「創作、創作、創作......」
君の声が耳の奥でとぐろを巻く。
「もうウンザリなんだよ!!!!!」
いつしか君と一緒に紡いでいるつもりになっていた。
わたしを鬱発作から昇華させるための物語。
でもいつのまにか君を追い詰めていた。
就職した君は多忙で鬱に追い込まれていた。
以来、わたしはその物語をひとりで完成させて、筆を折った。創作サークルも解散した。これ以上君を追い詰めたくなかった。
君と紡いでいたはずの物語には、どうか僕を愛してください、というタイトルがついた。
作者にも愛されなかった物語の、顛末。
【君と紡ぐ物語】
わたしはピアノを習っていた。
習いたかった訳ではない。わたしはダンスを習いたかったのだ。MGMミュージカル映画に憧れていた。
だがダンス教室は近くにないと言われ、親の希望でピアノ教室に通わされた。親はピアノを習いたがっていたからだ。だが戦中戦後生まれなので叶わなかった。
わたしは親の身代わりにされたのだ。
興味も持てないピアノを習うのは地獄だった。
まず音符がいつまで経っても読めない。一度お手本を耳で聴かないと弾けない。耳はそこそこ発達したようで、音あてクイズは得意だったが、弾くのは苦手だし練習する気にもなれなかった。
ピアノの先生が結婚なされて、教室自体が終わったのは小学生の頃。そこからわたしは殆どピアノを弾かなくなった。大人になった今では指も動かない。でも、好きになれないものを、習い直す気にはなれなかった。
【失われた響き】
じゃり。足の下で霜柱が砕ける。
霜柱は十センチほどあっただろうか。わたしの幼い頃はまだ地元でもよく見られたし、雪も降った。
霜柱の記憶は幼稚園バスと繋がっている。
バスの送迎のところに空き地があって、そこの端が霜柱が多かった。小さなわたしは足で砕いて束の間の朝の時間を楽しんでいた。
その頃わたしの面倒を見てくれていたのは、わたしの誕生日に亡くなった養母だ。幼稚園年少までお世話になった。幼稚園ではお弁当が食べられず、ずっと休み時間返上で部屋に残されて、トラウマになった記憶が残っている。
あと、人には言えないようなことも幼稚園であった。
養母にも言っていなかったし、今でも誰にも話していない気がする。
【霜降る朝】
食卓につく。準備を手伝ったり色々して、ご飯が並ぶ。子供のご飯は数日前に炊いた黄色いガビガビのご飯と、数日前に作られたおかずの余りと、ビニール袋に入っている給食のお裾分け。母が勤め先の学校から持ち帰ってくる。どれでも残せばお弁当に入れられる。(O -157が出てくる以前は持ち帰れた)
大人はお酒と、ガス釜で炊いた真っ白いご飯と、作りたてのおかずを食べる。食べ残しは数日後の子供達のおかずかお弁当になる。
酒が回った父が怒鳴り出す。兄の髪を掴んで引き摺り回す。頬をビンタする。母は父の暴行を見ているだけ。これが毎日3時間は続く。
そのうち、食べるのが早くなって、食器を台所に下げて、さっさと自室に逃げる知恵がついた。でも殴られている兄は逃げられない。
心がキリキリする。深呼吸なんて出来ない毎日だ。常に怯え、気を張って過ごす日々。
【心の深呼吸】
わたしは、親戚中で一番歳下だった。
十四歳下の従弟が生まれるまでは。
当然のように、服はお下がりだった。
養母や母や祖母のお下がり、イトコや兄のお下がり、とにかく最後に自分に回って来るものだった。
自分で服を選んだり買ったことはなかった。
成人後に一人で暮らし始めるまでは。
(下着も与えられたものを諾諾と使っていた)
歴史が回って流行も一巡りするらしい。
母の若い頃の服はわたしが着る頃には、周囲にとても褒められた。更に、古い服は仕立てが良く、丈夫であった。わたしはほつれや破れを繕いながら着続けた。
中学の家庭科で配られた裁縫道具をまだ使っている。
【時を繋ぐ糸】