【距離】
距離が近い姉弟だとは、よく言われてきた。姉の無駄に長い買い物に文句も言わずに俺は付き合ったし、俺が海へ行きたいと言えば姉はいつだって俺の手を引いて連れて行ってくれた。だけどそれはいつかこの距離が永遠に開いてしまうことを、互いに知っていたからだ。
物言わぬ墓石の前に、イヤリングの箱を置く。姉がきっと喜んだだろうなと思うデザインのアクセサリーを見ると、いつも買ってしまうんだ。使う人間なんてもう誰もいないのに。
「……おまえの歳、ついに超えちゃったよ」
二十歳になるまで生きられないと医者から宣告されていた姉は、その短い人生を全力で楽しんでいた。不満も恐怖もなかったはずがないのに、俺の記憶に残る姉はいつだって笑顔しか浮かべていない。
このまま俺は歳を重ねて、恋した人と結婚して、子供が生まれて、おじいちゃんになっていくのだろう。十九歳で時間を止めたおまえとの距離は開く一方で、二度とこの手はおまえには届かない。
姉が死んだその日からぽっかりと空いた心の隙間。冷ややかな風の吹き荒ぶその寂しさを胸に抱いて、俺は姉の生きられなかったこれからを生きていく。
【泣かないで】
私を見下ろす君の瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れている。きっと抱きしめてくれているのだろうと思うけれど、もう君の温もりも感じられない。言うことを聞かない腕を叱咤して、どうにか涙に濡れた君の頬に指を伸ばした。
泣かないで、優しい人。君の笑顔が私は何よりも好きなのだから。潰れた喉からは声のひとかけらすらも絞り出せないけれど、私の思いが伝わったのか、君は私の手を握り不器用に口角をつりあげた。
「大好きだよ、ずっと」
置いていかないで、押し殺された悲鳴がその声の裏側に滲んでいる。ああ、ごめんね。君を泣かせたかったわけじゃないのに、そんな顔をさせてしまって。
あいしてる。涙でグシャグシャな顔で必死に笑顔を繕う君へと囁いて、私は重たい瞼を閉じた。
【冬のはじまり】
冷たい木枯らしが村を吹き抜け、ひとひらの雪が舞い落ちる。障子戸の向こうにそれを見てとって、僕は庭へと飛び出した。
灰色の雲の薄く広がる空。息を深くまで吸い込めば、肺を満たす凍てつく冷気が全身を内側から切り裂いていく。ああ、冬だ。冬がやってきた。
「待ってたよ!」
両手を広げ天を仰ぐ。そうすると僕の目の前に、風に紛れて人影が舞い降りた。雪よりも白い白銀の髪に、見るもの全てを魅了する冷ややかな蒼玉の双眸。僕の誰よりも愛する、冬を呼ぶモノ。
無機質な美貌で僕を見据える君の手を取り、冬のはじまりを告げる女王の氷よりも冷たい指先に、再会を祝福するキスを落とした。
【終わらせないで】
幾度も斬り結び、白刃を重ね合う。ほんの少しでも気を緩めれば即座に首が落ちる、ひりつくような緊張感。互いに互いの国と名誉をかけた神前での正式な試合で、コイツのような至高の剣士と刃を合わせることができたのは俺の人生で最大の僥倖だろう。
玉鋼のぶつかり合う高く澄んだ音が、夕空へと鳴り響く。間近に捉えた男の瞳は、爛々と輝いていた。互いに息は上がっていた。こんなに長く誰かと打ち合うのは初めてのことだ。気分が昂揚する。ああ、どうか、どうか。
(この時間が永遠に、続けば良いのに)
御簾の向こう、俺たちの試合を見守っている神様へ。どうかこの至福の瞬間を終わらせないでくれと祈った。
【愛情】
目の前でキャンキャンと喚き立てる女の子を、つまらないなと思いながら眺める。見た目は可愛らしいけど、それだけだ。泣いている彼を放っておくなんてひどい、私だったら彼を慰めてあげられる、そんなふうに杓子定規にしか愛を語れないから彼に見向きもされないのだと、どうして気がつかないのだろうか。
口を挟んで口論になるのも面倒で黙って聞き流していれば、不意に私の横から影が差した。びくりと肩を跳ねさせた少女が黙り込む。冷ややかな眼差しをした彼が、無言で私の手を取った。
「あのさ。せめて直接僕に言ってくれない? そうしたら僕がはっきり答えてあげるから」
顔を真っ白にしたあたり、彼の怒気は伝わっているらしい。少しは手加減してあげれば良いのにと思いながらも止めないあたり、私もたいがいなのだけれど。
「僕がほしい愛情の形は、君の思うものとは違う。僕と彼女の関係に部外者が口を挟むな」
やれやれと息を吐きながら、彼の手をそっと口元に引いた。宥めるように指先に口づけてやればようやく、彼は私へと視線を向ける。
「……ごめん、迷惑かけた」
「別に。君と付き合ってる段階で覚悟の上だし。パンケーキ奢ってよ、駅前に新しい店ができたから」
君の手を引いて歩き出す。馬鹿な女の子にはもう互いに目も向けない。私たちの愛の形は私たちだけが知っている、それで十分だった。