きらめく街並み、という言葉で思い浮かぶのは、イルミネーションではなく、「ラブホテル」である。
以前住んでいた家の近くに、クリスマス近くになると家を電飾する知人がいた。そこで少しの間、ちょっとお世話になったのだが、その知人はラブラドール・レトリバーを飼っていた。犬の名前はラブ。
で、当然のように犬小屋も電飾される。それを知人は「ラブホテル」と呼んでいたのである。
実話である。
クリスマスが近づくにつれて「ラブホテル」も電飾、つまり、きらめきを増していく。肝心のラブがどう感じていたかは誰も知らない。
【きらめく街並み】
わたしの養母も実親も、人付き合い禁止の方針だった。友人禁止、部活禁止、バイト禁止、家から出るのも禁止。許されたのは習い事と塾と病院だけ。
そんな中、わたしは同級生の友人をこっそり作り、彼女を仲介して、文通友達を増やしていた。当時は雑誌などに文通募集のコーナーがあり、住所氏名が公開されていたからだ。
わたしの名前は苗字がキラキラで、名前も嫌いだったので、高一の頃には一般的に見える筆名を使っていた。今でも郵便局にその名を登録して郵便を受け取っている。
文通は親や保護者には秘密だった。でも、あの経験があったから、全く人と付き合う手段が分からない大人にはならずに済んだと思う。今でも口頭では言葉が碌に出ないが、文章ならコミュニケーション可能ではあるからだ。まあ、罵倒されて育ったので、言い回しが無意識にきつい部分はどうにかしたいが。
【秘密の手紙】
実家には掘り炬燵があった。小さなわたしには格好の遊び場で、炬燵をつけていない時にも潜っては秘密基地のつもりでひとり遊んでいた。友達はいなかった。人付き合いを禁じられていたから。
冬が来ると、畳の一部を開けて、そこに掘り炬燵を組む。そばにはヒーターと、箱で貰ったみかんがぎっしり。
本を読んだり勉強したり、炬燵でぬくぬくしながら過ごした思い出だ。
なお、酔った父に本気フォームでみかんを顔めがけて投げつけられて、みかんがわたしの顔で破裂し、わたしは痛くて、みかんの汁が目に入ってしみて、わんわん泣いたことも覚えている。
父はふざけたつもりだったと思う。何も怒られる理由がわたしになかったと記憶している。
【冬の足音】
わたしの母方の親族は概ねカトリック教徒であった。
クリスマスは朝ミサに行って、昼間に集まり、ターキーの丸焼きをグレイヴィソースゼリーをつけて頂き、お手製のショートケーキを頂き、習い事の成果を発表し、映画クリスマスキャロルを鑑賞し、プレゼントを貰って解散という流れだった。
ターキーの丸焼きは詰め物が美味しくて大好きだった。(傷んだ食べ物ではなかったし)
今でもクリスマスはチキンよりターキー派だ。もう、売っているお店は無いらしいけど。
贈り物は事前に子供たちの希望を聞いてデパートで買い揃えて隠しておく。でも、買い物の時、祖母と母が従姉の希望品について色々言っていたのを聞いてしまった。「色気づいちゃってまあ」とかその類。従姉が頼んだのは髪を巻くカーラーだった。
「いつまでも子どもらしくいて欲しいのにねえ」
そんな言葉を聞いてしまったわたしは、欲しくも無いぬいぐるみをねだった。すると祖母と母は満足げだった。「あなたは変わらないわね」と安堵したように言った。本当は違うものが欲しかった。言えなかった。
【贈り物の中身】
子どもの頃、立山に登った。家族四人で。
午前二時ごろに宿を出て、登山道を歩いた。
降るような一面の星空。遠くの冠雪した山々がまるですぐ蹴飛ばせるような距離に見えた。
登山は初めてで、その前に白馬大雪渓を歩いたことはあったが、足の血行が悪く冷えてすぐ霜焼けが出来るわたしには大雪渓は無理だった。他の子供達に頭を下げて泣きながら下山した。
だから立山が初めてちゃんと登山として向き合った山であった。
老人会のかたがたにどんどん抜かれながら、山を登る。父は山男、兄はワンゲル部。最初に音をあげたのは母だった。次に寒さに弱いわたし。夏山でもとても寒かった。兄は歩くと暑いと言って上着を脱いでいたけれど。
凍てつく星空を背に登り続け、空が白んで星が消える。登頂し雲海の向こうに御来光を拝む頃には、全身冷え切っていて、わたしはお汁粉を飲ませて貰ったけれど、飲むそばからお汁粉は冷えていった。
そんな思い出。
【凍てつく星空】