ナミキ

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8/19/2023, 8:47:42 AM

/鏡/

僕は鏡に映らない。
水溜まりとか写真とかには映るけど、鏡だけ。よく分からないけれどそういうものらしい。
周りの人達は当たり前のように僕を受け入れていて、身支度の時大変だね、とたまに同情されるくらいで至って普通に暮らせている。
そんな周囲をありがたく思いながらも、同時に僕は軽蔑していた。そして直ぐに自己嫌悪に陥る、いつものパターンだ。

僕以外の全てが映る鏡。
異端を受け入れてくれる周囲。

優しい世界の筈なのに全てをめちゃくちゃにしたかった。誰に何を言っても変えられない日々から逃げたくて、鏡に向かって手を伸ばす。当然のように、鏡に映ることも、まして鏡の中に入ることも出来やしなかった。
手が鏡に触れた時にたてた小さな音だけを、手繰り寄せるしかなかった。

8/18/2023, 9:59:21 AM

(もう4年経つんだ)
動かなくなった時計を腕にはめた。普段は部屋の飾り棚に隠れるようにして置いてあるそれは、私の腕によく馴染んだ。動かなくなった4年前まで毎日のように着けていたのだから、当たり前なのかもしれない。

中学生の時に、千里ちゃんが誕生日プレゼントにくれたのだ。当時の私にとって、中学生が腕時計をプレゼントって結構凄いことで。間違いじゃないか、本当に貰っても良いのか、千里ちゃんに何度も確認をした。
千里ちゃんは大笑いしながら「貰って貰って。だって一番の友達じゃん」って言うものだから、私は思わず抱きついてしまった。

私と千里ちゃんは一番の友達。
千里ちゃんが県外に出た4年前から、私は自信を持って言うことが出来なくなっていた。
関係を絶っている訳では無いけれど、もう随分と千里ちゃんから連絡は来ていない。私からメッセージを送ることもあったけれど当たり障りの無い会話で終わるのが何故か妙に苦しくて、あまり頻度は多くない。
(なんでこうなっちゃったのかな)
距離が離れるだけで、こんなにも関係が変わるとは思っていなかった。
千里ちゃんは今が楽しいんだと思う。
私を過去にした千里ちゃんは見る目が無いと思う。
私も、私だって今を生きているのに。

腕で顔を覆う。腕時計がおでこに当たり、その冷たさが伝わった。
(違う。分かってる)
千里ちゃんも、そして私も、多分悪くないんだと思う。だから、何も出来ない。
「……動かないかなー」
腕で顔を覆ったまま、独りごちた。願いはきっとシンプルで、ただ動いてほしいだけだった。


/いつまでも捨てられないもの

8/13/2023, 2:43:01 AM

/君の奏でる音楽/

従姉妹の菜子ちゃんが音楽を辞めた。
「そろそろ働こうと思って」と、所属していたバンドを抜けたらしい。私の10個上だから、29歳。考える年齢なのかな、と私の未来に置き換えて少し考えた。けど、それでも私は音楽を続けて欲しかった。

その菜子ちゃんが、私がバイトしているカラオケ店にやってきた。正直なところを言うと、もうそれだけで私は凄く安心した。 歌うことの好きな菜子ちゃんがまだそこに居たから。でも、欲が出た。
この時間に私が働いてるとは思わなかったのか、一瞬しまったという顔をして踵を返した菜子ちゃんを捕まえることに成功した自分を褒めたい。代理でバイトに入っていて運が良かった。
そして運が良い私は、菜子ちゃんの歌を一曲聴く権利を得た。「一曲でいいから!お金払うから!」と縋った私は相当うるさかったと思う。必死さを憐れに思ったのか、渋々了承してくれた菜子ちゃんは優しい。お金はしっかりと辞退された。

シフトはもう終わる時間だからあがっていいよと店長が声を掛けてくれて、すぐに菜子ちゃんのいる部屋に行くことが出来た。
「光、ホントに一曲だけだからね?もう夜遅いんだから聴いたら帰るんだよ」
「うんうん、分かってる」
イントロが流れる。この曲は、死んだ恋人を想うしっとりとしたバラードで、私の好きな曲だった。
「前にこの曲、光が好きって言ってたから」
マイクを握った菜子ちゃんは「私も好きなの」とちょっと笑って、歌い出した。

もっとステージで、沢山の観客の前で、歌う菜子ちゃんを見ていたかった。でもそんなの菜子ちゃんが一番思っていたに決まってる。
カラオケルームは狭くて、観客は私だけ。いや、元々観客は居なかった。どういう思いでカラオケ店に来たのか、知る権利は私には無い。

最後の一音まで丁寧に歌い切った菜子ちゃんは、マイクのボタンをカチッとオフにした。
やっぱり菜子ちゃんはすごかった。
「アンコール、アンコール」
「絶対言うと思った……」
昔から2人でカラオケに行ったらそうだった。お決まりのノリって菜子ちゃんは思ってるけど、いつだって私はその時まだ聴きたいと思ったから言ってるだけだ。
「ね、ね。アンコールだからオマケでもう一曲」
「ばか」
とすん、と私の横に座った菜子ちゃんが私に全体重を預けて寄りかかってきた。多分結局のところ、また菜子ちゃんは歌ってくれる。菜子ちゃんは優しくて、私はずるいから。
この言葉が呪いになってるのか、救いになってるのか、はたまた特に重みは無いのか。菜子ちゃんの表情からは読み取れない。
でも例えばこれが呪いの言葉だとしても私は歌を求めるだろう。菜子ちゃんを苦しめるとしてもだ。
私がアンコールを待ち望んでるって、貴方の歌が好きだって、知っていて。


8/11/2023, 11:50:37 AM

「だってさ、難しくない?」
「分かる」
私たちは、麦わら帽子を持っていない。雑貨屋に売られていたそれを見て、そんな会話が始まった。
「普段使いできる人は上級者だなって思っちゃう」
「被るとしたらやっぱり海とか?夏って感じの場所に限定されるよね」
「ねー」

だけど、可愛いな。そう思っているのは彼女も同様なのか、麦わら帽子から目を離さない。かと思えば、麦わら帽子を両手で掴んでそのまま私の頭に被せた。びっくりして思わず、わっと声が出る。
「あ、サイズぴったりだね」
彼女自身も片手でひょいと色違いのそれを頭に被せており鏡を見て「私似合う」と自画自賛していた。
もう、と私は呆れながらも釣られて鏡を見る。
そこには夏があった。
「……」
少しすると彼女は「よし」と言って、今度は私の頭から麦わら帽子を取っていった。そのまま陳列棚に戻すと思ったのに、2つ抱えてレジのある方へ向かうものだから慌てて追いかける。
「え、ちょっと」
「つまり、」
分かったよね?と言わんばかりに偉そうに振り返った彼女は、私の目を捉えてニッと笑う。
「一緒に海に行こ!ってこと」

また歩き出した彼女の機嫌のよさそうな後ろ姿を見て、一瞬呆ける。そんなの私だって。
スタスタと早足で横に並び、彼女を肘で小突く。
ぎゃあ、と笑ったその腕から麦わら帽子を1つ抜き取って、同じ台詞を言ってやった。


/麦わら帽子/

8/11/2023, 12:05:09 AM

/終点/

その電車で私と彼はいつも終点まで乗っていた。
終点にあるのは彼の家。私の家はその3駅前。
それなのに私が最後まで乗っていたのは、彼と出掛けた帰りはいつも「もう少し一緒に居ようよ」とどちらからともなく言い出していたから。

今、私はその電車に一人で乗っている。ひと月前に彼と別れてから、初めての乗車だった。
他に好きな人が出来たらしい。少し前から私への興味が薄くなっていることは何となく分かっていた。私は私の事を好きな人が好きで、同棲に近かったのに平気で他の女に魅力を感じる男なんか嫌いだ。だから、もういいのだ。

市街地で友達とレイトショーを観て、解散し、今はその帰り。最終便に近いこの時間帯はそれなりに混んで席が埋まっていたので、私はつり革を掴み、外を見ていた。
いつもの夜景だった。見慣れている店、見慣れている街。変わらない建物だけじゃなくて、変化するはずの空でさえ夜だから黒一色で、これも見慣れていた。
(……あぁ。面倒なことになった)
今更、気が付いてしまった。
選択をしなければいけないことに。

この電車にただ揺られるだけで終点まで行ける。降りる場所を決める権利が私にあることに、気が付いてしまった。
私はこれから先、終点まで「行かない」選択肢を取り続けなければならないんだ。そんなこと考えたくもなかった。ただ何も考えずに乗り続けていられれば良かった。
私は終点まで行きたかった。

終点から3つ前、電車が停まる。
「--駅、--駅。ご乗車ありがとうございました 」
人の群衆が一斉に電車の先頭、出口へと動いていく。私はつり革をぐっと握り締め、そして離した。

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