50 あじさい
鎌倉の大町には、海がない。
由比ガ浜や材木座といった有名な浜と、目と鼻の先の距離にあるのに。
小町通りや鶴岡八幡宮からだって、速足なら二十分くらいでたどり着けるのに。
近隣にあるのはただ、家とか神社とか病院だけだ。ここは普通の街。ただ当たり前に、人が住み、ごくごく普通に暮らしている。
二十年ほど前、夫と二人で小さな家を買った。二人とも、鎌倉が好きで、どうにかやりくりして駅裏の小さなマンションに住んでいた。子供ができたらもう少し広くて便利なところに引っ越したほうがいいんだろうか、そんな相談をしつつも、日々は平和だった。
ちょうどそんなときに、私は子どもができない体だと診断を受けた。
離婚を申し出たが、夫は「大好きな街の片隅で、古い家を買って、アジサイでも育てながら年を取りたい」と首を縦に振らなかった。
そうして住み始めた少し古ぼけた家。うちの庭にはきれいなアジサイが咲く。
有名なお寺さんのみたいに大ぶりじゃない。だけどとてもきれいだ。
海のない町の片隅、花弁どうし寄り添うように、今年も咲いている。
「よく咲いたね」
しとしとと細い雨が降る六月の朝、夫がのんびりと言った。そうね、と私は返す。
たったそれだけのやり取りを毎年している。来年も再来年も、きっとそういう風に、過ぎていくだろう。
6/14/2023, 9:37:59 AM