「どうして」
僕の目の前で彼はいなくなった。僕は彼に何も言えなかった。 今までで一番穏やかで、安心したようなその顔に、見惚れてしまったから。綺麗だと、そう思ってしまったから。
僕は死ぬのが怖い。死を体験したことがないくせに。死とは何かも知らないくせに。死が視界に入るだけで、体が強張る。どんなに苦しくても、どんなに逃げたくても、生きてしまう。生きようとしてしまう。恐ろしいはずの「それ」を、全て知っているような彼が羨ましかった。それと同時に、僕の知らない世界を見つめる彼を理解することはできなかった。だが、あんなにも綺麗な顔をされては、苦しさを先延ばしにしてまで生きようとする自分が、滑稽に思えてくる。彼は、どんな世界を観ていたんだろう。もうその答えを知る由もない。彼は僕の知らない世界を独り占めにして、去っていった。
これじゃあ、勝ち逃げじゃないか。
「夢を見てたい」
この世界はモノクロだ。色がまるでない。
朝、目を覚ませばいつもの天井があって、体を起こせば見慣れた部屋がある。決まり切った手順で身支度を整え仕事へ向かう。それなりに作業をこなして、また同じ部屋へ帰ってくる。ただそれだけの一日。まるで歯車のように規則的に、決められた動きを繰り返す。すれ違う人々も、新しく上映された映画も、会社の友人でさえ、私の心を揺らすことはない。「想定内」その一言で終わってしまう。この世界には意外性というものが欠けている。否、世界というプログラムにはぎ落とされてしまったのかもしれない。だから私は夢を見る。私は夢で毎日違う人間になる。ある日は冒険家で自由気ままに旅をする。またある日は学生として机に向かう。魔法を操り、重力に囚われず空を自由に飛翔する日もある。その時間だけは、世界に色がある。何万通りもの人生を、夢の中で生きることができるのだ。けれど夢は永遠ではない。終わりが近づくと、決まって空を飛べなくなる。自由は少しずつ奪われ、現実が私を地上へ引き戻す。そして目が覚める。そこにあるのは色のない朝と歯車が回り出す音だけだ。江戸川乱歩は「現世は夢 夜の夢こそまこと」という名言を残している。夢の中にこそ、変わり映えのない世界に埋もれた本当の自分がいるのかもしれない。
だから私は、せめて眠っている間だけでも、夢を見てたい。
「ずっとこのまま」
十月三日 四時三十分
「今まで、ありがとな」
待ってくれ。また、また俺はお前を失うのか?ユウの姿が視界から消える。反射的に手を伸ばす。届かない。遅れてドサッと下で鈍い音がする。あぁ、まただ。また救えなかった。今回は飛び降りか。この世には命を失う要素が多すぎる。交通事故で、病気で、通り魔に刺されて、自殺で…。これらから一人の人間を守るのは、こんなにも難しい。次だ。次こそは生かしてみせる。
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今日は八月三日。…残り六十一日。
いつも通り玄関のインターホンが鳴る。
「おーい、学校行こーぜー」
耳にタコができるほど聞いた呼びかけに短い返事で応答する。玄関を開けると太陽と見間違えるほどの眩しい笑顔と、喉にメガホンが入っているのではないかと疑うほどの声量の持ち主。後藤ユウが立っている。
「おはよーさん!お?今日はご機嫌n…」
『斜めじゃねぇよ』
このやりとりは何回目だろうか。数えるのも、とっくの昔に止めてしまった。いつもの通学路、いつもの景色、いつもの会話。
『おい足元、気をつけろよ。』
言っても無駄なことはわかっている。
どうせ此奴は、
「え?…わわ!!」
いつもここで転ぶのだから。ほんと、変わんねぇな。…変わらないままで居てくれたらいいのに。
いつも通り日々が過ぎていく。此奴との変わらない日々が静かに消費されていく…。
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十月三日。今度こそ、終わらせる。
玄関のインターホンが鳴る。
「おーい。学校行こーz」
『うるせぇ』
それでも扉を開ける。ユウはいつも通りのその顔で立っていた。学校では特に何も起こらなかった。授業中の居眠りも、休み時間のバカ笑いも…。全部知っている光景だ。
放課後。
いつも通りなら、今日の放課後。ユウは部活を休む。今回はここで選ぶ選択を変えてみることにした。
『なぁ、今日一緒に帰らね?』
「え?珍しいな。お前、いつも部活休まないじゃん。あ!もしや、いつも俺が部活休んで遊んでるの、羨ましくなっちゃった?そっかそっかー!んもー。なかなか言い出せなかったんだね?!そんなに俺と居たいか!そうかそうか!」
相変わらずよく回る口だ。聞くだけで疲れる。それでも、今日はそれがありがたかった。
二人での帰り道。たくさんの寄り道をした。
『今日はお前の家まで送ってくよ』
どうしても、そのまま解散というわけにはいかなかった。絶対に此奴を家まで返さねば。一度帰宅してしまえばきっと…。
「え?!お前、ほんと今日はどうしたんだよ。やけに優しくね?はっ!もしやここで借りを作って今度何か要求してくるとか…?!その手には乗らんぞ!お前に借りを作っていい試しがない!」
此奴…。まぁ、その点については否定しないが…。だが、今回は別だ何が何でも一緒に帰る。そう言ってせがめば、なんだかんだ一緒に帰ってくれることになった。絶対に此奴を一人にさせるわけにはいかない。
夕方の空がいつもより一段と赤い。
ユウが急に立ち止まる。
「なぁ」
いつもより声が低い。
「今日さ…」
続きを聞きたくなかった。聞かなければまだ一緒にいられる気がして。
『帰るぞ』
強く言ったつもりだった。けれど、ユウは笑って
「ありがとな!楽しかった!」
少しホッとした。想像していた言葉よりも全然軽かった。
『あぁそうかよ』
二人でまた歩き出す。今回は、うまく行った。五時四十分。最高記録だ。今、ユウは過去で1番長く生きている。成功、でいいのか。ユウを家に送ってから自分も帰路に着く。そして初めて十月三日の就寝についた。
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翌日、ユウが死んだことを告げられた。詳しくは聞かなかった。聞く必要がなかった。盲点だった。別に家出だって死ぬことはできるのだ。あぁ、またダメだった。今回は俺の見ていないところで。守るなら、そばにいるだけでは足りないらしい。
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八月三日。
「おーい、学校行こーぜー!」
もう、このままでいいかもしれない。どんなに足掻いても此奴が死ぬのなら。運命という言葉でしか説明できないものがあるのなら。この二ヶ月間を永遠と彷徨ったって。ずっと、このまま。
「冬晴れ」
冬の散歩が好きだ。
どの季節より空気が透き通っていて、景色がいつもより綺麗に見える。晴れている日は一段と寒さが増すが、それがいい。息を吸い込めばその冷たさが胸の奥まで流れ込んでくる。吐いた息は白く、フッフッと短く吐くのも長く細くフーっと吐いて眺めるのも楽しい。歩きながら何度も息を吐いては、すぐに消えていくのを目で追ってしまう。何となく子どもに戻った気分だ。
別に喉が渇いたわけではないが、自販機を見つけると温かい飲み物を買いたくなる。小さめの缶を選んでポケットの中に入れると、じわぁっと温かさが広がっていく。ポケットに手を突っ込んで、その感触を確かめながら歩くのもいい。
公園にふらっと立ち寄ってベンチに座ろうかと思ったけれど、座面に残った霜がまだ溶け切っていないのを見つけてそのまま通り過ぎることにした。
今日は冬晴れだ。空を見上げると、自然と足取りも軽くなった。
今年の抱負
今年の抱負は書店を訪れる頻度を増やすことですね。
自分、江戸川乱歩さんの作品が大好きなんです。
書店で見つけるたびに購入し、読み進めてきたのですが、最近はまだ読んだことのない作品に出会えていません。もしかすると、もうすべて読み尽くしてしまったのだろうかと思いながら、それでもまだ見ぬ作品を求めて書店を巡っています。
見つからない間は、もう二〜三周目になりますが、乱歩さんの小説を読み返しながら気長に待とうと思います。
乱歩さんがこの世にいらっしゃらない以上、もう二度と新作が連載されないことを思うと、とても悔やまれます。
乱歩さんが生きていた時代を自分も同じように生きて、乱歩さんの連載を心待ちにしてみたかったな、なんて度々思います。
みなさんは、同じ時を生きてみたかったと思う方はいらっしゃいますか?