マッジョーレ湖に漂う美しい風。
富豪の息子ジョバンニはヨットのデッキで疲れた身体をラウンジチェアに預けていた。
あたりはさざ波の音が心地よく響いているが、彼はいつだって日々に飽いている少年のように退屈していた。
そんな時、彼の前に不意に謎の男が現れた。
その男は静謐な目をしていた。
「私と一緒に旅をしてみないか」
と男はジョバンニを誘った。
「一緒に旅をして何をするんだい」
ジョバンニが気のない様子で質問する。
「旅をしながら愛を伝えるんだよ。ただし、君は父上の財産の相続を投げ打つ覚悟が必要なんだ」
と男は真剣に告げた。
「ふうん、それは随分スリリングで面白そうだね。明日晴れたら答えはYESだ」
とジョバンニは口元に笑いを浮かべて応じた。
この時期この辺りの天気は陽射しが差し込む日々が続いている。
そう、明日も太陽は輝くだろう。
もうすでにジョバンニの決断は固まっていたのだ。
「明日もし晴れたら」
彼はパリ北駅のコンコースに足を止めた。
人々が皆どこかへ向かって急ぎ足で進んでいる。
しかしその流れから逸れた彼はひとり佇む。
賑やかな雑踏の中で、まるで彼だけが浮いているかのように孤独に包まれる。
この場所は、人々が自分の目的地を見据える吹き溜まりなのだ。
ここパリ北駅で一人になると、心に埋もれた本当の目的が顔を出すことを彼は知っている。
孤独の中にこそ彼の真実があるのだ。
「だから、一人でいたい」
画家である浅倉慎也はその澄んだ瞳で世界を見つめていた。
目の前に広がる美しい景色も、時に残酷な光景も、ただありのままに観察する。
評価や判断を手放し心を無にして、存在の本質を感じとるのだ。
来たるべき時、その沈静さはほぐれる。
硬く結ばれた紐の後ろに潜む世界の真意が少し明らかになる。
それは決して遠くにはない。
世界の方からその意味を語りかけてくるのだ。
その時、彼は世界の奥深い一端を表現することが芸術の役割だと感じる。
「澄んだ瞳」
嵐が迫る中で君は必死に逃げようとする。だが嵐は巧妙にその向きを変え君を追いかけるように襲ってくる。
君は、恐れに揺れる感情に飲み込まれそうになる。
それでも君は嵐の渦の中を力強くやり過ごそうとするのだ。
嵐の流れは予測不可能で、
混乱の中にいると、その瞬間のことも忘れてしまう。
そして、時が過ぎ去った後に振り返れば、君自身が以前とは異なる存在になっていることに気付く。
嵐とは時の傾きであり、時の流れそのものなのだ。
君は、時を見極める可能性を自分に見つけ出し、自分の翼を信じることが出来るようになっているかもしれない。
「嵐が来ようとも」
フランス留学中の浅倉慎也は、作品の独創性を模索し続けていた。
彼はルイーズミッシェル広場の芝生に横たわり、深い青空を見上げていた。
紺色に近い空に浮かぶ真っ白な雲がそっと切れ、眩しい陽射しが差し込む瞬間、彼の中に何か特別なものが舞い降りてきた。
まるで神の啓示のように。
この時、彼の作品の方向性が確立されたであろう。
のちに「セキュエンタリズム」と名付けられる彼のオリジナル手法が、ここで生まれることとなったのである。
「神が舞い降りて」