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月明かりのない夜空に潮騒が響いている。

真っ暗な夜の海岸で山高帽を被った男──思考の海の番人と、白い詰め襟コートを着た女──初代が談話している。

「最近本体の方に面白い動きがあったわよ」

白い詰め襟コートの女──初代は、そう言って妖艶な笑みを浮かべると、懐から白いカードを取り出した。
白いカードはトランプほどのサイズで、中心に「窓」の文字が書かれている。

山高帽の男──思考の海の番人は、カードと初代を交互に見ると、「君の能力はある程度理解しているつもりだったが、それは何をする為のものだ?」そう言いながら首を傾げた。

「これは、文字通り窓よ。色々な世界を見れちゃう優れものなの」

腰に手を当てつつ胸を張る初代は、どうだと言わんばかりに得意げな表情をしている。
一方の思考の海の番人はというと、「ふーん」と言うだけであまり響いていない様子だ。

「百聞は一見に如かず。この窓の字をよーく見ててちょうだいね」

そう言って初代が窓の文字に人差し指を当てると、窓の文字が消え、カードの中に映像が広がった。

「これは今日のお昼、本体が見た映像よ」

ミントグリーンのケースが付いたスマホとそれを操作する本体の手がカードの中に映っている。
スマホの画面には何やら文字が並んでいる。何かしらの文章でも読んでいるのかと、それとなく文字を追うと、主語、述語、修飾語、並立の関係等、遥か遠くに置き去りにしたかつての懐かしい文字たちがそこにはあった。
それらの文字が並ぶページは、随分とカラフルな色合いをしている。欄外には、注意点や発展などのコラム的文章もあり、一見実用書系の本にも見えるが、練習問題の文字を見た瞬間ハッと気がついた。

「これは…国語の、参考書?」
思わず口から漏れた言葉だったが、初代はニヤリと笑うと「当たり♪」と歌うように言った。

「何で今さらこんなものを?」
本体はそれなりにいい歳をした大人だ、今さら学生が見るようなものなど必要ないだろうに。
釈然としないものを感じながら初代に問いかけると、初代はイヒヒといたずらっ子のように笑った。

「お勉強が必要なんですって、彼らの為に」

初代がそう言ってカードを二度三度振ると、カードの映像が変わっていた。

沢山の書類が積まれた机の前で、オフィスチェアーに座る男女が談笑している。お茶を片手に和やかな雰囲気だ。
気心の知れた者同士が出せる空気がそこには広がっている。
楽しげな二人の姿に見入っていると、映像が変わった。

夕暮れの空を背景に男女の学生がフェンスに寄りかかりながら会話をしている。
学生らしからぬどこか冷めた表情がある二人だが、喧嘩をしているわけではないらしく、これが彼らの「普通」なのだろう。
声を張り上げて笑いあうでもなく、淡々と互いが互いの存在を許し合っているような空気がある。しかし、果たしてそれで合っているのだろうか。
掴めそうで掴めない不思議な感覚に混乱していると、カードの中の映像がプツリと消えた。
映像を途絶えさせた白いカードは、「窓」の一字へと姿を変えると、お役御免とばかりに初代の手の中で姿を消した。

「今映ったどの男女も互いの事を憎からず思っているのに、全然恋愛に発展しないのよね」
カードを収納し終えた初代は、不満とばかりに頬を膨らませている。

「この窓からちょっとイタズラして、関係の発展をさせちゃおうかと何度思ったことか」

「そういうことは、彼女が嫌うことだろう」
俺達の絶対君主である彼女は、物語の過干渉を嫌う。登場人物達の意向に任すべしというのが彼女のポリシーだ。

「わかっているわよ、それくらい。まぁ、でも、本体がやる気を出しているみたいだし。それによっては、彼らの物語が進むかもしれないわね」

「俺は、本体の三日坊主っぷりを知っているから、なんとも言えないな」

思考の海の番人の言葉に初代は苦笑を返した。

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窓越しに見えるのは

7/1/2024, 2:16:19 PM