「あの人から手紙が届きましたよ」
穏やかな日差しが差し込む病室に妻のやわらかな声が響く。
点滴の刺さった方とは反対の手で、妻の持ってきた手紙を受け取り差出人を確認する。
どこにでもあるようなエアメールだ。
差出人は、腐れ縁の幼馴染からだった。
片手では手紙が破れてしまう為、妻に頼んで封を切ってもらうと、中から出てきたのはこれまたシンプルな便箋だった。
広げると細々とした──見慣れたアイツの字が並んでいる。
読み始める前にそっと妻に目配せをする。それだけで全てを悟った妻は「談話室に居ますね」と一言残して病室を後にした。
出来た妻をもらったなぁと他人事のように思う。
自分は本当、幸せ者だ。
手の中にあるアイツからの手紙に目を通す。
そこには序盤からグチグチとした嫌がらせを宣うアイツがいた。
素直に淋しいって言えばいいものを。
実にアイツらしい回りくどい言だ。
有り難く受け取りやがれだと?
ハイハイ、確かに頂戴いたしましたよ。
コレで満足か?
ガラクタだらけね。
人生なんざそんなもんさ。その中にうちの妻みたいな宝石を一つでも見つけられれば大成功なんだよ。羨ましいだろう?
ハンカチ、キーキー噛んで羨ましがれってんだ。
俺にとってオマエは、腐れ縁の幼馴染。厄介な寂しがり屋で、気の合う──悪友。それ以上でも以下でもない。
ガラクタじゃないだけ有り難いだろう?
自慢してもいいぜ。ガラクタじゃないって。
面白いモノ…、あぁ見つけたよ。沢山。
話してぇよ、オマエに。
オマエが奢ってくれるなんて雪が降るかもしれねえこと、体験してえよ。
でも、悪いな。
帰れねえかもしれねえんだ、俺。
いや、帰れねえかもじゃなくて帰れねえんだ。
偉い先生曰く、この体もう保たねえんだと。
日本には戻れないんだと。
妻も俺も、もう腹は括っているし、決めたんだ。
残りの日々を静かに過ごすこと。
今まで言わなくてすまない。
すまない、すまない、すまない。
ゴメンな。
コレは俺の最後の我儘なんだ。
鼻の奥がツンとして、拭っても拭っても次から次へと涙が溢れてくる。
あぁ、覚悟を決めていたのにどうしてどうしてこんなに辛いのだろう。
パタリパタリと手紙に涙が落ちていく。
そのせいでアイツの名前が滲んでしまった。
滲むアイツの名前に、記憶の中のアイツの姿も薄れていくようで俺は嗚咽を漏らして泣いた。
神様へ
俺の命を差し上げますから
寂しがり屋のアイツが
悲しむことなく
絶望することもなく
温かなひだまりの様な世界で生きていけますように。
もし可能ならば、残していく人達をあの世から見守る権利を俺にください。
神様…。
快晴…
(゜゜)快晴?
…。
…困った。
快晴という言葉に合うキャラがいない…。
ラボ組→基本屋内
屋上組→屋外だが、彼らの性格的に快晴は似合わない…
思考組→夜の世界
さーて、どうしたものか。
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「ここは若い子達にお任せしては?」
開口一番博士は言った。
「いや、無理です」
即答したのは、屋上組の彼女だ。
眼鏡の奥の瞳が学生らしからぬ冷たさを帯びている。
「俺達、陽キャじゃないんで」
彼女の援護射撃に回ったのは屋上組の男子──通称、俺だ。
彼もまた、彼女とは違う冷めた目をしている。
二人とも学生なのに何処か大人のようで、大人ではない。とてもアンバランスな子供だ。
「だからといって私達というのも…」
困り顔で博士と学生の間に立つ女性──助手は言った。
気遣い屋なのでこの状況は辛そうだ。
彼らは、ラボ組、屋上組と呼ばれる登場人物たちだ。灰色の空間にいるのは彼らだけで他に人影はない。
「思考組と呼ばれる人たちは出番なしとばかりにこの場にいないし。屋内にいる私達より、君たち学生さんのほうが快晴って言葉は合うと思うよ」
博士が穏やかな口調でさり気なくプッシュをかける。
「イメージを勝手に押し付けるのは、大人としてどうなんでしょうか」
大人のような冷静さで学生服の青年が、博士の言葉を跳ね除ける。
「大人として正しいあり方を私達子供に見せていただきたく存じます」
青年の後に続いた学生服の少女も大人顔負けの口ぶりだ。
「えー…この子たち目がマジだ」
助手が素の口調で言葉を漏らした。
学生二人の目は助手の言う通り、マジな目をしている。これ以上の会話は平行線を辿る一方で不毛だろう。
博士もそれを察したのか、苦笑を浮かべると、彼らへ最終確認を行った。
「あー…。本当にそんなに…嫌なのね…」
「「はいっ!!」」
二人は大きな声できっぱりと返事をした。
「「わー、いいお返事だー」」
博士と助手の声が仲良くハモった。
「「では、後はよろしくお願いします」」
そう言うと学生二人は、灰色の空間の一部を裂き、ヒョイと跨ぐと姿を消した。
残されたのは、博士と助手の二人。
二人は灰色の空間の中、困り顔で向かい合った。
「…たまには君一人で出演というのはどうだろう?」
博士の発言に助手は目をまんまるにすると、ワタワタと慌てた。
「あの、ここに来て急に梯子を外さないでください博士っ!!」
「だって、快晴って何?僕と快晴って何?」
「わかりましたから、2回も言わないでください。そうですね…。花壇のお手入れ…とか?」
「それ既に沈む夕日の時にやっちゃってるんだよぉ〜…」
確かに以前、いや、つい最近の文章だ。
同じシチュエーションのおかわり(時間経ってない)は如何なものだろうかと思わなくもない。
「…お花見とかします?」
時期的にはありかと思ったのだが、博士にとっては地雷だったのか、顔が青ざめている。
「平日にお花見したら、コイツラ仕事舐めてんのかとか思われちゃいそうだし。だからといって休日にお花見したら、部下の大切な休日を奪うって、今どきじゃあパワハラやらなんやら言われそうで無理だよぉ…」
博士もなかなかの気遣い屋だ。
「あっ、そういうの一応考えてくれているんですね」
顔をパッと明るくして助手が言う。
「そ、そりゃあ。き、君には長く、その、働いてもらいたいし。なるべく良い環境は、その、提供したいんだよ。しょ…所長として」
照れからなのか、顔を赤くしながら博士は言った。
青くなったり赤くなったり忙しい博士である。
「ありがとうございますっ。…何だか照れちゃいますね。あはは、なーんて」
助手も助手で博士と同じくらい顔が赤い。
「…」
「…」
顔の赤い博士と助手が二人して俯いて黙り込む。
いち早く気持ちを切り替えたのは、助手だった。
「と、とにかく。快晴で何かしましょう」
「…うん」
博士は赤い顔のまま、助手から目を逸らし小さく頷いた。
そのまま暫し俯いていたが、そっと動くと顎に手を添えた。
どうやら博士の思考が始まったらしい。
さて、どんな提案が来るだろうか。
助手として、サポートしなくては。
助手が意気込んでいると、博士と目があった。
「あのさ、もう今日はコレで良いんじゃないかな。僕たちは快晴が似合わないって話だけで」
「えっ、博士何言ってるんです?」
「あのね、この行数まで来ると打つのにラグがあって大変なんだよ。カクカクして打ち辛いんだ。だから、今日は終わろう」
「まさかのメタ発言」
「僕たちも帰ろう」
「あっ、博士待ってください。私、ここ何処かわからないのでって、ちょっと、置いていかないでください」
博士が切り裂いた空間に助手の姿が消えていく。
誰もいなくなった空間には、雲一つない空だけが広がっていた。
✕✕へ
暫く会えていないが、元気か?
オマエが遠くに行ってしまったからか、張り合いみたいなものがなくなって、世界の彩度が落ちているような気がする。
オマエと会ってもくだらない冗談を言い合うだけなのに、なんでだろうな。
自分でもよくわからない感覚なんだ。
そのせいなのかわからないが、
最近、ガラクタばかり増えていくのに
どれも手放せなくて悩んでいる。
愛着みたいなモンが勝手にそうさせるのか
或いは
ガラクタに愛されているような錯覚を覚えるからなのか、わからない。
変だよな。
自分のことなのによくわからないって。
オマエがいなくなってから、変なんだ、俺。
俺にとってオマエって何なんだろうな?
「そんな事俺に聞くなよ」って言うオマエの嫌そうな顔が浮かんだよ。
そう、これはささやかな嫌がらせさ。
ざまあみろ。
遠い地にいるオマエへ、遠い地から力いっぱいぶつけてやる。
有り難く受け取りやがれ。
ソッチの空と、コッチの空。
繋がってるって言われても実感わかないが
遠くの空の向こう、海越え山超えた先にオマエがいるんだよな。
ソッチはどうだ?何か面白いモノでも見つけたか?
もしそうであったなら、今度教えてくれよ。
良い酒奢ってやるからよ。
だから、コッチに戻ってきた時には元気な顔を見せてくれ。
何、嫌がらせなんざしないさ。
オマエの土産話をたらふく聞いて、
昔のようにくだらない冗談を言い合おう。
その日まで元気で。
古書の中に手紙が入っていた。
封筒はなく、便箋だけが折りたたまれている状態だった。
古い手紙だ。
茶色く変色しているし、古紙特有のやわらかさがある。
差出人の文字には滲みがあって読めない。
雨でも当たったのだろうか?
或いは、受取人又は差出人がうっかり水でも零したのだろうか?
こんなピンポイントに?
この二人の友人たちはその後出会えたのだろうか?
美味い酒は呑み交わせたのだろうか?
土産話はどんな話だったのだろうか?
どんな冗談を言い合ったのだろうか?
彼らが生きているとしたら今は何歳なのだろうか?
疑問は尽きないが、それを知る術はない。
遠い空、地を旅した手紙は時代を超えて疑問ばかりを残して佇んでいる。
言葉にできないことなんかいっぱいある。
そういう時、「語彙力がないから」と落ち込む事が多かったが、最近は考えを改めている。
豊かな語彙で、伝えたいことを的確に伝える。
言葉にできないことすらをも言葉で表せるのは、素敵な能力だ。
では、語彙が無いと必ずしも駄目かというとそうでも無い。
全てを言語化出来なくても表現方法は沢山ある。
絵にする、モノを作る、行動に表す(ボディーランゲージ、身振り手振り)、音楽を作る、演奏する。
どれも人らしくて素敵なものたちばかりだ。
言葉に出来ない、形なきものに形を与えることが芸術なればこそ──
創作や表現する人が尊いと謂われる所以はここにあるのかもしれない。
ソメイヨシノが盛りを迎えている。
青空に淡桃色の対比が美しい。
桜の花々の合間を行くは、花盗人の目白。
あっちの花は苦いぞ、こっちの花は甘いぞ。
軽やかに歌いながら飛んでいく。
足元には、穏やかな日差しに色添える蒲公英、寄り添う白詰草にオオイヌノフグリ。
春の野辺はさながら絵物語のよう。
遠景は春霞の嶺。
雄大な姿をやわらかなベールに包んで淑やかな風情。
吹き抜けるやわらかな風に導かれ
気の向くまま春爛漫の世界を散歩しましょうか。
この儚くも美しい世界を愛でるために。