わたしは、親戚中で一番歳下だった。
十四歳下の従弟が生まれるまでは。
当然のように、服はお下がりだった。
養母や母や祖母のお下がり、イトコや兄のお下がり、とにかく最後に自分に回って来るものだった。
自分で服を選んだり買ったことはなかった。
成人後に一人で暮らし始めるまでは。
(下着も与えられたものを諾諾と使っていた)
歴史が回って流行も一巡りするらしい。
母の若い頃の服はわたしが着る頃には、周囲にとても褒められた。更に、古い服は仕立てが良く、丈夫であった。わたしはほつれや破れを繕いながら着続けた。
中学の家庭科で配られた裁縫道具をまだ使っている。
【時を繋ぐ糸】
里山に良くひとりで遊びにいっていた。
積もった落ち葉が水分を吸ってふかふかと靴の下で音を立てる。
ひと足ごとに体がゆるく沈む感覚が心地よい。
この土みたいなのが、とても良い腐葉土になるのだと学校で教わった。
僕もこの落ち葉の一枚になって、他の落ち葉と一緒にゆっくりと腐っていきたいなあ。そう思った。
夜中、ダウンを着込んで、家をこっそり抜け出して歩いた山の中。
【落ち葉の道】
小学校の鐘が鳴る。
掃除の時間も終わって、帰り支度をする。
でも、わたしのランドセルはない。
わたしのロッカーの中にない。
机の横にもない。どこにもない。
一人で探していたら、怖い顔の男の子が、ゴミ箱から見つけてくれた。
その子はとても怖くて、正直近づきたくなかった。
でも、給食当番の重い箱を持ってくれたり、急に親切にしてくれた。
そして何も言わずに転校していった。
その子が居なくなって、わたしはゴミ箱や焼却炉からランドセルを見つけることが出来るようになっていた。その子が転校前に教えてくれていたのだ。
最後まできみが何を心に隠していたのかはわからないけれど、わたしはきみに助けられたよ。有難うね。
【君が隠した鍵】
休み時間とか、余暇とか、そういう時間は無かった。
わたしは大体、トイレにこもっていたから。
概ね、吐いていたり、下していたり。
うちでは子供は前日、前々日のおかずを出されていた。ご飯も、ガス釜で美味しいのを炊いているのに、日が経って黄色くガビガビになったものを食べ終えないと、炊き立ての白米にありつけなかった。当日のおかずと炊き立てご飯は、親のもの。
だからわたしには余暇や休み時間は無かったのだ。
お弁当もそう。糸を引くコロッケやべしょべしょのサンドウィッチ(ジャム付きのきゅうりなど)他、まともに食べられるものは無かった。残すと怒られた。
一旦口に詰め込んでトイレで吐くしかなかったのだ。
休み時間や余暇にやりたいことはいっぱいあった。
でも、許されなかったのだ。時間を手放すほかなかったのだ。
【手放した時間】
わたしは幼い頃、母が嫌いだった。
正確には、母の口紅のにおいが嫌いだった。
だから抱っこを嫌がった。
そのうち母は抱き上げもしてくれなくなった。
母は働いていたから、いつも化粧がにおっていた。
幼児期は鼻が敏感なのか、わたしはそれが苦手だった。
そのうち母はわたしに関心を持たなくなった。
母のネグレクトは、わたしのせいなのかもしれない。
【紅の記憶】