遠くの空へ
若い頃、世間的なムードもあったと思うけれど、色んな国や場所へ実際に行ってみたかった。
お金と時間が揃えば友達とや1人で海外へ行っていた。
欧米よりもアジアが好きでその土地土地の空気の違い、まるで人間の性格みたいに土地そのものに個性があることが何より好きだった。
小乗仏教やヒンズー教の美術はとてもおもしろくて、どうしてこんな風に表現するのかなーとか、すごく違った文化なのに驚くほど似ている部分を持っていたり、人間というか人類はやっぱりひとつの何かなのかなって思ったり。足から耳とか見たら「なんだこいつ、ぜったい自分の仲間じゃねぇ」って思っちゃうだろうし、でも違っていてくれるから全体は回るわけで、そういう感覚って本当は全員の中に埋め込まれているものだと感じた。
視野の狭い足の指はかかとを見たって仲間だと思えない。
最近はあまり海外に行きたい気持ちが湧かない。
創作なんて大袈裟なものではないけど、自分の中を探してぴったりくる表現を探していると、これもまた遠くの空へ出かけていることと驚くほど似ているのではないかと思う。
ある日自分の中にぽっかりと開いた別世界への入り口。
その境目をうろちょろしていると日本が、今住んでいる場所が遠い。
最近私が出かけている遠くの空はピンクとオレンジの混ざった色です!
春爛漫
春爛漫→満開の桜から呼び出される記憶は高遠の桜。
あんなに天井も床もピンクの空間はあれ以来経験してない。
行動範囲がどえらい広い人と友達で、大学時代あちこちくっついて行ってた。
彼女は中高留学してたのに、大学生になった時点で都内の道はもちろん、関東と甲信越ぐらいまで地元民しか通らないような道まで知ってて、都内は東側でも西側でも都下でもどこでも車で15分でやって来る能力者だった。
助手席に乗せてもらうと、元々タクシーの運ちゃん並みの知識なのに、毎回野生の勘みたいなものを駆使して「ここ曲がった方が早いかもしれない」と知らない道をどんどん行き、ショートカットルートを更新していた。
運転が好きな人だったから乗せてもらうことも多かったけど、たまには私の運転に乗ることもあった。
道案内はナビいらずでしてくれるんだけど、たまに「ここでユーして(Uターンしての意)」って、私のドラテクではちょっと難しいですぅーという指示が飛ぶ。
「え、ここ?ここは無理、私じゃ無理」と言っても「ちゃんと見てるから大丈夫、行ってみて」って諦めてくれないので、彼女を乗せる時は毎回「今日はユーありませんように」って祈ってた。
彼女は社会人やってから医療系の大学へ編入し、長野で大学生活を送っていた彼女のところへ何度か遊びに行った。
その時高遠城址の桜を見に連れて行ってくれた。
「どうしても連れて行きたい蕎麦屋があるから」と結構な距離を信じられない速さで連れて行ってくれたり、彼女と行動する数日は私にとって10日ぐらいの行動量で、時間の長さを操れる魔法みたいだ。
能力者はいるんだ、と毎回思っていた。
SPECですね。
急に息子がSPEC見出して、目のはじに映るのを「わー懐かしい」って言ってたら、気付いたら一緒に全部見ちゃった。
前見たけど内容ほとんど忘れてて、一喜一憂激怒しながら楽しかった〜。
全くあせない名作ですね。
息子が「大事なことはハートに刻まれるから記憶から消されないんだね」って言ってて、「そうだね、だからどんな思い出も忘れちゃっても大丈夫なんだよ、ちゃんと仕舞われてるだけだから必要な時に出てくるよ」って言うことにより自分の物忘れの激しさを問題ではないと刷り込んでおきました。
誰よりも、ずっと
来たか、誰よりも問題…。
前にもらったお題でもなんのお題か忘れましたが「⚪︎⚪︎より」のものがあって、その時も書くことが思い浮かばなくて私にとって難問です。
なんか最後笑って誤魔化した気がします。
ずっと、も私にとって難しい問題です。
なんせ未来の覚束なさがパネエんす。
てことでムズ過ぎて滅、語呂が良すぎて言いたくないのに手が勝手に書きます。
みな時代の申し子です。
今日は滅んどきます。
これからも、ずっと
夫も私もこの10年15年はてーへんだった。
底辺ではなく大変です。
公私ともに社会的な役割や家庭でのこと、いーろいろあった。
私はいっとき我を失っていて、全てから解放されたかった。
今振り返ってみてそのせいだったと整理しているが、当時は夫とのチグハグは一向に解消されず、心の平穏のためには一緒にいる方が大変だと考えていた。
夫と私は扇形の夫婦で、好きなことや興味のあることの方面やそもそもの性格がぜんぜん違う。
物事の本質だと思うことと温泉好きだけが合致していて、大きなことを決めるときはだいたい「だよねー」で済むし、協力関係はうまくいく方だと思う。
イザのときや同じ目標に走るときはいいけどそんなことは数年に一度だし、お互い好きなことをするとか、ぽっかり空いた時間にしたいことが違う。
日常における愛情表現や生活習慣、こまごまのことが違う。
なんでも話し合ってみればいいじゃんという私と、言葉数の少なめな夫と。
夫は自分にまつわることをあまり話さない。
そのことが私にとっては相手を理解することが難しいし、言ってくれないとわからないこともたくさんあるし、と不満だった。ぶつけてもきた。
夫はそういう時も多くは語らないが意思表示は断固としてする。
そのうち気がついたのが、その代わり夫は日常私に何も要求してこない。
語らない代わりに何も求めない。
私がどんなに浮かれていても落ち込んでいても暴れていても笑っていてもいつも同じトーンでそこにいる。
いてくれたんだと思う。
徹底した尊重という在り方。
無関心と違うことは肌で感じている。
そういう姿に気がついて、思い当たったことがある。
幼少期や青年期についてきた心の傷は誰しも持ってる。
なるべく修復したいと思って生きてきたけど、自分の努力や周りの助けがあってもどうしても治せない傷があった。
そこが、癒えてきているようだった。
夫のおかげだけではないかもしれないが、大きな助けであったことは間違いない。
この年月を共にいてくれたことに深く感謝している。
数年に一度の協力タイムはテニスのダブルスみたい。
私は前衛、夫は後衛。
前衛は手を出してみたり引っこめてみたり、後衛が取ってくれるって知ってる。
私が変な球打って落ち込んでたら「そういうことする人がいたから事態が動くってことあるからね」とフォローしてくれる。
後衛兼監督か。
私はのびのび動けて試合中はとても楽しい。
先のことは誰にもわからない。
来週の予定だってなんだか現実味がないというのに、年単位先のことなんか皆目見当がつかない。
だから「これからもずっと一緒にいようね」というよりは、歩いてきた道を振り返ってそうであったならそれはそれでとても良き人生だろうという心なう。
沈む夕日
旅先や滞在先で夕陽の名所があると行ってみたりする。
いくつもの素晴らしい夕陽を見たと思う。
でも心に強く残っているのは家の近くで見た夕陽の数々。
目が潰れるほどオレンジで線香花火みたいな太陽も、地平線まで行かずに雲に沈んでいく夕日も、紫からピンクにかけて信じられないグラデーショで染まる空も、不気味に赤くなって怖くなる空も、たくさんの夕陽が仕舞われている。
それが何故そうなるのかわからない。
出先では心持ちがアウェーで余計な力が入っているからなのか、多分に感傷的になっている気はするが、心に刻まれるのは自分が今暮らしている場所の方。
暮らしの持つ力は強くて、暮らす中で自分とその土地が可愛い紐で結ばれていく。
そういう紐のことも関係しているのかもしれない。
ただ夕陽を見る機会が多いから分母がデカいだけかもしれない。
そんな気もするが認めないことにする。
ところで、夕日と夕陽の違いってご存知でした?
そういえば知らないと思ってググったので共有してみます。
夕日は沈む太陽そのものや現象を指し、夕陽は夕日の光に染まった景色や情景、情緒的な雰囲気を強調する際に使われるんだそうです。