#香水
匂いって、強烈だ。
どんなに忘れていても、その香りを鼻に感じれば、一瞬にして脳裏にその存在を思い出してしまう。
私の日常生活から香りを消して数年、今も近い存在なのに、遠くにいるような。確かに存在はあるのだけれど、意識して考えないといけないくらい、私の中で彼の存在が薄れてゆく。
自分の一部だったものが欠けるような感覚。記憶の中での彼が、だんだんと不透明な色になって、どんな風に笑っていたのか、どんな声だったのか、どんな音で名前を呼んでくれたのか、はっきりと思い出すことができない。
いろんな音と匂いの混じる町で、覚えのある香りに、私は思わず立ち止まった。間違えるはずがない。私の隣で香水を撒き散らしていた彼の、あの匂いだ。
だけど、周りを見回しても、彼の姿は見つけることができなかった。世界にひとつしかないわけじゃないし、きっとありふれてる香りだ。たまたま同じものを使っていた別の人かもしれない。
仮に、もし彼だったとしても、私はこの人の往来の中から彼を見つけるのは難しいだろう。
顔も、声も、存在すらも薄れていくのに、匂いだけは、ハッキリと覚えていた。
香水は、香水にしかすぎないのに、彼が使っていたというだけで、あの香りは彼だということが、脳に刻み付けられている。
次第にぼやけてゆく視界に、ふわりと柔らかい香りが舞う。
「はっ。なんだ、変な顔だな。」
顔上げると、こちらを見下ろすニヤケずらと目が合った。途端に、香りが強くなる。
引き金みたいに、埋もれていた記憶が一斉に弾け出した。
私は知ってる。覚えている。ただ、考えていなかっただけで。
ちゃんと、この人のことを、知っている。
「うっさい。」
瞳に宿る熱を誤魔化すように、私は乱暴に口を開いた。
#言葉はいらない、ただ…
言葉はいらない、だだ
そばにいて。
雄弁に語る必要はないから
愛の言葉もいらないから
喜ばせるための贈り物もいらないから
何も望まないから
ただ、ただ、
そばにいて欲しい。
なんて嘘です。
言葉も欲しいし、そばにいていて欲しい。
不安だから、言葉が欲しい。
好きも愛してるも大切も、全部言葉にして伝えて。
上手く受け取れなくて、「嘘!本当は思ってないくせに」って、思ってしまう自分も許せるようにするから、何度でも伝えて欲しい。
寂しいから、そばにいて欲しい。
大丈夫って、手を握ってほしい。
大好きだよって、抱きしめてほしい。
愛してるよって、笑ってほしい。
言葉を尽くせば尽くすほど、気持ちは分からなくなるばかりで。
無言の愛情に、心には疑念が生まれて、解釈はねじ曲がっていく。
だから、言葉が欲しい。
言葉だけじゃなくて、そばにいて欲しい。
自分という全てをかけて、愛を伝え――られるのも、眩しくて怖くて逃げたくなる。
人と一緒にいたいの、いたくないの、どっちなんだろうね。
顔を上げたら、夏がすぐそこにあった。
鮮やかな青空に、輪郭のはっきりした雲が映えている。綿あめみたいな絹雲でも、泡のようにふわふわした雲でもなくて、触ったら固さを感じるような弾力のある雲。暑苦しいほど力強いそれこそが夏の風景に相応しいと思った。
宙を走る電線、風になびく洗濯物。ぼんやりと歩く私の先を、子供たちが駆けてゆく。
巡る月日のなかで、浮かんでは消えていく雲たちにも、同じものなどきっと無いんだろう。たくさんあるのに、どれも違う。同じものが無いことがあたりまえでみたいに、雲は形を変えて流れていく。まるで、変わることに恐れることはないように。
自然にあるものに、どれ一つも同じものが存在しなくて良かった。
比べることにすら意味がない。
ただ、そこにあることを感じられる自然の摂理が癒しになる福音だから。
幸せというのは、とても幸福で満たされている状態で、
私たちは、というか、多分、多くの人はそれを望んでいるのだと思う。
幸せになりたい、って。
私みたいな根っからネガティブ人間からすると、
『幸せ』というものすら、暴力的で攻撃的、綺麗すぎて刃物のような鋭さを感じてしまう。
偏屈すぎるだろうか?
でも、私は基本的に生きたくない。出来れば、生きたくない。
だからといって、死にたいわけでもないような、曖昧な状態。
幸せになりたいって、望むのは、とても前向きな心の欲求だから、それは生きたい人のためのものだと思ってる。
生きたくない、死にたい。
なんて、のらりくらり死んだみたいに生きてる人は、
幸せなんて望んじゃいけない。
幸せになりたいなんて、生きたがってるみたいで、自分が惨めな気持ちになる。
一生懸命頑張っている人を見ると、笑ってしまう。
馬鹿にしているわけではなくて、どうしてそんなに頑張るんだろうって、自分との温度差に冷めてしまう。
一生懸命頑張っている人は、とても素敵だと思う。
ただ、自分に対しては、何生きがってるの?――って、そう思うってだけ。
基本的に生きたくないです。
だから、幸せが眩しい。
ちょっと不幸なくらいが、ちょうどいいなんて、変ですか?
変ですよね。
自ら不幸になりたい人なんていないでしょうに。
幸せにならなければいけない。
本来素晴らしいものである幸せが、苦しい。
だから、ちょっと不幸なくらいがちょうどいい。
生きたくないな……と思いながら、何となく生きてて、
嫌になって、辛くなって、絶望してる日々。
その中だから、ほんの些細なことが、輝いてみえる。
雲の隙間から差し込む光みたいに、溢れ出た光を眺めるだけで、
生きたくない心に少しだけ明かりを灯してくれる。
そうやって、今まで心臓を動かし続けたきた。
これも、幸せだと言っていいでしょう?
でも、自信ないから、不幸でいることを望む自分をまた責める。
期待して、辛くなるなら、
最初から、絶望していればいい。
慢性的な生き苦しさを抱えているのと、失敗も挫折も味わっても立ち上がり続けるのとでは、どちらが辛くないんだろう。
停滞か、変化か。
今日は疲れた。
#時計の針
静かな部屋に秒針の刻む音だけが響いてる。
わたしたちが息をして生きているこの時の流れの中に、
「時間」という名前を最初に付けた人は誰なんだろう。
目に見えないけれど、たしかにこの瞬間にあるもの。
名をつけるというのは、不透明で、不明瞭なものの存在を確かなものにして、共通のものにしてしまうほどの力の強さを持っていると思う。
温泉街の、不思議な世界に迷いこんだ少女もそうだったように。
チクタクチクタク。
秒針を刻む音は、わたしの心臓の音。
人生を生きている音。
今、この瞬間から、ゆっくりと終わりへと誘う音。