NoName

Open App
9/14/2024, 1:04:30 PM

夢はあるかと聞かれたら、もう叶えている。
そう、答えられるのを最近知った。

「頭の中にある物を現実に生み出したらね、それはもう夢を叶えたことになるの。欲しい物を手にすることも夢のひとつなのだから、物を生み出すことも立派な夢なのよ」

休みの日の長閑な昼下がり。
お茶を片手に母親と談笑している時、この言葉をもらった。
これを聞いた時、私は目からウロコが落ちる思いがした。

自覚は一切なかったのだが──
どうやら私は、毎夜夢を叶えていたらしい。

夢を叶えることはもっと大変で、苦労がつきものと思っていた。
色んな困難や難解なものを克服する為に必死に努力して、夢や信念にしがみつくことが、夢を叶えることだと思っていた。

ただ好きでやっていたことが、まさか夢を叶えていることになっているとは──驚きだ。

「例えば、作品とも呼べないラクガキとかでもそうなのかな?」

好奇心から母親に尋ねると
「頭の中にあるものを現実化させているのだから、それもそう。お料理だって、お掃除だってそうなのよ。頭の中のイメージを現実にするのだから、立派に夢を叶えているの」と母親は言った。

夢というのは、案外ハードルが低いらしい。
そう思うと、肩の力が抜けていくのを感じた。

自分らしくいるだけで、もう夢は叶っているし、叶える力がある。
こんなにありがたいことはない。

夢というのは、しっかり考えなくてはいけないもので、将来の道しるべになる重要なものという印象があった。
けれど、母親の言を信じるならば、叶えられる夢は沢山ある。
故に夢を叶える力は誰にでもあって──それが大きい夢か、小さい夢かだけの違いでしかない。

ベイビーステップを重ねて自信をつけ、大きな夢に挑んだって良いのだ。

それに、この世界にある──人が作り出した──物は、誰かの夢が実現したもの。そう思うと心が優しくなり、愛おしい気持ちが湧いてくる。

「実現するまで頑張ったんだろうな」
「夢が叶ったんだね、おめでとう」
「作ってくれてありがとう」

想像すればするほど、世界には光が沢山あるように見えてくる。
これは幸せなことではないだろうか?

そう思うと心が軽くなり、ワクワクしてきた。

この命が燃え尽きるまで、どれくらいの夢を叶えることが出来るだろうか。
母親の理屈を元にすれば、きっと万ではきかないくらい、夢は叶えられる。

「夢」の億万長者も夢じゃない?

何だか、楽しくなってきてしまった。
穏やかな思慮深い心も好きだけど、こういう楽天的な心も私は好きだ。

これからも心が望むままに、軽やかに夢を叶えていこう。
自分らしくで良いのなら、これほど気楽なものはない。

楽しくて明るい道を行こう。
そうすればきっと、楽しいことと出会えるから。
─────────────────────
命が燃え尽きるまで

9/13/2024, 1:03:07 PM

何かが起こりそうな夜明け前。

されど、心は静か。

穏やかな優しい気持ちに満ちている。

さあ、扉を開けて

黄金の夜明けを見に行こう。

新しい一日を祝福するために。

黄金の光に包まれたなら、

もう、迷うことはない。

心が望む行きたい場所へ行き

会いたい人に会いに行こう。


9/12/2024, 1:06:40 PM

本気の恋。


人を好きになるまでの流れを整理すると、下記のようになる。

気になる人を見つける

相手がどんな人なのか興味が湧く
相手が何を考えているのか知りたがる
相手とコミュニケーションを取りたくなる

行動

相手との類似性や共通点、相違点を見つける

ここで好きになるか、嫌いになるかの分岐点が発生する。

分岐点で暖かい情ばかりが生まれると、不思議なことが起きる。

共通点を見つけて嬉しくなる事によって起こるバグなのだろうか。
興味や好奇心から始まったことなのに、「興味」が「恋」に成り変わる時がある。
これをバグと捉えるか、正常反応と捉えるのか、その答えはわからない。

しかし、恋というものが生まれると人はバグを起こす。

勇気を出して行動したかと思うと、ちょっとしたことで凹んだり──。
相手と話すだけで嬉しいのに、急に不安になったり──。
「どうして傍に居てくれるの?」と聞きたいのに、臆病になったり──。
相手の優しさに胸が温かくなって、子どものように泣きじゃくったり──。
相手と自分が釣り合っていないように感じて申し訳なく思ったり──。
相手を思っての行動が空回りしたり──。

挙げていったらキリがない。

暖かい愛情の光の中にあるのに、胸の影が強く現れて、自身をコントロール出来なくなってしまう。

端から見れば「何してるの?」と言われるような事でも、当人はクソ真面目であったりするのだから、なんと言ったら良いのだか。
空回りしている当人は、「愛情」の出力が下手になっていることにも気がつかない。

恋愛は脳のバグという謂れは、多分この辺りから来ているのだろう。

恋と脳のバグが解けたところで、肝心の「本気の恋」についてだが──私はそれを「愛」と呼ぶのだと思う。

恋の後に愛が生まれるから「恋愛」と書くのだとしたら、本気の恋の正体は「愛」だ。

「生きてくれているだけで嬉しい」と相手に対して思う時、それはきっと自身の中で愛が生まれているのだと思う。

それに気が付き、心の中心に愛を据えたなら、もう胸の影を恐れることはない。
愛によって影は癒され、消えていくのだから。

その先に待つさらなる光こそ、本当の愛なのかもしれない。

9/11/2024, 1:16:08 PM

今年のカレンダーも残り4枚だ。

大人になると1年が本当に早い。
光陰矢の如しというが、年々その矢が早くなっていく。最早、姿を捉えるのが難しい。

今こうしている間にも、空をかっ飛んでいく矢に問いたい。

「そんなに急いでどこへ行く?」

そう口に出そうとした瞬間、もう姿がない。
なんと早いことだろうか。

矢から答えは得られなかったが、飛んでいく姿は「時に身を任せて進むだけさ」と言っているように見えた。

見えなくなった後ろ姿に向かって更に問う。

「君の意思はないのかい?」

そう問うと「知らないものを知る為に行くのさ」という言葉がどこからか届いた。

なるほど、矢というのは好奇心が旺盛らしい。
楽しそうなら結構なことだ。

一方、「時」というのは不思議なものだ。
辛い時や何かを待っている時、意地悪なくらい時というのは過ぎない。そのくせ、楽しい時は秒で過ぎていく。
かと思えば、自然の中で過ごしている時などは、ゆっくりと流れてみせる。まるで、この世界を堪能して欲しいとでも言うように、優しく寄り添ってくる。

意地悪なのか、優しいのか。
それともそれを知覚する人側に要因があるのか──
凡人には計り知れない。

こうしている間にも、時は進んでいく。
残りのカレンダーもあっという間に過ぎていくのだろう。
その中に、沢山の良い思い出が出来れば幸いである。
────────────────────────
カレンダー

9/10/2024, 1:14:21 PM

喪失感。

元々あったものが、何らかの原因で失った時に感じやすい感情。

自身にとって大切であればあるほど、その苦しみは強く出る。

裏を返せば、それほどまでに幸せであったという証でもある。

失わないとわからない苦しみがあるのだから、この世界はなかなかに意地悪だ。

喪失感に打ちひしがれるか、幸せな思い出として慈しむか。或いは別の感情を抱くか。
それを決める自由は、各人に委ねられている。

喪失感に出会ってしまった時は、沢山泣いて、自分の膿を出す。
そして、時薬の力を持って、大切な幸せな思い出へと昇華する。
人の数だけ方法はあるだろうが、こんな向き合い方もありではないだろうか。

努々勘違いしてならないのは、人を貶める為に心を燃やすこと。
考えられる限り、コレだけは良い未来に繋がらないと思われる。

心の本質に邪が入れば、そちらに引っ張られてしまう。
人の心は、案外強いようで弱く、また、脆い。

故に、心に何を置くかが鍵となってくる。

畢竟、全ては心の在りようなのだから。

────────────────────────
喪失感

Next