子どもの頃、立山に登った。家族四人で。
午前二時ごろに宿を出て、登山道を歩いた。
降るような一面の星空。遠くの冠雪した山々がまるですぐ蹴飛ばせるような距離に見えた。
登山は初めてで、その前に白馬大雪渓を歩いたことはあったが、足の血行が悪く冷えてすぐ霜焼けが出来るわたしには大雪渓は無理だった。他の子供達に頭を下げて泣きながら下山した。
だから立山が初めてちゃんと登山として向き合った山であった。
老人会のかたがたにどんどん抜かれながら、山を登る。父は山男、兄はワンゲル部。最初に音をあげたのは母だった。次に寒さに弱いわたし。夏山でもとても寒かった。兄は歩くと暑いと言って上着を脱いでいたけれど。
凍てつく星空を背に登り続け、空が白んで星が消える。登頂し雲海の向こうに御来光を拝む頃には、全身冷え切っていて、わたしはお汁粉を飲ませて貰ったけれど、飲むそばからお汁粉は冷えていった。
そんな思い出。
【凍てつく星空】
「創作、創作、創作......」
君の声が耳の奥でとぐろを巻く。
「もうウンザリなんだよ!!!!!」
いつしか君と一緒に紡いでいるつもりになっていた。
わたしを鬱発作から昇華させるための物語。
でもいつのまにか君を追い詰めていた。
就職した君は多忙で鬱に追い込まれていた。
以来、わたしはその物語をひとりで完成させて、筆を折った。創作サークルも解散した。これ以上君を追い詰めたくなかった。
君と紡いでいたはずの物語には、どうか僕を愛してください、というタイトルがついた。
作者にも愛されなかった物語の、顛末。
【君と紡ぐ物語】
わたしはピアノを習っていた。
習いたかった訳ではない。わたしはダンスを習いたかったのだ。MGMミュージカル映画に憧れていた。
だがダンス教室は近くにないと言われ、親の希望でピアノ教室に通わされた。親はピアノを習いたがっていたからだ。だが戦中戦後生まれなので叶わなかった。
わたしは親の身代わりにされたのだ。
興味も持てないピアノを習うのは地獄だった。
まず音符がいつまで経っても読めない。一度お手本を耳で聴かないと弾けない。耳はそこそこ発達したようで、音あてクイズは得意だったが、弾くのは苦手だし練習する気にもなれなかった。
ピアノの先生が結婚なされて、教室自体が終わったのは小学生の頃。そこからわたしは殆どピアノを弾かなくなった。大人になった今では指も動かない。でも、好きになれないものを、習い直す気にはなれなかった。
【失われた響き】
じゃり。足の下で霜柱が砕ける。
霜柱は十センチほどあっただろうか。わたしの幼い頃はまだ地元でもよく見られたし、雪も降った。
霜柱の記憶は幼稚園バスと繋がっている。
バスの送迎のところに空き地があって、そこの端が霜柱が多かった。小さなわたしは足で砕いて束の間の朝の時間を楽しんでいた。
その頃わたしの面倒を見てくれていたのは、わたしの誕生日に亡くなった養母だ。幼稚園年少までお世話になった。幼稚園ではお弁当が食べられず、ずっと休み時間返上で部屋に残されて、トラウマになった記憶が残っている。
あと、人には言えないようなことも幼稚園であった。
養母にも言っていなかったし、今でも誰にも話していない気がする。
【霜降る朝】
食卓につく。準備を手伝ったり色々して、ご飯が並ぶ。子供のご飯は数日前に炊いた黄色いガビガビのご飯と、数日前に作られたおかずの余りと、ビニール袋に入っている給食のお裾分け。母が勤め先の学校から持ち帰ってくる。どれでも残せばお弁当に入れられる。(O -157が出てくる以前は持ち帰れた)
大人はお酒と、ガス釜で炊いた真っ白いご飯と、作りたてのおかずを食べる。食べ残しは数日後の子供達のおかずかお弁当になる。
酒が回った父が怒鳴り出す。兄の髪を掴んで引き摺り回す。頬をビンタする。母は父の暴行を見ているだけ。これが毎日3時間は続く。
そのうち、食べるのが早くなって、食器を台所に下げて、さっさと自室に逃げる知恵がついた。でも殴られている兄は逃げられない。
心がキリキリする。深呼吸なんて出来ない毎日だ。常に怯え、気を張って過ごす日々。
【心の深呼吸】