太陽のような存在は、推しかな。
推しが生きてくれているだけで
ちょっと残念な日も
「まぁ、そんな日もあるよね」と軽く流せる。
推しと同じ時代を生きる
そんな奇跡が日々起きているのだと思うと
心が明るくなっていくから。
やっぱり推しは太陽のような存在だ。
0からの
0は「無いがある」という非常にややこしくも、数字として存在していないと困るものでもある。
数式でも0は特別で
0に数字を足しても引いても数字は変わらず
0に数字を掛けると0になり
0を数字で割ることは出来ない。
そんな特別な数字0を冠した
0からのスタートという言葉がある。
上記を踏まえると
特別数字を持ってスタートしていることになる。
スタートが上手くいかなくても特別数字故に扱いが難しかっただけと思えるし、
0は、「何も無い」=「存在しない」ではなく「無いがある」=「存在しないが、ある」のだから
存在の肯定は既にしてくれている。
0から肯定されているのだから、次の数字1へと変わることも出来る。
0からのスタートは、一見一人のように見えて、
見えない味方は既にいるのである。
同情
うーん、好きではないな。
同情って良い意味もあるけれど、どちらかというと上から目線的な雰囲気の方を捉えてしまう自分がいる。
だから、するのもされるのも、個人的には好きではない。
…言語化が難しいな。
どうやら普段かなり感覚的な捉え方をしているもののようだ。
…。
同情って、
どの位置から言う(言っている)の?
っていうのもあるし、
判断の価値基準は個人的なもので、ズレている可能性もあると思う。
…こういうことを思うから、下手なこと言わない、やらない方が…と思ってしまう。
あと、個人的に人に対して言えないことは、人からも言われたくないというタイプでもあるので、やっぱり同情って微妙なものだなぁと思う。
本来の良い意味だと、親身や思いやりという言葉があるんだけど、どうしてか素直に言葉を捉え難い。
…まぁ、もしかしたら、そのように難しくしているのは自分の心かもしれないけど。
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さて、この文を書いてから少し時間を置いた今
ゴチャゴチャとしていた言葉が整ってきたので追記に残しておくことにする。
相手には見えない、言外の言葉がこの世界にはある。
同情の言葉が本当に本音からくるものと、心ではまったく思っていないのに同情という形をしている事がこの世界にはある。
なので、同情された時、本当に言葉通りで合っているのか疑う癖がついてしまった。
また、その様に疑うこと自体辟易している自分がいるので、下手に相手を同情することもしなくなった。
だから私は、ただ相手の話を聞く。己に湧く感情よりも事実を捉えることを優先し、相手の幸せを願うからちょっとしたアドバイスをする。それが私の中でスタンダードになっている。
それが世間でいうところの同情というのだろうか。
やはりわからない。
♪吹き飛ばされる枯れ葉の舞に
♪空一群の星は沸く
…思わず歌ってしまったよね。
いや、あの、こう現実逃避的なアレで。
今回のテーマ
「枯葉」ですか。
「枯葉」
以前書いたような気がするのだけど
気の所為ですか?えっと、記憶違い?
秋くらいに書いた気がするんだけども
カクテルの話が枯葉じゃなかったっけ…。
あれ?晩秋だったけ?アレ。
過去へ遡ってみましたが
テーマを書いていませんでした。
テーマ書いておかないと忘れちゃいますね。
物語の中に枯葉は数回登場していたけれど
全体的に晩秋の雰囲気があるような…。
なんか、そう思うと、
だんだん、晩秋だった気がしてきました。
さて、かつて書いたのは晩秋という確率が高くなったので、現実逃避してる場合じゃありませんね。
考えなきゃね。
枯葉。
さあ、どうしよう。
もう今日何回も枯葉枯葉って出しているからこれで良いかと思う自分もいるんだけど、駄目ですか?
あっ、脳内が❌を出してきました。
…さいですか。
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忘却と枯葉ってどこか似ていると思いませんか?
確かに存在していたのに
時間という無慈悲な存在を前に姿を消していくその様がとても似ている気がするのです。
跡形もなく消えて、でも、確かに存在した証として
枯葉は次の世代の養分となります。
跡形もなく消える記憶は、確かに記憶として存在していたけれど、時間とともに変容を得て朽ち、最後は姿を消していきます。忘却は、未来を生きていく私達の為に道を開けて、次へと進むようにしてくれる装置なのかもしれません。
多少の役割の違いはあれど、時間のベクトルに乗り役目を終えていく様が重なって見えるのは見間違いではないような気がします。
この世界にあるどんなモノも時間のベクトルに乗り、時間の差はあれども姿を消していくのは、抗いようのない定めなのでしょう。
ですが、枯葉と忘却に見たようにそれぞれ役割というものがあるようです。
どんな役割も必要だから、この世にあるとしたなら
、各々、それぞれの役割を真っ当出来れば幸せなことなのかもしれません。
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こんな感じでどうでしょう?
あっ、脳内から◯が出ました。
良かった。良かった。
今日はどんな一日だった?
出かけたか?家にいたか?
何かを得たか?何かを失ったか?
ただ、無為に過ごしても
何かに必死になっても
時間は刻々と過ぎ
全ては過去へとなっていく
明日は何をする?
明日は何ができる?
明日は何と出会う?
明日は何を得る?
明日は何を失う?
明日を思ってもそれは全て想像でしか無い。
だから、確かめに行こう
今日にさよならを告げて
見に行こう
明日という日を
想像を現実にしよう
今日にさよならを告げて
未来は変えることが出来る
好きにクリエイトしよう
明日という日を