優越感、劣等感(2023.7.13)
あなたはわたしを選んだこと、後悔していますか?
わたしのことを好きなのはあなただけだけれど、あなたを好きな女の子はたくさんいる。
あなたがわたしといてくれる時。悪いことかもしれないけれど、わたしは優越感を覚えるの。わたしだけを見て、わたしだけに笑いかけてくれる。そんなあなたが、この世界の誰よりも愛おしい。
あなたが他の誰かといる時。それが素敵な人であるほど、わたしは劣等感を覚えるの。やっぱり、わたしなんかじゃだめだよね、ああいう人が、あなたとお似合いなんだよねって。そんなあなたが、この世界の誰よりも憎らしい。
だから、気をつけてね?わたしにとってあなたは、世界でいちばん一緒に生きたくて、世界でいちばん殺してあげたい人だから。
これまでずっと(2023.7.12)
拝啓 これまでずっとわたしを愛してくれた人へ
あなた方の愛を、少しでも私に分けてくれて、ありがとう。
そして、その愛に応えられなかったわたしを、どうかお許しください。
あなた方の行き着く先が、安息の地であることを、冥府よりお祈り申し上げます。
敬具
拝啓 これまでずっとわたしを虐げてくれた人へ
あなた方の優しさは、少しもわたしに与えられるべきものではなかったのでしょうか。
その優しさに仇なすようなことを、わたしがしたとでもいうのでしょうか。わたしには、もうわかりません。
あなた方の行き着く先が、昏い昏い奈落の底であることを、切にお祈り申し上げます。
敬具
ーーー『遺書』より抜粋ーーー
1件のLINE(2023.7.11)
「ええー…」
目の前で閉まったドアと、無情に過ぎ去っていく電車。思わず気の抜けた声が出る。遠くの方で鳴いている蝉の声が、より虚しさを際立たせた。
時刻表を確認すると、次の電車は20分後。まったく、田舎ってのはこれだから…。
仕方がないので、ホームの寂れたベンチに腰を下ろして、何の気もなしにスマホを見る。
「あー…めっちゃ通知たまってる…」
返信が億劫だからと未読のままにしていたLINEが21件。それを1件ずつ確認して返信するのは面倒だが、20分という微妙な時間を潰すのにはちょうどいいだろう。
死んだ魚のような目でぽちぽちと返信していって、残り1件となったとき、私はぴたりと指を止めた。
そのメッセージが送られてきたのは、1年前の3月。私が高校一年生のときだ。並大抵の人なら、それほどの期間未読スルーするような関係なんて、余程険悪か疎遠なのかと思うだろう。まぁ、ある意味疎遠というのは間違っていないかもしれない。このメッセージの送り主は、既にこの世にはいないのだ。
1年前、とてもくだらないことであの子と喧嘩した。きっかけはなんだっただろうか…もう、あまり覚えていない。あの日、あの子と口論になって、喧嘩別れをして…次の日、あの子のご両親からの電話で、もう二度と仲直りできないということを知った。交通事故だったらしい。帰宅途中、家の近くの横断歩道を渡ろうとしていたあの子に、信号無視したトラックが突っ込んできて…即死だったそうだ。あまり詳しくは、聞けなかった。
メッセージの送信時刻は、あの子が亡くなる10分前。きっと、家路の電車の中で打ったのだろう。あの子の訃報を聞いてからその通知に気づいて、内容を見る前に通知を消してしまった。もしそのメッセージを開いて、読んでしまったら。既読をつけてしまったら。あの子がもう、返信などできないのだということを嫌でも受け入れなければいけないから。
けれども、きっともう、潮時だろう。この一年、嘆いたし、悲しんだし、憤った。そして、諦めがついた。もう、あの子はどこにもいない。私が既読をつけたってつけなくたって、帰って来はしないのだ。
震える指をなんとか動かして、あの子とのチャット画面を開く。
『ごめん。私が言いすぎた。明日また、一緒に帰ってくれますか?』
もう枯れ果てたと思っていた涙が、ひとつこぼれた。短くて、大した内容でもないメッセージ。しかし、当たり前だが、このメッセージを送ったときのあの子は、まだ明日があると思っていて、私と仲直りして、また明日一緒に帰りながら、笑い合えると信じて疑っていなかっただろう。無機質なデータの塊の中で、あの子がまだ微笑んでいるような気がした。
きっと、既読は永遠につかないけれど、私は一年越しの返信をする。
『ごめん。一年も放っておいてごめん。私の方こそ言いすぎてごめん。一緒に帰れなくて、ごめん。』
未読メッセージは、0件になった。
目が覚めると(2023.7.10)
目が覚めると、何故だか猫になっていた。
「…は?…え?え?」
状況が掴めずに意味をなさない言葉をあげる声は、いつもの自分のものだ。だが、住み慣れた小汚い部屋の鏡に映る姿は、どう見ても三毛猫だった。
「いやいやいや…」
どう考えたって現実的にあり得ない。きっとこれは夢だろうとは思うものの、昨日寝る前に飲んで置きっぱなしになっている安酒の匂いすら感じられるとは、あまりにリアルすぎる夢ではないか。
オスの三毛猫ってすごい珍しいんだよな…なんて、どうでもいいことを考えて現実逃避するが、どれだけ待っても鏡に映る猫が人間に変わる様子はない、
とにかく、これからとうするかを考えなければ。これが夢なら、もしくはすぐに人間に戻れるならまだいいが、このままずっと猫のままだったら…一体どう生きていけばいいというのか。
ぐるぐると脳内に思案を巡らせながらふと窓の外を見ると、自分とは違う、おそらく近所の野良猫がじっとこちらを見ていた。毛並みは少し荒れているが、澄んだ目をした黒猫だ。
「にゃぁん」
黒猫は、なんとなく、こちらに呆れたように一声鳴くと、その場で丸くなってしまった。同じ猫だと思われているのだろうか、野良猫のわりに、こちらを威嚇したり警戒したりする様子もなく、日向ぼっこを楽しんでいるように見える。
のほほんとした黒猫の様子を見ていると、なんだか色々と悩んでいる自分が馬鹿らしくなってきた。
今日と明日は仕事も休みだし、特に何の予定もなかった。せっかく猫になったのだから、のんべんだらりとしていたって、誰も文句は言うまい。
そう結論づけて、自分も黒猫を真似て丸くなってみる。なるほど、この姿勢はなかなか落ち着いて、心地のいいものだ。
暖かな陽気のもと、だんだん薄れていく意識の端で、あの黒猫の満足そうな一鳴きが聞こえた気がした。
目が覚めると、人間になっていた。いや、あれはきっと夢だったのだろうから、人間になった、というのも、人間に戻った、というのも、本当は正しくないのだろう。けれども、あの陽だまりの心地よさが、どうにも頭から離れなかった。
たまには、猫になるのもいいかもしれないな。
そんなことを考えながら、人間らしく布団の中で丸くなった。
私の当たり前(2023.7.9)
「おはよーなのだ!!起きるのだ!リーリエ!」
爽やかとはとても言い難い、騒がしいモーニングコールに、眠い目をこすりながら起き上がる。
「……あー…おはよう、タマキ」
「もっと元気よく挨拶するのだ!挨拶は大事なのだ!」
相変わらず朝からうるさいな、という抗議の意味を込めて、タマキの額を軽く小突く。「うにゃっ?!」という謎の鳴き声をあげてのけぞるタマキを尻目に、身支度を始める。
「うぅ〜、暴力はよくないのだ、暴力は!」
「はいはい、ごめんなさいね」
「絶対思ってないだろ!」
今更ではあるが、私の名前はリーリエ。そして、先ほどからうるさいこの少女が、同じアパートの隣人のタマキだ。多分頭を振ったらカラカラ音が鳴るだろうというぐらい、アホの子…もとい、頭が残念な子だ。
「おい!なんか失礼なこと考えてないか?!」
野生の勘が鋭いという特徴も付け足しておこう。不機嫌そうなタマキのご機嫌を取るために、私の朝食のトーストを少し分けてやる。
「む〜、まったく、毎朝起こしに来てやってる私への感謝が足りないぞ…」
言葉ではそう言いながらも、嬉しそうにトーストにかぶりつくタマキ。
「あー、ありがとうね、いつも助かってますよタマキさん」
「どことなく棒読みな気もするが、まぁ許してやろう!ところで、今日はどこに行くんだ?」
私はんー、としばらく考えて、「3丁目のスーパーにしようかな」と答えた。
「了解だ!支度してくるぞ!」
そういうや否や、タマキは自室へ走り去っていった。
しばらくして、二人でアパートの階段を降りる。外はもう盛夏になりかけていて、どこかで蝉が鳴いているのが聞こえた。辺りの通りには人影はなく、暑いはずなのにどこか寒々しさすらある。
「最近暑すぎるぞ〜、誰かが暖房を消し忘れたままなのか〜?」
「15年も日本で暮らしておきながら、四季というものも知らないのかこのバカは…」
「バカって言った方がバカなんだぞ!!あと私はバカじゃない!!」
「あーはいはい」
タマキとくだらない会話を交わしているうちに、目的地のスーパーに着いた。駐車場には何台かの車が停まっているが、やはり人影はない。
「それじゃ、今日のお仕事開始なのだ!殲滅なのだ〜!」
タマキがそう叫びながら店内へ走っていく。
「あんまり物騒なこと大声で言うんじゃない…」
苦笑する私だが、否定はしない。今日の仕事、日々の日課とも言えるそれは、殲滅といっても過言ではないからだ。
タマキに続いて入った店内には、ゆっくりと蠢く人影があった。いや、今となっては人とも呼べない、動く死体、所謂ゾンビだ。普段は虚ろな瞳でそこらへんを歩き回っているが、私やタマキのように自発的に動く生き物を見ると、突然襲いかかってくる。ゾンビものにありがちな設定通り、噛まれたら一発アウトだ。とはいえ、そこまで強いわけでもなく、思い切り頭を強打してやれば、しばらくの間は襲ってこない。その間に縄などで縛ってやるのだ。
襲ってくるゾンビを軽くいなしながら、タマキの後を追うと、奥の方で楽しそうにゾンビを蹴散らしている様子が見えた。あの様子なら、手助けも要らなさそうだ。
私とタマキで店内のゾンビをあらかた退けて、やっと一息つく。まだ仕事は終わっていない。店内に残っている食料品や日用品から、使えそうなものを分けて持って帰るのだ。広い店内なので、二人で分担して見て回る。
「リーリエー!見てくれ、カップ麺がいっぱいあったぞー!」
「おー、それはよかった…」
後ろからタマキの声がしたので振り返ると、遠くの方で嬉しそうに手を振る彼女が見える。だが、問題は彼女のすぐ横の棚が倒れかかっていることだ。
「タマキ!危ない!!」
「え?」
ドガッシャアアアン
間抜けな声を一つ残して、棚の下敷きになるタマキ。私は少しの間呆然としていたが、ハッと我に返ってタマキの元へ走り寄る。
「タマキ…」
倒れた棚には商品が詰まった段ボールがいくつも積まれており、とても重そうだった。普通の人間なら、これの下敷きになれば無事では済まないだろう。
苦労しながらなんとか棚をどけて、タマキの安否を確認する。
「あー…やっぱりだめだったか」
ちぎれた配線に、剥がれた装甲。「タマキ」という名をつけられた自立思考型アンドロイドは、完全に機能を停止していた。
「また修理用の部品探しに行かなきゃなぁ、2丁目のホームセンターにならあるかも」
そう呟きながら、私は意識を失った相棒を背に担ぎ、住み慣れたアパートへ歩みを進める。行きと違ってひどく静かな家路を少し寂しく思いながら。
「普通」とはちょっと違うかもしれないが、これが私の「当たり前」で「日常」だ。