51好きな本
子供のころ、川の中洲にエロ本を拾いにいくという大冒険が流行っていた。誰がなんの目的でそうしているのかは知らないが、とにかくそこにいけば、捨てられたエロ本にありつけたのだ。まだインターネットも普及しきっていない頃の話である。
当たり前だが非常に危険な行動であるからして、見つかれば大問題になったしこっぴどく怒られた。それでも小中学生男子は中洲を目指して全身ずぶ濡れで歩いた。捕まっても、誰も真実を言わなかった。懐かしくバカバカしい、昔の話である。
50 あじさい
鎌倉の大町には、海がない。
由比ガ浜や材木座といった有名な浜と、目と鼻の先の距離にあるのに。
小町通りや鶴岡八幡宮からだって、速足なら二十分くらいでたどり着けるのに。
近隣にあるのはただ、家とか神社とか病院だけだ。ここは普通の街。ただ当たり前に、人が住み、ごくごく普通に暮らしている。
二十年ほど前、夫と二人で小さな家を買った。二人とも、鎌倉が好きで、どうにかやりくりして駅裏の小さなマンションに住んでいた。子供ができたらもう少し広くて便利なところに引っ越したほうがいいんだろうか、そんな相談をしつつも、日々は平和だった。
ちょうどそんなときに、私は子どもができない体だと診断を受けた。
離婚を申し出たが、夫は「大好きな街の片隅で、古い家を買って、アジサイでも育てながら年を取りたい」と首を縦に振らなかった。
そうして住み始めた少し古ぼけた家。うちの庭にはきれいなアジサイが咲く。
有名なお寺さんのみたいに大ぶりじゃない。だけどとてもきれいだ。
海のない町の片隅、花弁どうし寄り添うように、今年も咲いている。
「よく咲いたね」
しとしとと細い雨が降る六月の朝、夫がのんびりと言った。そうね、と私は返す。
たったそれだけのやり取りを毎年している。来年も再来年も、きっとそういう風に、過ぎていくだろう。
49好き嫌い
「お父さん、僕ね、アルティメットワイルドスティンガーと、絶竜孤斬剣で迷ってるんだよ……」
「うん? なんて?」
「だから、アルティメットワイルドスティンガーと、絶竜孤斬剣。どっちも好きだから、選べないの」
小学三年生の息子が、一枚の封筒を見せてきた。
学校で今年から使う、書道セットの注文のお知らせである。
私が子供だった頃は、せいぜいパステルカラーとモノトーンの二択、と言う感じだったが、最近は10や20もある中から選べるようになっている。多様性の時代だ。単純に華やかでもあるし、いいものだと思う。
「どっちもかっこよくて、選べないんだ…」
新旧のキャラもの、なじみ深いお菓子のパッケージ、無地からグラフィックアート風、少女向けのキラキラ風。
そして、少年向けのドラゴンと剣。ご丁寧に、西洋風の騎士と和風のサムライと2パターンが用意されている。
西洋風がアルティメットワイルドスティンガーで、和風が絶竜孤斬剣。
「究極の選択だな…」
「うん……」
親子で頭を抱える。多様性の時代には選択肢がたくさんある。好きなものがたくさんある。一つを選ぶのも、それはそれでなかなか大変なのだった。
47やりたいこと
激辛レベルが50あるカレー屋にはまり、1から50まで1ずつ刻んで食べている。御年70近いと思われる、魔術師のようなインド出身のシェフが秘蔵の激辛スパイスを1から50倍まで振り入れ、辛さを調整するらしい。「飛び級」は禁止なので、あくまで順番に、だ。
10までは、辛さと旨さがよく引き立てあっていた。
20までは、辛さの奥にある旨さを探りあてるように食べていた
30までは、ただ辛かった。
40までは、ただ死ぬほど辛かった。
45から、俺の周囲に野次馬があつまるようになった。
49までは、全身から汗と涙と鼻水を吹き出させつつ食べた。完食すると拍手が巻き起こった。
そして今日。
悲願である50達成の日だ。
体のコンディションは整えた。野次馬も集まった。
さあ、俺のために50辛を出してくれ。
そう思って注文したのに、若いシェフの返事は無情だった。
「激辛担当のシェフ、昨日で辞めてインド帰ったよ。体きついって」
そんな!!!!!!
あのシェフの秘蔵のスパイスでないと、あの辛さは出せないのに!!
俺は絶望した。
しかし事情が事情だ、仕方ない。
俺はかつて頼んだことの無い、お子さま向けの甘口を食べることにした。最後の挑戦ができないなら最初の、さらにその手前に戻るのもオツだと思ったからだ。
甘い。
野菜と果物とはちみつの、心に染み入るような奥深い甘さだった。
激辛に慣れきった体に、その甘さは優しく溶けていく。
うまい。俺は泣いていた。優しさと美味しさに、泣いていた。気付けは野次馬も泣いていた。みんなが子供のように泣いて、激辛チャレンジは幕を閉じたのだった。
46世界の終わりに君と
世界の終わりまであと100日と言われて、1日一作ずつ、ちいさな物語をつくりはじめた。
果たして誰か、読んでくれているだろうか。
世界は、あと50日くらいで終わる。
物語の終わりと一緒に、私もどこかへいなくなるだろう。
この話が、いつか誰かに見つけてもらえることを願っている。