#香水
匂いって、強烈だ。
どんなに忘れていても、その香りを鼻に感じれば、一瞬にして脳裏にその存在を思い出してしまう。
私の日常生活から香りを消して数年、今も近い存在なのに、遠くにいるような。確かに存在はあるのだけれど、意識して考えないといけないくらい、私の中で彼の存在が薄れてゆく。
自分の一部だったものが欠けるような感覚。記憶の中での彼が、だんだんと不透明な色になって、どんな風に笑っていたのか、どんな声だったのか、どんな音で名前を呼んでくれたのか、はっきりと思い出すことができない。
いろんな音と匂いの混じる町で、覚えのある香りに、私は思わず立ち止まった。間違えるはずがない。私の隣で香水を撒き散らしていた彼の、あの匂いだ。
だけど、周りを見回しても、彼の姿は見つけることができなかった。世界にひとつしかないわけじゃないし、きっとありふれてる香りだ。たまたま同じものを使っていた別の人かもしれない。
仮に、もし彼だったとしても、私はこの人の往来の中から彼を見つけるのは難しいだろう。
顔も、声も、存在すらも薄れていくのに、匂いだけは、ハッキリと覚えていた。
香水は、香水にしかすぎないのに、彼が使っていたというだけで、あの香りは彼だということが、脳に刻み付けられている。
次第にぼやけてゆく視界に、ふわりと柔らかい香りが舞う。
「はっ。なんだ、変な顔だな。」
顔上げると、こちらを見下ろすニヤケずらと目が合った。途端に、香りが強くなる。
引き金みたいに、埋もれていた記憶が一斉に弾け出した。
私は知ってる。覚えている。ただ、考えていなかっただけで。
ちゃんと、この人のことを、知っている。
「うっさい。」
瞳に宿る熱を誤魔化すように、私は乱暴に口を開いた。
8/31/2024, 10:38:30 AM