放課後。
いつものように屋上の扉を開くと、丸められた紙切れが足元に転がってきた。
以前も屋上の扉付近で彼女が紙切れを拾ったことを思い出す。
紙を丸めて投げる遊びでもしている輩がいるのだろうか。
足元にピタリと寄り添うゴミのようなソレを拾い上げ、ズボンのポケットにねじ込む。
周囲に人の気配が無いことを確認すると、俺は扉をくぐり音がしないように扉を締めた。
屋上に出ると、ゆるりと麗らかな風が髪を撫ぜていった。
風に乗って来たのか、放課後の野球部の走り込む声が聞こる。
来る試合に向け練習に熱が入っているのだろう。
いつもの練習より声が大きい。
体力づくりの為とはいえ、走りながら声を出すなんてよく出来るものだ。
ユニフォーム姿だからこそ出来ることで、これがもし、スーツなんかだったりしたら異常風景だろう。
額に汗を流し、同じユニフォームを着て仲間と目標に向かう。一人はみんなの為に、みんなは一人のために。これぞスポ魂!夢見よ若人!
なんて、自分に合わない青春だろうか。
きっと自分みたいなのは異常で、健気に走り込む彼らの方が正常なのだろう。
鬱々とした気分になりそうだ。
気分転換にさっき拾った紙でも見てみよう。
以前は確か「楽園」とかいう訳のわからない文字が書かれていたが、今回のコレにも文字があるのだろうか。
丸められた紙を広げてのばしてみる。
ソコには予想通りあの時のように文字が書かれていた。しかし、今回は楽園の二文字ではない。
「二人だけの秘密?」
随分意味深な文字だ。
楽園の時も変なメモ書きだと思ったが、もしかして、誰かとやり取りしている紙でも拾ってしまったのだろうか。
楽園と書かれていた紙切れは彼女によって遠くへ飛んで行ってしまった。
その楽園という文字が実は何かの暗号、或いは重要な言葉で、この紙を書いた人物は二人だけの秘密という言葉で再度「楽園」という言葉を得ようとしているのではないだろうか。
もしそうならば、自分たち以外にもこの屋上を使っている人物がいることになる。
放課後は基本俺達がいる。そうなると、放課後以外の時間に侵入しているのだろうか。
休み時間は、教室外にも生徒の目がある。
人目を避けながらここまで来るのは至難の技だ。よほど気配を殺し慎重に行動しないと出来ない。
人目を避けて、扉の鍵を解除して侵入。本当に放課後以外に出来る行動だろうか。
ん?ちょっと待てよ。扉の鍵?
そうだった。
この屋上の扉は彼女によって細工されている。
普通の開け方は出来ないようになっている。
それとも、自分のように偶然開けた人物がいるのだろうか。
ここは彼女と会って話せる大切な場所だ。
心にモヤモヤとした影が広がっていく。
とても不快な気分だ。
気持ちを切り替えたいが駄目だ。出来ない。
どこの誰かも知らない第三者なんかに踏み込まれたくない。
俺と彼女の二人だけの聖域だ。
頭の言葉と連動するように耳の奥で脈がドクドクと激しい音を立てている。
俺は自身の中で沸き起こる激しい衝動に駆られるまま、二人だけの秘密と書かれた紙を両手に持つと、勢いよく裂いた。
紙が断末魔の悲鳴をあげる。
その音に被さるように紙をビリビリに破く。
細かいゴミクズとなった二人だけの秘密を俺は、空へと放り投げた。
優しくしないで…。
…(´・ω・`)ソンナコトイウナヨ
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時刻は午後3時。
1日の仕事の中で昼食の次に楽しみにしている時間だ。
助手が淹れてくれた美味しい日本茶に、美味しい栗饅頭。疲れた脳に嬉しいご褒美だ。
白餡と栗の甘みを堪能していると、助手が話しかけてきた。
「優しくしないでって言葉あるじゃないですか、アレって何でしょうね」
「っどうしたの急に」
「久しぶりに学生時代に読んだ恋愛モノを読み直していたら、台詞の中に出てきたんですよ」
あぁ、恋愛物語か。
すわ何かあったのかと思ったので、ちょっとホッとした。
助手は質問内容より本の内容を言いたいようだ。ヒロインが─とか、幼馴染が─とか熱弁している。
学生時代に読んだ時の気持ちが蘇って、作品にお熱なのかもしれない。
しかし、「優しくしないで」か。
優しくされちゃうと惚れちゃう的な流れでの台詞なのだろうか。
男の自分には縁遠い台詞だ。
ふと自分の言葉に違和感を感じて首を傾げる。
男の自分には縁遠い?
男でも優しくされたら勘違いしたりするし…性別は…関係ないのでは?
ん?じゃあ縁遠いのは男だからじゃなくて、別の問題?
「博士。はーかーせ」
「えっ」
眼の前で手をヒラヒラとさせている助手と目が合った。
「やっと気が付いた。遠い目をしてましたよ。大丈夫ですか?」
「あっ、ごめんね。ちょっと…その、考え事してた」
僕の言葉に助手は「顎に手を添えなくても考え中の時があるんですね」と不思議そうに呟いた。
えっ、僕そんな癖あったの?
「人の話も聞かない悪い博士は、何を考えていたんですか?」
茶目っ気たっぷりな表情で助手がからかってくる。
まったく、目をキラキラさせちゃって。悪戯好きの猫みたいだ。
「優しくしないでって、人生で言った事ないな…って…」
そこまで言って、何か不味い事を口走った様な気がして僕は慌てて口を噤んだ。
いつもだったら打てば響く助手が無言になってしまっている。
研究室の壁にかけられた時計の針の音だけが、カチカチと嫌に響く。
やばい。よくわからないけどやっぱり何かマズかったようだ。
頭を抱えたい気持ちをグッと堪えていると、助手の手が動いた。
白魚の手がそっと口元に添えられる。
暫しの間があった後、形の良い唇が言葉を発した。
「…多分、博士は優しい人だから。人からの好意を断れないんじゃないですか?」
その言葉に思わず僕はドキリとした。
図星だ。
僕は断ることが苦手だ。歳を重ねた今でも、断るべき時に断れず苦労していたりする。
内省へと傾く思考の一方で、聴覚は、まだまだ続く助手の言葉を具に拾っていく。
何だろう、博士って内心ではいっぱい抱えているけれど決して表には出さないじゃないですか。
いつも私とか周囲の人に優しくて気遣いも出来て、ニコニコ穏やかって凄いことですよ。
他者からの好意やお節介すらも取り敢えず「ありがとう」って受け入れるし、自身と違う意見とかがあってもそういうものとして知識にしていますよね。
多様性を受け入れる度量が博士にはあるんです。そういう大人な人だから、相手の事を拒絶したことが無いんだと思いますよ。
助手は、名推理と言わんばかりに満足げな顔をして自身の言葉に酔ってしまっている。
どうしよう。
凄い分析されている。
僕って他人から見てそんなわかり易い奴なのだろうか。
今まで出会ってきた人たちにも、色々バレバレだったのだろうか。
そう思うと、穴があったら今すぐにでも入ってしまいたい。そしてどうか暫くそっとしておいて欲しい。
羞恥心と照れのようなごちゃごちゃとした感情に堪えきれず、手で顔を覆うと、助手が追い打ちをかけてきた。
「博士は素敵な人ですから」
そう言う助手の声はどこまでも朗らかだった。
僕は、ぐるぐるとした感情に飲まれながら心の中で叫び声を上げていた。
助手よ、お願いだからこれ以上優しくしないで。
僕は、今混乱中です。
その叫びを最後に僕は、ぐるぐるとした感情に飲み込まれていった。
カラフル…。
先程まで見ていたライブ配信の余韻が冷めない。
今日は、そんな夜です。
赤、青、ピンクを基調に、曲に合わせ虹色等を使用した光の演出と歌声が相まって、とても色鮮やかな世界でした。
音色と言いますが、音と色が組み合わさるとどうしてこうも心が揺れるのでしょう。
色と心理、音と心理の深い関係が、相乗効果となって現れているのでしょうか。
深く考えてみたいところですが、どうも頭の中は、先程のライブ配信で受けた色の洪水に歓喜して、言葉どころではないようです。
言葉は不要とは、こういうことなのでしょうか。
楽園…。
…(゜゜)…。
…それぞれのキャラに聞いてみようか。
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「楽園」という文字が空から降ってきた。
「あら、今日は文章じゃないのね。単語?」
隣にいる初代がポツリとこぼす。
「大方、テーマに詰まっているのだろう」
「楽園がテーマなのね。だったら、あの作品は?最近二次創作をしていたでしょう。楽園を冠しているし、テーマに沿うわ」
「楽園」と書かれたカードを手元に出して、初代はしたり顔だ。
流石は瞬発力のある初代だと思う。しかし、その提案には致命的な欠点がある。
「…あの文字量を打てと?」
初代の顔から笑顔が消えた。
色々欲張りに詰め込みすぎたあの文章の文字量を思い出したのだろう。
キラキラしていた目は、今や死んだ魚のようになっている。
「…。そうね、ここではご迷惑になるからやめておきましょう」
「英断だ」
思考の海の番人の言葉に、初代は力なく頷くとカードをグチャグチャに丸めた。
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「楽園ですって」
いつもの放課後、いつもの屋上で彼女が唐突に言った。
「何だよ、楽園って」
俺の言葉に彼女はゴミクズのような紙切れを差し出した。
薄汚れてボロボロの紙には、彼女の言う通り楽園という文字が薄く見える。
「どうしたんだソレ」
「さっき拾ったのよ」
そう言って、彼女は屋上の扉付近を指差した。
誰かがメモ書きしたものが、風に乗ってここまできたのだろうか。
しかし、この紙の持ち主は何を思って「楽園」という文字を書いたのだろう。
借りようとした本のタイトルとか?
楽園という言葉に頭を捻っていると、紙切れをプラプラと弄んでいた彼女が尋ねてきた。
「楽園ってあると思う?」
「そーいうの信じてねぇけど、あったら良いなとは思ってるよ」
「あったら良い…ね。確かにあったら良いわよね」
彼女の眼鏡の奥にある冷めた目が、遠くを見据えている。
「その様子だと、そんなものは無いというクチだな」
「学校という場所も小さな檻。社会に出たとしても所詮は大きさの違う檻。檻の中が楽園とでも?」
「…実にお前らしいよ」
彼女はプラプラとさせていた紙切れをパッと手放した。
楽園と書かれた紙切れが宙を舞う。
重力に従い屋上のコンクリートに落ちる寸前、一陣の風が吹き、楽園はどこかへと飛ばされていってしまった。
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ボロボロの紙切れが研究所の花壇に落ちている。
「楽園?」
薄くなって読みづらいが、確かに楽園の文字がある。
ボロボロ具合からして、博士のメモか何かだろうか。
ノートの切れ端とかによく覚え書きを残している博士のことだ。
大切なアイディア的なものかもしれないし、一応確認しよう。
ボロボロの紙切れのシワを伸ばして、白衣のポケットに忍ばせると、私は花壇の水やりを再開した。
「コレは…自分のメモじゃないなぁ」
研究室に戻って直ぐに先ほど拾った紙切れを見せると、開口一番に博士はそう言った。
どうやらこの紙切れは、博士のものではないらしい。
「僕のメモの字はこんなだし」
そう言ってみせてくれた文字はミミズののたくったような文字をしている。
どうやら博士は、公の文字とメモの文字は違うようだ。
「いったい誰のメモだったんでしょうね」
「さあねえ…」
ボロボロ具合から見て、持ち主ももう記憶にないレベルのものだろう。
博士のものでないなら後でシュレッダーにかけておこう。
脳内の後でやりますリストにそっと付け足していると、「楽園かぁ」と呟く博士の声が聞こえた。
「楽園が何か?」
必要なものなら先ほどのリストからシュレッダーの項目を消さなくては。身構えると博士は紙ではなく、どこか遠くを見つめていた。
「いや、その…。楽園って、どんな景色なんだろうね」
博士はやわらかな笑みを浮かべると、顎に手を当てた。
私も博士に倣って顎に手を当てて考えてみる。
楽園…。
「穏やかで苦しみもなくて、平和…。個人的には、春の日のような、花畑みたいな景色とかが浮かんできますね」
穏やかな風に色とりどりの花たちが揺れている映像が脳裏に浮かんでくる。
のどかな景色の中で、美味しいご飯を食べちゃったりなんかして。ピクニックとかしたらすごく良さそうだ。
空想に浸っていると、穏やかな博士の声が聞こえた。
「花畑か…。良いね。楽園にはどんな花が咲いているんだろう」
博士は本当に花が好きなようだ。
ニコニコと子どものような笑みを浮かべている。
「楽園に行ったら珍しい花の採取でもしますか?」
私の提案に博士は満面の笑みを浮かべて頷いた。
今回のテーマは、「風に乗って」。
さて、どうしようと思っていたら懐かしい台詞を思い出した。
「乗りてえ風に遅れたヤツは間抜けってんだ」
【うしおととら 外伝 雷の舞】のとらの台詞だ。
人生において、誰しもチャンスは必ずあると言われている。
しかし、臆病風に吹かれて尻込みしてしまうことは少なくない。
変化というのは必ずしも良いことばかりではないと学習したり、挑戦したことが失敗に終わった経験等があると、余計に動けなくなってしまう。
しかし、自分自身を信じなくては、叶うものも叶わない。
怯える心に蓋をして勇気を持って踏み出し、自分自身を疑わず信じ切れば、その勇気の分風に乗って、想像以上の世界に行くことが出来るものなのかもしれない。
さて、上記の台詞の後も、とらの名台詞は続く。
「人間に化けている間に覚えたコトバ…【祈って待っとれば今にいいコトありマスヨ】」
「人間…いいコト教えてやらあ」
「待ってたっていいコトなんざねえよ」
言外にある、「待つな、行動しろ」という勇ましく力強い言葉に励まされているような気持ちになる。
とらの言葉をお守りに、今度こそは乗りたい風に乗ってみようか。