本気の恋。
人を好きになるまでの流れを整理すると、下記のようになる。
気になる人を見つける
↓
相手がどんな人なのか興味が湧く
相手が何を考えているのか知りたがる
相手とコミュニケーションを取りたくなる
↓
行動
↓
相手との類似性や共通点、相違点を見つける
↑
ここで好きになるか、嫌いになるかの分岐点が発生する。
分岐点で暖かい情ばかりが生まれると、不思議なことが起きる。
共通点を見つけて嬉しくなる事によって起こるバグなのだろうか。
興味や好奇心から始まったことなのに、「興味」が「恋」に成り変わる時がある。
これをバグと捉えるか、正常反応と捉えるのか、その答えはわからない。
しかし、恋というものが生まれると人はバグを起こす。
勇気を出して行動したかと思うと、ちょっとしたことで凹んだり──。
相手と話すだけで嬉しいのに、急に不安になったり──。
「どうして傍に居てくれるの?」と聞きたいのに、臆病になったり──。
相手の優しさに胸が温かくなって、子どものように泣きじゃくったり──。
相手と自分が釣り合っていないように感じて申し訳なく思ったり──。
相手を思っての行動が空回りしたり──。
挙げていったらキリがない。
暖かい愛情の光の中にあるのに、胸の影が強く現れて、自身をコントロール出来なくなってしまう。
端から見れば「何してるの?」と言われるような事でも、当人はクソ真面目であったりするのだから、なんと言ったら良いのだか。
空回りしている当人は、「愛情」の出力が下手になっていることにも気がつかない。
恋愛は脳のバグという謂れは、多分この辺りから来ているのだろう。
恋と脳のバグが解けたところで、肝心の「本気の恋」についてだが──私はそれを「愛」と呼ぶのだと思う。
恋の後に愛が生まれるから「恋愛」と書くのだとしたら、本気の恋の正体は「愛」だ。
「生きてくれているだけで嬉しい」と相手に対して思う時、それはきっと自身の中で愛が生まれているのだと思う。
それに気が付き、心の中心に愛を据えたなら、もう胸の影を恐れることはない。
愛によって影は癒され、消えていくのだから。
その先に待つさらなる光こそ、本当の愛なのかもしれない。
9/12/2024, 1:06:40 PM