉しい。ナイフ一本分、フォーク一本分、相手の隙間に入れてもらえた気分になる。
 家に招かれた時、そう告げたことを思い出した。丸ごと人ひとり分、入れてもらえたから。向こうは納得して、こちらは妙な顔をして、ふたりして恥ずかしがった思い出。
「僕から見た話だが」
「うん?」
 ようやく食べ切ったあと、彼らしく、汚れていない一番外側の紙包みを綺麗に折りながら視線だけを寄越した。
 折り紙はやがて妙な角度の鳥を経る。慣れてしまえば自己流で楽しむ人。頭の中ではすでに完成形が美しい指に造られるのを待ち望んでいるのだろう。
 晴れた空の下のパラソル、またその下の二人組にお似合いの夏鳥が現れた。鳥は彼の手を離れてこちらのスペースに届く。それは彼の故郷にいる鳥。
「君がそうやってあからさまに喜ぶものだから、譲歩してしまうんだ。そうしなくとも。僕らの文化が一分たりとも混じらずとも、安心できる関係性を目指すべきだと思うが」
「……」
「譲りっぱなしは性に合わない。その鳥の分だけでも、君の心に住まわせておけ」
「……うん」
 背中がやけに暑くて、熱くて、顔も真っ赤になってしまっていたら、どうしよう。どうしてくれよう。
 わずかに震える指が鳥を拾った。
 家の中に飾るものは無い。これまでずっとそうしてきた中に、今日、折り紙の鳥を浮かせる。きっと彼を招いて「上等な紙で折り直してやる」と言われる日が来るだろう。それがひどく待ち遠しかった。

7/3/2024, 3:13:30 AM

 師匠曰く、「見たくもないものを見た」らしい。
「古今東西、魔法使いなんてものは陰気で厭らしい奴らなんだ。なのにどいつもこいつも楽を取って空を飛びたがる」
 はあ、と気の抜けた返事をしたら、師匠はギロリと鋭い眼光で睨みつけてきて、舌打ちを一つ落とした。途端に俺の箒がぐわんぐわんと揺れるものだから、(なるほど、陰気で厭らしい!)と柄にしがみつく。
 師匠の立派な馬車と比べると、俺の箒は実に貧相。掃除用具に紛れて置いていても違和感はないだろう。しかし箒の彼とは相棒と呼べるほど共にいるので、俺以外に操作されて酷く不機嫌なのが伝わってくる。
 俺としては師匠に怒ってほしいのだけど、箒一本で挑んでも、馬車の御者が鞭を一振り、それでおしまいだ。宥めるように何度か撫でて、ようやく元の位置、師匠を隠すカーテンの横に戻ることができた。重たいカーテンが少し揺れると、さらに師匠の重たい瞳が見える。相変わらず弟子に厳しい人だった。
 馬車には派手な装飾があるが、全体が黒、装飾も輝きを塗りつぶした黒なので、遠目に見れば何とも判別がつかないだろう。師匠の趣味に合わせて俺のローブも黒い。頭上は分厚い雲が覆っているし、陰気を象徴するように静々と空を飛び行く。
 けれど。馬車とは反対側、遠くの空を見遣った。曇天から降り注ぐような日差しが、みっつよっつと差し込んでいて、眼下、街にぽっかり明るい穴を穿つ。人間の中ではあれが宗教的意味を持つことも納得できる美しさがあった。明かりを通さない静謐へ、剣が刺す。動乱が始まる予感がする。
 見れば見るほど肌が粟立つけど興奮も治まりはしない。俺はあちらも飛んでみたかった。箒の彼だって自由に遊べたら楽しいだろう。前方不注意、蛇行運転になってしまっても、馬車にさえ当たらなければ楽しめてしまう俺たちだった。
 師匠はぽつりとこぼす。
「……僕にだってそういう時があったさ。日差しの元に何があるか、知らないうちは楽しめるんだ」

12/7/2023, 12:56:27 PM

 部屋から部屋へ移るときのちょっとの段差。ちょうど良いからと腰掛けるともう動けなくなる。片手が洗濯物を選んだまま、かごの縁を止まり木にしていた。
 隅っこで小さな存在になると、自分が人間でない気がしてくる。寝て起きたら、鳥から人間に生まれ直せるのだけれど、干してから寝なければならない。
「どうしたの」と同居人が脇に腕を差し込んできた。揺るぎない力でゆっくり立たされて。
「ちょっとね」
「うん」
「ちょっと、鳥にね、なってみたかっただけ」
「ふうん」
ふたりで洗濯物を干し終える。カタンと音を立ててかごを片付けて、ごめんとつぶやいた。
「夜だからね」
物音ではなく、手伝わせたことへの謝罪だったんだけど。まあいいかと思った。自分だって手伝って謝られると居心地が悪い。
 ふたりで布団に入った。
 真っ暗な部屋は隅がどこかもわからない。体の大きさも、文鳥か、人間か、鷲か、烏か、わからない。慣らした目を開く気にもならない眠気が酷くて、あくびと一緒におやすみを告げた。これっぽっちも起きていられそうになかった。
 返事より先にもぞもぞと向こうの布団山が動く。
「あたしは   が良いや。おやすみ」
朝、鳥の名は思い出せなかった。

12/5/2023, 12:40:26 PM

布団の中に居る。暗い方が好き。アラームをかけたスマホを充電コード繋いで、伏せている。大食いの子と一緒に眠るため。
目をつぶる。眠気が来るのを待つ。
同居人の寝返りの音。遠くの部屋から伝わる赤子の泣き声。わたしが体の向きを変える。
なんとはなしに目を開ける。
木目を読む。
天国と地獄のあみだくじをする。
神と仏の分断線を夢想する。
日々。変わり映えのない、なんてことない日々で、眠れなくなる。
明日、図書館に行こう。寄り道せず閉館時刻に間に合うように。そうと決まれば宗教の本はどの棚にあったか思い出さなきゃならない。
スムーズに借りて、家で読む。
何度かシミュレーションし、暗闇の中の翌日のわたしが、暖かい格好で読書するのを眺める。
それがあんまり鮮やかな穏やかさだったので、夢だなあと気づいた。

10/11/2023, 12:28:26 PM

 「お花が良い」と言って譲らないので、そうした。何が良いのか聞いても子は泣いて答えられなかった。もう売り場の布を引きちぎる勢いだったから買った。いま、子供部屋の名残はそれだけで。
「新居のカーテン決めるんだけど。花柄にするの、良くない!?」
わたしは思わず、今日にでも買いに出掛けそうな子を見遣った。ゆっくり紅茶を飲むわたしと違って、空のカップは遠ざけて薄いカタログを広げている。同じような柄を探して掲げ、違うなとこぼす。
「絶対良いよ、朝さあ、透けてさあ、綺麗でさあ。俺、あれ好きだし。楽しみ」
 はて、あの歳で売り場の照明の下、そこまで想像できるだろうか。別の場所でその光景に憧れたのだろうか。
 ずっと昔の、カーテンとして掛ける前の布を、目いっぱい抱き込む姿が蘇る。わたしの知らないどこかでうつくしいものを知り、生活に加えた小さな子が。
 以降わたしの方が、あなたが選んだのだからと大切にしていた気がするそれが、報われたと感じた。小さな子の願いを解き組み立てる時は長い安穏を予感させる。過去なら己の徒労に愛を見出す。
 引っ越しに忙しくて欠かした緩やかな時間を取り戻したようなひとときだった。
「そうだったのか。初めて知ったよ」
 だのに、子というと。あんまりにも昔のことすぎて売り場の出来事なんか覚えていないようで、「父さんのお気に入りなんでしょ? 流石に持って行けなくてさ」と笑った。
 数秒、目を瞑って息を吐く。覚えてなくとも良いのだと諦めるには思い出に浸りすぎていたので、わたしは黙ってカップに口をつけた。
 またひとつ、息を細く吐き出して、笑顔を作る。
「……持って行って良いよ」
「本当!? やった!」
まあ、例え泣いて縋られても可愛いものだが。

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