/君の奏でる音楽/
従姉妹の菜子ちゃんが音楽を辞めた。
「そろそろ働こうと思って」と、所属していたバンドを抜けたらしい。私の10個上だから、29歳。考える年齢なのかな、と私の未来に置き換えて少し考えた。けど、それでも私は音楽を続けて欲しかった。
その菜子ちゃんが、私がバイトしているカラオケ店にやってきた。正直なところを言うと、もうそれだけで私は凄く安心した。 歌うことの好きな菜子ちゃんがまだそこに居たから。でも、欲が出た。
この時間に私が働いてるとは思わなかったのか、一瞬しまったという顔をして踵を返した菜子ちゃんを捕まえることに成功した自分を褒めたい。代理でバイトに入っていて運が良かった。
そして運が良い私は、菜子ちゃんの歌を一曲聴く権利を得た。「一曲でいいから!お金払うから!」と縋った私は相当うるさかったと思う。必死さを憐れに思ったのか、渋々了承してくれた菜子ちゃんは優しい。お金はしっかりと辞退された。
シフトはもう終わる時間だからあがっていいよと店長が声を掛けてくれて、すぐに菜子ちゃんのいる部屋に行くことが出来た。
「光、ホントに一曲だけだからね?もう夜遅いんだから聴いたら帰るんだよ」
「うんうん、分かってる」
イントロが流れる。この曲は、死んだ恋人を想うしっとりとしたバラードで、私の好きな曲だった。
「前にこの曲、光が好きって言ってたから」
マイクを握った菜子ちゃんは「私も好きなの」とちょっと笑って、歌い出した。
もっとステージで、沢山の観客の前で、歌う菜子ちゃんを見ていたかった。でもそんなの菜子ちゃんが一番思っていたに決まってる。
カラオケルームは狭くて、観客は私だけ。いや、元々観客は居なかった。どういう思いでカラオケ店に来たのか、知る権利は私には無い。
最後の一音まで丁寧に歌い切った菜子ちゃんは、マイクのボタンをカチッとオフにした。
やっぱり菜子ちゃんはすごかった。
「アンコール、アンコール」
「絶対言うと思った……」
昔から2人でカラオケに行ったらそうだった。お決まりのノリって菜子ちゃんは思ってるけど、いつだって私はその時まだ聴きたいと思ったから言ってるだけだ。
「ね、ね。アンコールだからオマケでもう一曲」
「ばか」
とすん、と私の横に座った菜子ちゃんが私に全体重を預けて寄りかかってきた。多分結局のところ、また菜子ちゃんは歌ってくれる。菜子ちゃんは優しくて、私はずるいから。
この言葉が呪いになってるのか、救いになってるのか、はたまた特に重みは無いのか。菜子ちゃんの表情からは読み取れない。
でも例えばこれが呪いの言葉だとしても私は歌を求めるだろう。菜子ちゃんを苦しめるとしてもだ。
私がアンコールを待ち望んでるって、貴方の歌が好きだって、知っていて。
8/13/2023, 2:43:01 AM