鶴上修樹

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11/6/2024, 1:09:05 PM

『柔らかい雨』

 雨は嫌いだ。空がどんよりしているし、湿ってるし、寒いし。そんな今日は、嫌いな雨の日である。
「……あーあ。うっかり忘れてた」
 暗めのリビングにて、電気代の支払いの書類を見て嘆く。この前、コンビニで必ずしなきゃと思ってて、やったのは新商品のカップラーメンを買っただけ。つまり、私は鳥頭。
「……行くかぁ」
 雨の日に出かけたくないが、支払いは待ってくれない。軽く支度をし、ビニール傘をさして、徒歩で近くのコンビニへと出かけた。雨は小降りだが、嫌なのは変わりない。
「はぁ。憂鬱……」
 落ちた気分で、約十分後。雨でも明るいコンビニに到着し、自動ドアをするりと通った。茶髪の女性店員の元気な「いらっしゃいませ〜」の声で、少しだけ心の曇りが晴れた。
「すみません。支払いをお願いします」
 傘を持ったまま、店員さんに支払いの用紙を渡す。私の対応をしてくれているのは、さっき元気な声を出した茶髪の女性店員だ。
「支払いですね。少々お待ちください!」
 女性店員はせっせとレジの操作をして、すぐに支払い代金を表示させた。財布の中の小銭が多いので、ちょうどよくする為に小銭を探していく。
「……小雨の日の空を眺めた事ってありますか?」
 小銭探しの途中、女性店員が私に声をかけてきた。女性店員は、話を続ける。
「私、雨の日って髪がぐしゃぐしゃになるから苦手なんです。でも、小雨の日の空だけは違くて。雨の日の空って厚い雲なんですけど、小雨の日の雲は少し薄めなんです。あと、薄い雲には、隙間があって……あっ、ごめんなさい。喋り過ぎました」
 どうやら、近くにいたベテランそうな男性店員が、彼女を睨んでいたらしい。彼女は私がトレーに乗せておいたお金をすぐに受け取り、レシートを渡してくれた。
「ありがとうございました〜」
 彼女に一瞥して、コンビニを出る。入り口の前で傘をさし、一歩前へ。その時に、目線が上にいった。雲は灰色なのだが、どこか青色が混ざっているように見える。
「あっ、あれかな……」
 たまたまあった、雲の隙間。覗いてみれば、雲の上にある青空が顔を見せていた。まるで、わずかな希望のようだ。
 ――言いたかった事、分かったかも。
 雨の日を好きになるのは、まだ時間がかかりそう。でも、小雨だけは許せるかな、なんて。
「……ちょっとだけ、ゆっくり帰ろうかな」
 歩幅を狭くして、道を歩く。嫌な心をほぐす、柔らかい雨の日の話。

11/5/2024, 1:32:36 PM

『一筋の光』

 今、俺は夜の家の中をコソコソと歩いている。中年のおっさんだが、身体は小柄だから、歩く音は小さいんだ。
「くーっ……くかぁー……」
 リビングを歩いている途中にいたのは、ソファーで寝ちまっている、俺よりも若い男。背が高くて、細くて、おまけにイケメン。ふんっ、別に羨ましくないぞ。俺にだって、ちっちゃいなりの可愛さがあるんだからな。
 ――おっ、月が出てらぁ。
 キッチンまで歩けば、窓から月の優しい光が一直線に床まで差し込んでいた。俺はすぐにほんのりと明るい所まで歩き、ちょこんと立った。淡い一筋の光が、俺だけのスポットライトのようだ。
 ――こういう光が好きなんだよな。
 俺は太陽みたいに眩し過ぎる光は苦手だ。目が痛くなるし、夜が好きな俺には似合わない。弱くて、優しくて、品のある。そんな月の光が、俺の好み。
 ――今夜は、満月か。
 窓に映る小さい月は、綺麗な丸で。これがお月見だったら、最高なんだよな。そう思っていたら、後ろから、太陽よりかなり弱いけど目が痛くなる光が後ろから照らされた。目の前の棚にはくっきりとした俺の影があって、バカだなぁと笑っているように見えた。――あぁ、そうだよ。チェックメイトだよ。
「やっぱりここにいた! もう! 逃げ出しちゃダメでしょ!」
 声の主は、さっきまでソファーに寝ていた若い男。男は両手で俺を包み込むように素早く捕まえて、リビングにある小さい家に戻された。
 ――あーあ。まだ見ていたかったのに。
 小さい家の視点でも、キッチンの床を照らす月の光は見える。だが、キッチンから見るよりも感動がなくて、イマイチだ。
「全くもう。ここ最近は逃げなかったから、夜に探し回るとかなくてホッとしてたのに。油断も隙もないなぁ」
 男は困った顔で俺を見て、そう言った。そりゃそうだ。俺が逃げ出すのは、晴れた夜空の月を見たいからで。淡い一筋の光に照らされながら、このつぶらな瞳に月を映したいのだ。それだけで、俺は自由を感じるんだよ。
 ――明日の夜も、晴れるといいな。
 そう思いながら、俺はキッチンを見つめた。木くずの床が、少しだけあったかかった。

11/4/2024, 1:30:26 PM

『哀愁を誘う』

 誰もが住む家へと帰っていく夕暮れの中、高校生の僕は、公園のブランコに一人座っていた。放課後、僕は美人の先輩に告白したのだが、結果は見事に玉砕し、メンタルがボロボロになっていた。しかも、夕暮れが哀愁を誘ってくるから、余計に落ち込んでしまう。
「あっ! いたいたぁー!」
 静けさのある公園から、明る過ぎる大声が聞こえてくる。あまりにもうるさくて、鼓膜が破れそうだ。そんな声を出したのは、幼なじみのモテモテな女の子である。
「……何しに来たんだよ」
「何しに、じゃないわよ。おばさんが、あんたが帰ってこないって心配してたから、迎えに来たの。フラれて落ち込んでいるあんたの事だから、ここにいると思ったわ」
「ちょっ! なんでフラれた事を知ってるの!」
「クラスメイト情報〜。……いよっと!」
 彼女は僕の隣のブランコに座ると、軽く揺らした。
「いやぁ〜ねぇ。あんたには無謀だったわよ、あの美人な先輩は。あんたには不釣り合いね」
「分かってるよ、そんなの。でも、卒業する前に伝えたかったからさ。ひどいフラれ方だったけど、後悔はないよ」
「ふぅーん。それにしては、めっちゃ落ち込んでない? 夕暮れをバックに、哀愁を漂わせちゃってさぁ〜」
「う、うるさいな……」
 夕暮れで余計に悲しくなっているという事は、彼女には秘密。絶対笑われるから。
「その哀愁。あたしが消してあげるわよ」
 彼女はそう言うと、ブランコから下りて、僕の前に立った。そして、顔を近づけて。
 ――チュッ。
「……っ!」
 彼女が、僕の唇にそっと口付けた。僕にとっては、初めてのキスである。
「……哀愁、消えた?」
 すぐに唇を離した彼女が、僕に尋ねてきた。正直、消えたってより、びっくりの方が勝ってる。
「……言っておくけど。あたし、ファーストキスは好きな人とするって決めてるの」
 彼女はそう言うと、僕に背を向けて、顔を見せないようにした。そうだよね、初めてするなら、好きな人とする方が――。
「……えっ」
「……だから、あんたに捧げたのよ」
 ごめん、夕暮れ。誘った哀愁達を、連れて帰って。

11/4/2024, 9:07:53 AM

『鏡の中の自分』

 鏡を見つめている時、ふと思う。鏡の中にいる自分は、何を思っているのだろうと。僕と同じ動きをするけど、鏡の僕の思考は違ってたりして――なんて、ぼんやり考えたりする。
「あーあ。目の下のクマがくっきり……」
 休日の朝、洗面所で顔を洗う時に鏡を見たら、僕の顔はひどいものとなっていた。昨日、徹夜で受験勉強をしたからなのだが。寝不足だからかなり眠たいし、疲労が僕に掴まっている。でも、僕は受験生だ。甘えなんて許されないのだ。
「勉強、やらなきゃ……受験、落ちる……」
 本物の僕は、そう口を漏らす。でも、聞こえてくる。目の前から、僕に呼びかけるのだ。
 ――俺は眠てぇぞ!
 僕の前にあるのは、鏡の僕。動きは変わらないのに、僕自身なのに、まるで違うのだ。
 ――少しでもいいから寝ちまえよ! ぶっ倒れても知らねーぞ!
 おせっかいのように、鏡の僕が怒鳴ってくる。それはダメ。僕は受験生なんだよ。受験生は、ガリガリと勉強しまくるものだろう? それをやめたら、僕はシャープペンシルを持とうとしなくなる。目の前の問題に逃げてしまう。僕の人生が、暗転する。
 ――余計、真っ暗だぜ。このままだと。
 うるさい。何が分かるんだ。お前なんかに、僕の何を理解してるってんだ!
 ――分かるよ。俺は、『お前』なんだぜ?
 同じ動き、同じ表情。間違いなく、そうなのだ。でも、僕には、鏡の僕が、微かに微笑んでいるように見えた。
 ――ほら、早く寝ろ。母さんが心配してっぞ。
 いつの間にか僕の後ろにいたのは、近所で美人で有名な、僕の母さんだ。母さんは顔を青くして、僕を見ていた。
「あっ、母さん。僕、少しだけ寝てくるね」
 安心させようと、僕は言う。しかし、母さんの表情は変わらない。それどころか、泣いている。
「大丈夫だって。寝たら、すぐに……」
 僕が一歩前に踏み出した、その時。僕を貫通して、母さんが通り過ぎた。それに気づいた瞬間、若かったはずの母さんが、白髪にシワだらけのお婆さんに変化していた。
「あっ、あ……」
 ――【その姿】で後悔したって、遅いぜ。
 後ろから声が聞こえて、振り向く。そこには、泣き崩れる老婆の母さんの姿しか映っていなかったのだった。