大空という程広くはない空から
カフェ。コンビニ。クリスマス。
という繋がりがまったく不明な言葉が降ってきた。
空から飛来したそれらは、こちらに降り注ぐ──ことはなく、バシャバシャと音を立て思考の海に沈んでいく。
開こうと構えていた傘を気だるく下ろす。
…。
突然の飛来単語に海が荒れている。
思考の海に注ぐのは良質な文にしろとあれほど言っているのに。
本体の阿呆はすぐ忘れる。
どうせこの飛来した単語も、ここ数ヶ月、本体が習慣にしているものによるものだろう。
形状的に今回の場合は残滓か、或いは使おうとして捨てた言葉だろうが。
毎夜毎夜、本当に懲りないものだ。
今更文を作ることに向き合ってどうしたいのだか。
冷めた目で海を見ていると、
本体とカードの子供の話し声が聞こえてきた。
やれやれ。
本体がこの世界の方にやってくるとは…早々にお帰り願わなくては。
思考の海は大いに荒れている。
あれをどうにかするのが、本来自分の仕事である──が、仕事をする気は毛頭ない。
本体のバカを傘でひと殴りした方がよっぽど有意義だ。
思考の海へ背を向け一歩踏み出した途端、けたたましいベルの音が鳴り響いた。
あまりの五月蠅さに手で耳を庇う。暫くそれでやり過ごしていると、本体の気配が消えた。
どうやらカードの子供が本体をあしらったようだ。
二代目にしては機転をきかせたのだろうが、もう少し静かにやってもらいたいものだ。
初代だったら、本体がこちらに来ないようカードを配置しただろう。
それに、ここにはいないアイツであったなら──。
過ぎたことを考えるのはよそう。
残された自分は、ただ思考の海を眺めていればいい。
空からの言葉に心ときめいていたあの時代は、
もう過ぎ去ってしまったのだから。
ベルの音…。
さて、どうしようねぇ。
頭の中で言葉を拾っていく。
カフェ、コンビニ、クリスマス。
…どれも設定をしっかりしないといけない。時間がかかる話ばかりだ。
こういうのは時間と体力に余裕がある時でないと。
拾い上げた言葉たちをポイっと捨てる。
もう少し、気楽で良いものはないだろうか。
ため息をついているとふいにカードが目の前にやってきた。
いつも言葉が書いてあるカードだ。
今日は何故か白紙だ。
「さっきからカードを人からひったくってポイ捨てするとは、何です?嫌がらせですか?」
えっ、あの言葉たち君のだったのか。
ひったくった覚えないし、自分のだと思っていたんだけど。だからこう、軽い気持ちでポイポイっとしちゃってたんだけど、マズかった?
「まったく、ポイ捨てした言葉が今頃思考の海を荒らしてますよ。傘を持ったあの人に怒られても知りませんから」
あぁ、あの傘を持った理屈屋を怒らせると面倒くさい。屁理屈まで捏ね始められたら手に負えない。
早々に退散しなければ。
…はて、どうやって逃げ出そうか。そもそもいつの間にこの空間にやってきたのだろう?
「貴方が思考する時、私達はいつでも側にいますよ。思考と現実の境目が曖昧になれば…」
あとは、秘密。
そう言うとカードを差し出してきた。
「ベルの音」
どこか遠くでベルが鳴っている。
「見ようとしなければ見えない。聞こえない。貴方の意識と無意識の…」
カードの人物が何かを言っている。しかし、ベルの音が大きくて聞こえない。
待って。何か大切な事を言っているでしょう?
ベルの音がけたたましく鳴り響く。
五月蝿い、五月蝿い、五月蝿い。
ベルの音から逃れたくて思わず手を振り上げる。
硬い何かに手が当たった。
すると、あれほどうるさかった音がピタリと止まった。
ハッとして、何かを打ち付けた手を見ると、
目覚まし時計が倒れていた。
時計。アラーム…。
思わず呆けているとどこからか
「ほら、これも立派なベルの音」
そんな声が聞こえた。
寂しさに襲われるのはどういう時だろう。
友人と遊んだ帰りの別れ際。
明かりのついていない家に戻る時。
ずっと楽しみにしていた劇を見終えてしまった時。
それまで一緒に居た、或いは、楽しんだ事柄が
なくなってしまう時、
人は寂しさと出会うのかもしれない。
寂しさの持つ、あの心許無い感覚が辛いという人は少なくないだろう。
故に寂しさは悪者にされがちだが、寂しさの存在意義は何も人を苦しめるためだけにあるわけではない。
寂しいという感情を知っているからこそ
人や好きなものと出会えることは素晴らしいのだと教えてくれる。
一期一会の出会いを大切にしようと思えるのだ。
「冬は一緒にココアを飲もう♪」
ポップな字体が踊る側には、絵本の挿絵に出てきそうな白熊と、(兄妹なのか、お友達同士なのか)男の子と女の子が仲良くココアを飲んでいるイラストが添えられている。
暖色でまとめられた柔らかい色調は、見ているこちらまでポカポカと温かくなってくる。
スーパーの特設コーナーに掲げられたポスターだ。
ポスターの下には、商品のココアがずらりと並んでいる。
この特設コーナーは、一企業によるプロモーションではなく、スーパー独自のもののようだ。
見たこともないメーカーから有名企業、海外のものまである。
目新しい海外製のものも気になるが、ここはやっぱりコレだろう。
幼い頃からお世話になっているメーカーのココアを一袋取って、買い物かごへ入れる。
後でマシュマロも買わなくては。
ココアにマシュマロは欠かせない。
少し濃い目に入れたココアにたっぷりとマシュマロを浮かべるのが、自分流のココアの飲み方だ。
ココアにゆるりと溶けてクリームのようになったマシュマロをスプーンでそっと掬う。口に含めば、嘘のように滑らかな食感が広がり、口の中も心も、ふんわりととろける。ココアをひと啜りすれば、ココアの甘さとマシュマロが至福のハーモニーを奏でる。
マシュマロ入りココアとは、飲み物でありながら、スイーツにもなり得る魔法の食べ物だ。
…想像するだけで食べたくなってきた。
しかし、ココアというのは、このポスターにもあるように、絵本やファンシーな雰囲気のものと合うのは何故なのだろう。
ちょっと、ココアで言葉を導いてみよう。
甘い。温かい。ほっこり。まったり。優しい。
牧歌的。平和。幸せ。
…。
…ココアって、子供向けとか言われてしまうけれど。もしかして、人生に必要なものを、兼ね添えている?
世界の真理にふれてしまったような気がして戸惑っていると、買い物かごに入ったココアと目があった。
何の変哲もないココアが、えっへんと胸を張っているように見えた。
とりとめもない話…。
オチは決めず、
文章の流れに任せていくことが多いので
自分の作る文や話は基本これだ。
そんな訳だから後ろに行くほど
尻すぼみになることもあるし
前の文を拾い上げて
結論づけることもある。
アップしてから修正が入るのも
これが原因だろう。
現にこの文も終わりは考えていない。
全ては自由気まま。
取り留めもないところの
良いところと言ったところだ。