「この道の先に何があるか分からないから、行く」
そういう性格なので、見切り発車もよくしてしまう。
これらの行動原理は至って単純で、「好奇心」「興味」の言葉で片付いてしまう。
「最後までやりきれるか」
「今、足りないものは何か」
「必要な時間は、どれくらいか」
「時間の確保は、可能か否か」
計画と呼ばれるそれらをなおざりにして、鉄は熱い内に打てとばかりに、とにかく興味が冷めない内に手を付けてしまうという悪癖が私にはある。
好奇心に駆られた私の頭に「出来る、出来ない」の基準はなく、ただ「やる」という言葉しかない。
そうなってしまうと、例えそれまでやっていた事があったとしてもそれをほっぽり投げて、興味へまっしぐら──その様は、端から見れば暴走列車のように見えるだろう。
暴走列車の燃料が満タンの時、勢いだけは滅法あるので諸々の問題を軽くスルーしてしまう。
ここで誤解をしてはいけない。
これは、問題を解決している訳では無く、あくまでも問題をスルー(無視)しているだけに過ぎない。故に、暴走列車の燃料が枯渇し始める頃、スルーしてきた問題がドドドッと山の様に押し寄せてきてしまう。
問題の多くは、計画を練らなかったことに起因している。所謂、無計画さへ対する罰だ。
燃料が枯渇した暴走列車にとって、それは致命傷となる。
問題が小さいうちならばすぐに解決出来たものも、暴走で無視し続けた事によって問題が膨らみ、更には他の問題と複雑に絡み合って埒のあかない状況となってしまっている。
しかし、悲しいかな。暴走列車は暴走列車でしかなく、燃料が枯渇していようと、前に進むことしか考えていない。
問題をスルーをしてきた時の様な力業をここでも使おうとしてしまう。
しかし、燃料が枯渇し、尚且つ問題の山に直面した今、それをする力がない(それすらも今頃に気付いたりする)。
そうなってしまうと、先へ進みたくても進めず、にっちもさっちも行かないジレンマに焦れて、とうとう走ることすらも放棄してしまう。
以上が、好奇心は旺盛なれど、飽き性の私がよく陥る現象だ。
シンプルな行動原理で実行する時ほど良く立ち止まり、目標への軌道修正を考える「計画」が大切となる。
よくよく肝に銘じておきたいところだが、好奇心の暴走列車を前に思い出せるかどうか…。
自信は、ない。
薄明光線
或いは
光芒
または
天使の梯子
雲間から差す日差しは
名称までも美しい。
月明かりのない夜空に潮騒が響いている。
真っ暗な夜の海岸で山高帽を被った男──思考の海の番人と、白い詰め襟コートを着た女──初代が談話している。
「最近本体の方に面白い動きがあったわよ」
白い詰め襟コートの女──初代は、そう言って妖艶な笑みを浮かべると、懐から白いカードを取り出した。
白いカードはトランプほどのサイズで、中心に「窓」の文字が書かれている。
山高帽の男──思考の海の番人は、カードと初代を交互に見ると、「君の能力はある程度理解しているつもりだったが、それは何をする為のものだ?」そう言いながら首を傾げた。
「これは、文字通り窓よ。色々な世界を見れちゃう優れものなの」
腰に手を当てつつ胸を張る初代は、どうだと言わんばかりに得意げな表情をしている。
一方の思考の海の番人はというと、「ふーん」と言うだけであまり響いていない様子だ。
「百聞は一見に如かず。この窓の字をよーく見ててちょうだいね」
そう言って初代が窓の文字に人差し指を当てると、窓の文字が消え、カードの中に映像が広がった。
「これは今日のお昼、本体が見た映像よ」
ミントグリーンのケースが付いたスマホとそれを操作する本体の手がカードの中に映っている。
スマホの画面には何やら文字が並んでいる。何かしらの文章でも読んでいるのかと、それとなく文字を追うと、主語、述語、修飾語、並立の関係等、遥か遠くに置き去りにしたかつての懐かしい文字たちがそこにはあった。
それらの文字が並ぶページは、随分とカラフルな色合いをしている。欄外には、注意点や発展などのコラム的文章もあり、一見実用書系の本にも見えるが、練習問題の文字を見た瞬間ハッと気がついた。
「これは…国語の、参考書?」
思わず口から漏れた言葉だったが、初代はニヤリと笑うと「当たり♪」と歌うように言った。
「何で今さらこんなものを?」
本体はそれなりにいい歳をした大人だ、今さら学生が見るようなものなど必要ないだろうに。
釈然としないものを感じながら初代に問いかけると、初代はイヒヒといたずらっ子のように笑った。
「お勉強が必要なんですって、彼らの為に」
初代がそう言ってカードを二度三度振ると、カードの映像が変わっていた。
沢山の書類が積まれた机の前で、オフィスチェアーに座る男女が談笑している。お茶を片手に和やかな雰囲気だ。
気心の知れた者同士が出せる空気がそこには広がっている。
楽しげな二人の姿に見入っていると、映像が変わった。
夕暮れの空を背景に男女の学生がフェンスに寄りかかりながら会話をしている。
学生らしからぬどこか冷めた表情がある二人だが、喧嘩をしているわけではないらしく、これが彼らの「普通」なのだろう。
声を張り上げて笑いあうでもなく、淡々と互いが互いの存在を許し合っているような空気がある。しかし、果たしてそれで合っているのだろうか。
掴めそうで掴めない不思議な感覚に混乱していると、カードの中の映像がプツリと消えた。
映像を途絶えさせた白いカードは、「窓」の一字へと姿を変えると、お役御免とばかりに初代の手の中で姿を消した。
「今映ったどの男女も互いの事を憎からず思っているのに、全然恋愛に発展しないのよね」
カードを収納し終えた初代は、不満とばかりに頬を膨らませている。
「この窓からちょっとイタズラして、関係の発展をさせちゃおうかと何度思ったことか」
「そういうことは、彼女が嫌うことだろう」
俺達の絶対君主である彼女は、物語の過干渉を嫌う。登場人物達の意向に任すべしというのが彼女のポリシーだ。
「わかっているわよ、それくらい。まぁ、でも、本体がやる気を出しているみたいだし。それによっては、彼らの物語が進むかもしれないわね」
「俺は、本体の三日坊主っぷりを知っているから、なんとも言えないな」
思考の海の番人の言葉に初代は苦笑を返した。
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窓越しに見えるのは
赤い糸があるとして、その糸で結ばれる人物が自分にとって最高の相性である可能性は何%なのだろうか。
赤い糸で結ばれた人なのだから100%?
運命の人といえども他人なのだから100%未満?
…他人への期待し過ぎはそのままブーメランとなって自分に返ってきそうだ…。もしそうなったら、受け止めることは出来ない自信がある。
…。
こんな事を思っているから、いつまでも自分の赤い糸は途切れたままなのかもしれない。
さて、思い立ったが吉日とばかりに本日、一部の文章をサルベージして別所に纏めた。
修正等は後回しにして、どれだけの数があるのか把握しようと思って取り組んだのだが…。
ラボ組だけで26話書いていた。
正直もっと少ないと思っていたので、意外な数字だった。
1話の文字数は、500から2000程。
こちらで書いているものは地の文等を省略していることが多いので、手を加える時はその辺りを主にやっていくか、まるっと書き換えを行いたいと思っている。
その為には、設定の精査と整理、植物の資料集めが必要となるだろう。
入道雲の如く想像がモクモクと広がる一方で、「いつそれをやるのだ?そんな時間があるのか?そもそも、それをして何か意味があるのか?」と問いかける黒い雲がモクモクと広がっていった。
どうやら、想像の入道雲の一部が積乱雲と化してしまったらしい。
これだから、自身のネガティブ思考は嫌いだ。
些細なことでも足を引っ張ろうとする。
「やることに意味はないが、やること全てに意味は必要なのか?」
黒い雲に問いかけると、雲は広がるのを止めて黙り込んだ。
「私はお前が気にする無駄な遠回りも別に苦ではない。遠回りには遠回りの景色がある。最短を行くばかりが最良とは思っていない。人から見れば愚かな事に時間を割いているのだろうが、それすらも私は気にしていない。そうでなければ、ここで毎日文章を書くということもしていない。お前は転ぶことを心配しているようだが、進む道が悪路とは限らない。歩いてみなくては、体験しなくてはわからないのだよ」
言葉に言葉を重ねると黒い雲はスッと姿を消した。
後に残るのは、モクモクと呑気に膨らむ入道雲ばかりとなった。
綿あめのように軽くて甘そうな雲に頬が自然と緩んでいく。
さて、想像を続けるとしよう。
想像を文字に落とし込む創造を。