【20歳】
二十歳というものはとてつもない大人に見えていた。ガキの俺の手を引いて、いつだって守ってくれた年の離れた姉の姿を脳裏になぞる。
(なあ、姉さん。俺もアンタと同い年になったよ)
物言わぬ墓石の前に立ち尽くす俺の頬を、冷たい夜風が撫でていく。あの頃はあんなに大きく見えていた彼女の背はとうに越してしまって、ついに年齢まで追いついてしまったというのに、俺はまだどうしようもないガキのままだ。
「約束、果たしにきたよ」
日付を跨いだ瞬間にコンビニで買ってきた缶ビールを、墓石の前に置いた。大人になったら一緒に酒でも飲もうって約束が、まだ有効なのかはわからないけれど。待ってたよと優しく笑う姉の声が、遠く聞こえたような気がした。
【三日月】
夜空に浮かぶ三日月を、盃へとうつしとる。水面に映り込む月影が美しく輝くその盃を、恭しく献上した。
鏡や水面に映る影を楽しむなどという古風な習慣を楽しむ者は、今となっては数少ない。けれど遥か太古の時代からこの国を見守り続けてきたこの方は、今でもこうした古めかしい遊びを好むのだ。
龍の化身たる麗人は、僕の手から受け取った盃を傾け、天上に輝く三日月を飲み干す。白い喉がこくりと動くのが艶かしい。
満足そうに微笑んだその人の手が、僕へと伸びてくる。くしゃりと幼い子供でも褒めるみたいに頭を撫でてくれるその温もりに、心がふわりと満たされる感覚がした。
【色とりどり】
花畑に咲き誇る色とりどりの花々。ひらひらと蝶の舞うように、君が楽しげに踊っている。木の幹に背中を預け、その様を眺めている時間が、僕は世界で一番大好きだ。
好きだと言える身分じゃないし、愛していると伝える資格もない。それでもただ、君の護衛としてずっとずっと君の隣にいられたら。それだけで僕は十分なんだ。
満開の花畑の中心で無邪気に笑う太陽のような君へと、届かない手をそっと翳した。
【雪】
見渡す大地の全てが白く染まっている。曇天から降りしきる雪が僕たちのここまで歩んできた足跡すらも少しずつ消し去っていた。
ああ、本当に僕たちは今、世界に二人きりなんだ。面倒なこと、嫌なこと、全部置き去りにして飛び出した、二人きりの逃避行。
「怖い?」
少しだけ不安を滲ませた君の問いかけに、首を横に振る。だって僕には君がいて、君には僕がいる。だからたとえ、このまま進んだ先にあるものなんて何もなくて、二人きり雪に溶けてしまうだけだとしても、怖くはないんだ。
ギュッと握り合った手から伝わってくる互いの体温。それだけが今の僕たちにとっての全てだった。
【君と一緒に】
宵の空が赤く燃えている。衛兵たちの怒号、劈くような金属音、けたたましいそれらに背中を押されるように、君の手を引いて王城を飛び出した。
どこに逃げるかなんて何も決めていない。それでも走る足を止めてしまったら、王族の血を引く僕たちは有無を言わさず処断されるだろう。そんなの絶対にお断りだった。
二人分の足音と息遣いだけが小さく響く。会話を交わすなんて余裕なんてなかった。握り合った手だけが、僕たちの生を証明していた。
君と一緒にゆく道ならば、先なんて見えなくたって構わない。ただその想いだけを胸に、僕たちは展望のない無意味な逃避行へと身を委ねた。