風邪の季節到来。
街を歩いていると、
咳をしている人のなんと多いこと。
冬らしからぬ暑さにみまわれたかと思えば
着込まないとやり過ごせない寒さが襲ってくる。
そんな手の平をクルクル変えられてしまっては
体はついていかないというものだ。
人間は意外と不器用なんだぞ。
自然に対して腹を立てても、自然をこのようにしたのはどちら様?と返されては口を噤むしかない。
ぐうの音も出ないくらい正論である。
乾燥という味方を付けたウイルスは強気で攻めてくる。
我ら人間が出来ることは、コロコロ変わる温度に対応するように衣服を工夫すること。滋養のものを食べ、よく眠り、免疫を高めておくこと。
自分の身は自分で守らなければならない。
案外、日常というのはサバイバルなのかもしれない。
雪の予報が出ている。
図らずも今日は休日だ。
このまま家に引きこもるのが正解だろう。
温かいお茶を用意して、
柔らかなブランケットも準備する。
窓から見える空は
ピンクがかった灰色をしている。
雪雲だ。
何処かではもう雪が降っているかもしれない。
深々と舞う雪の姿に思いを馳せていると
本棚にある一冊の本を思い出した。
「雪のひとひら」
懐かしい本を供にして
ひとひらの雪を待とうか。
クリスマスも間近な今日この頃。
街はイルミネーションなんて飾っちまって
浮かれ気味だ。
クリスマス一色に染まる大通りの目玉は
街路樹に取り付けられたイルミネーションだ。
青銀な明かりがキラキラと輝く。
全長およそ1キロ。
いつもカップルで賑わっている通りではあるが
この時期はいつもの比じゃない。
どこからこんなに集まりやがったと言いたくなるほど
人が多くて、真っ直ぐ歩けやしない。
自分の前をカップル達が「綺麗だね」なんて言いながら歩いてる。
イチャイチャ二人の世界ですか。
後ろがつかえてますよ。
はいはい、邪魔邪魔。
イチャイチャカップルの脇を強引にすり抜ける。
すれ違う瞬間、肩が当たったような気がする。
舌打ちもされたような気もするが、多分気のせいだ。
例えそうだとしても、こうして離れちまえば人生で二度と会うこともないカップルだ。
気にしない。気にしない。
まったく。
だから大通りなんて通りたくないのに。
行きつけの本屋へは、この道が最短なのだ。
取り寄せの本が届いたという。
店から知らせを受けたのは、朝礼を終えて間もなくの事だった。
多分自分は浮かれていたのだろう。
いつもの倍の速さで朝の仕事を片付け、昼は届いた本の事ばかりを考え、午後は定時で帰れるように過去最速の速さで書類を捌いた。軽やかに地下鉄へ飛び乗り、自宅まで一本で帰れるところ途中下車した。
足取り軽く駅構内を行く自分は、背中に羽さえ生えていたと思う。
しかし、駅の構内から一歩外に出て広がるイルミネーションに愕然とした。
クリスマス。カップル。人混み。人混み。人混み。
クリスマスの時期ここがこうなることを知っていたのに、忘れていただなんて。
浮かれていた自分が憎い。
後悔してもしょうがない。
ここを乗り切れば楽園が待っている。
人混みの合間を縫っていくと、目当ての本屋が見えてきた。
イルミネーションから少し離れた場所にあるからか、人も少ない。
自分のペースで歩けることに喜んでいると
違和感に気が付いた。
本屋の明かりがついていない。
嫌な予感に駆られて本屋の入口まで小走りで行くと、入口のガラスに張り紙がある。
「本日、機器故障により、誠に勝手ではございますが、臨時休業とさせていただきます。」
虚しい張り紙がされたガラスに、立ち尽くす自分とチカチカ光るイルミネーションが映っていた。
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こういう話を作ると、
イルミネーションに対して否定的な感じを受けるかもしれないが、私自身はイルミネーションが好きだ。
イルミネーションは、誰かを喜ばせたいという気持ちを感じる。
それに、平和だからこそイルミネーションが出来る。
そう思うと、イルミネーションが愛おしいのだ。
愛を注ぐ対象は何だろう。
彼氏?
子供?
ペット?
趣味?
愛を注ぐって
自分以外に対して行う行為って気がする。
だから、つい自分を頭数に入れる事はすっぽ抜けてしまう。
人や物事に注ぐその愛が無尽蔵に湧いてくるのなら問題はないけれど…
もし、そればかりに注ぎすぎてしまって、
もう空っぽなのにそれでも注ごうとする人がいたなら
一回ストップ。
偶には自分自身を満たしてあげて。
コップに水を注いで、満杯になっても水を入れ続けたら、水はコップから溢れていくでしょう?
これは、愛も同じ。
自分を満たせば自然と周りも満ちていく。
だから、無理して注ごうとしなくても大丈夫だよ。
人や物事に愛を注げる人は
それだけで十分素晴らしいのだから。
────────────────────────コップと水の例え話は有名なものだ。
他にも、教えを得たいのなら茶碗の中を空にしなさい。なんていうものもある。
器というものを例える時、飲み物を飲むためのものが多いのは何故だろう?
そういえば
心に潤いを─という言葉がある。
脳が乾く─なんて言葉も見かける。
どうやら心(脳)というのは乾く性質があるらしい。
なるほど。
だから、水が必要になってくるのか。
それに、人体は60%水で出来ている。
人と水は切っても切れない関係だ。
そもそも体という器が水を蓄えているのだから
茶碗やらコップやらに例えられても
何らおかしくはない。
こんな連想ゲームもなかなかに楽しいものだ。
心は一つではない。
一つの事象をとっても
心の中で2つの意見がぶつかる時がある。
例えば、一方の心が良いことを見つけて
「ここが素敵」なんて、子供のように燥いでも
もう一方の心は
「ありきたり」と、
燥ぐ心にブレーキをかける。
まるで
子供と大人
ポジティブとネガティブ
プラスとマイナス
アクセルとブレーキ
心は相反するもの同士でバランスを取っている
一人の身体の中でもそんな調子なのだから
「他人と心を通わせるのは難しい」
なんて、思っても仕方がないのかもね。