kamo

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5/17/2023, 12:12:31 AM

30愛があれば何でもできる?

だんな様には毎日「好きです」って言ってほしい。
それは祖母が結婚するときに出したほとんど唯一の条件だったそうだ。
祖父はそれを最後まで守った。98歳。結婚してから70年だから、だいたい25500回くらい。大喧嘩で冷戦状態のときも、歯がなくなって発音がおぼつかなくなってからも。安保反対デモに出た帰りも、オイルショックでトイレの紙がなくて困ってるときでも。一日一回、きっちりと。十年くらい前からは、お仏壇に向かって。ここ一年くらいは、ベッドの上で。三日前からは、ほとんど意識がなくなっても。
そしてたぶん、今日が最後になると言われていた。もううつらうつらしているだけで、ほとんど目も開けない祖父が、何か言おうとしている。
ほとんど聞き取れないけど、たぶん最後の「好きです」なのだろう。返事をしたら本当に終わりになってしまう気がして、私も父もおばさんたちも、ただ黙っていた。祖父がちいさく微笑んだ気がした。

5/15/2023, 10:17:50 PM

29後悔

「しまった…」
朝の湘南新宿ラインに乗って居眠りをし、それが熟睡になり、気がつくと群馬にいた。当たり前だ、ここが終点なのだから。目の前には湘南でも新宿でもない、全く知らない町並みが広がっていた。毎日のように案内板でみている地名だが、なるほどこう言うところだったのかと発見でもした気分だった。
空は、よく晴れている。
「温泉でも…入るかぁ」
後悔はしている。しかし不思議なほど、焦りはなかった。人はいきなり遠いところにやって来てしまうと、何かが吹っ切れるものなのだろうか。もちろん上司はおかんむりだろう。だけどこうなったら、すぐに戻るのも勿体無い気がしてきてしまう。普段の自分なら、こんな開き直った気持ちに絶対ならないのに。群馬に来ると、きっと開放的になるのだ。いっそ泊まって遊んでやろうかと思う。
居眠り一秒、群馬に一泊。注意一秒怪我一生、みたいな発音で呟き、とりあえずは歩きだした。

5/14/2023, 10:55:30 AM

28風に身をまかせ

物心ついた時から異常に鼻がよく、名前の無い落とし物の主を匂いで当てたりすることがよくあった。不思議なことに、人からの匂いにしか発揮されない敏感さで、知らない人の匂いをひたすら追いかけて家を突き止めることまでできてしまった。いい匂いも良くない匂いも、ふわりと風にのって、嫌も応もなく目の前に現れる。
「それで、すみれ組のまいこ先生、また主任のゆきえ先生に怒られててね…」
「あそこ二人ってまだ仲悪いのねー!」
まさに、こんなふうにだ。
いま、目の前で噂話で盛り上がっているママ友からは、愛ちゃんパパ、優希くんパパ、楓ちゃんパパ、それにうちの夫の匂いがする。
私は帰ったらさっそく、この3人の奥さんたちとの秘密の通話グループを作る。この鼻の鋭さについては、みんな知ってるのに、なんて迂闊な人だろう。
私たちは、対策を話し合わなくてはいけない。
あとのことは…、そう、風に身をまかせて、どうとでも、だ。

5/13/2023, 7:05:21 PM

おうち時間でやりたいこと

「『ドカベン』って、全巻あわせて200巻以上出てるの知ってる? 読破に挑戦したくてとりあえず最初の30巻まとめ買いしちゃったから、今度の週末に読もうと思うんだ。よかったら付き合ってくれない?」
友だち以上恋人未満。
どっちかが一押ししたら間違いなく交際に至るけど、どちらもなんとなく言い出しづらい。
そんな距離感だと信じたい、いい仲の彼女にそう誘われた。
200冊以上のマンガを読破する壮大な計画に誘ってくれたのだから、やはりこれは、脈というものがあるのだろう。喜んでご一緒したい。
だけど僕には、OKできない理由がある。
その日は忙しい?
そんなことはない。暇である。
マンガが苦手?
そんなことはない。毎月二十冊は読む。
実は妻子がいる?
そんなことはない。戸籍の上でもリアルでも、きれいさっぱり、独り身だ。
それでもその誘いに頷けない理由。それは。
「ごめん、僕、野球のルール知らないんだけど…それでもいい?」
そうなのだ。ちょっと恥ずかしいのであまり人には言ってないが僕は野球を知らない。生きてく上で、何故か実績解除できなかったことって、誰しもひとつやふたつ、あるじゃないか。
俺の返事を聞いて彼女は笑った。
「そんなのどうでもいいよ。良ければ教えようか?」
この週末、僕は生まれて初めて野球のルールを知る。もしかしたら彼女ができるかもしれない。

5/13/2023, 9:21:05 AM

子供のままで


うちの夫は、保育園で同じクラスだった頃から、卍みたいな寝相で寝ていた。お昼寝のたびに律儀に卍の形になるのが不思議だった。30年たっても相変わらず卍で、生まれた子供も卍だ。卍の遺伝子が強くてびっくりした。「親子三人川の字」で寝ても、朝起きてそこにあるのはいつも怪文書みたいな有り様だ。まぁ、これはこれで悪くはないのだけれど。

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