君の目を見つめると
君の目はたいていピンクの煌めきを放っていて、時々エメラルド、みたい。
まつ毛も目と同じ色どりで、ばさばさと音がしそう。
覗き込んだら瞳の中は色の洪水、でもその奥にぽっかりした場所があって。
星が溢れてくる時もあるけど、空洞の時もある。
その空洞が空虚かというと、空虚なんだけど、哀しいとか寂しいとかそういう類の空虚じゃなくて良きも悪しきも乾いてさらさらの空虚。
どんな状況を目の当たりにしてもAll’s right with the world.って無邪気に言い放つ感じのあれ。
でも心は感じる。
たしかに心の存在を、気配を、笑いも怒りも躍動も、空虚と同居。
あ、韻踏んじゃった。
愛しの君、我が子のようでもないし友達みたいでもない、大切な大切な、ちょっと厄介な、君。
星空の下で
ずっと昔、一時期屋久島で働いていた。
友だちの彼氏の家族が民宿を経営していて、急な人手不足で困っていた。
私が無職でぷらぷらしていたことを知っていた友だちが「働かない?」と声をかけてくれたので行ってみた。
人に任せていた民宿を急に回さなければならなくなったオーナーは、てんやわんやであちこちに声をかけたらしく、想像以上の人数が集まっていた。
稼ぎどきの夏だったため、オーナー自らやらざるを得ないと思ったらしい。
夏休みに入ったオーナーの息子さんら大学生たち、その彼女やその家族たちなどなど、私を含めて全員シロウトの行き当たりばったり凸凹チームの合宿生活みたいな不思議な暮らしが始まった。
いつもお客さんの数よりスタッフの数が多かった。
そこでの生活はいいとして。
屋久島の星空は素晴らしかった。
永田浜は、海亀の産卵のために車のヘッドライトを遮るように遮光林が植えられ、静かで暗い。
たまに夜、1人で浜を訪れて寝転んで星空を見た。
現在は夏の夜間の立ち入りは禁止のようだが、当時は禁止されていなかったと思う。
ある時、大学生だった妹と妹の友達たち5人が遊びに来た。
私は溜めていた休みをもらって、屋久杉に会いに山に登ったり海で泳いだり温泉に行ったり、彼らと一緒にたくさん遊んだ。
夜は暗い浜へ行ってみんなで寝転んで星空を見た。
最初はなんとはなしに話していたが、だんだんポツリポツリになり、最後はずっと静かだった。
気のいい連中で、年の離れた私を自然と受け入れてくれてたまに一緒に飲んだりもしていたから、その頃には打ち解けていた。
それでも、街中で飲んでいる時には無い時間が島にはたくさんあった。
そのうちの1人が亡くなって、とてもショックだった。
自分より若い人を失うのは耐えがたい。
何年も会っていなかったから後から聞いた話では、とても彼女らしい、心の力を感じさせる最期の時間を過ごしていたらしい。
本当に彼女らしい。
自分の人生に星空の下で過ごした記憶はそんなに多くはないけれど、そのうちの1つにあの時間があったことを幸福に思う。
何気ないふり
家族の暮らしの中で何気ないふりすることよくあります。
子供の様子がいつもと違うなと思ってもしばらく何気ないふりで様子を伺います。
欲を言えば、何気ないふりをするのではなくこちらは影響を受けずに本当にいつもと同じに居ることが出来たらなーって思いますが、私のレベルでは難しい。
相手が私の様子が違うぞ、と思って何気ないふりをしてくれているな、と察知することもあります。
そういう時は「さーせんさーせん」と思いつつ、なるべく相手がそのふりをしてくれてる間に立て直そうとします。
優しい人ほど、自分の中に何かを抱えていても外に対して何気ないふりをするので、周りは気付きません。
気付いてあげられなくてごめんね、とも思うし、相手がそのことに気がついたら、お互いにちょっと甘えることが難しくなるかも、とも思います。
自分の中のことをちょっとも漏らさずにピチッと閉まっていることは大人だと表現されるような気がするけど、それがとても良いことなのかどうかは、まだわからないなって思います。
最初は優しさだったことが当たり前に格下げされてなんでもハラスメントって片付けるようになって、なんかソツのなさとかスマートさとかそういうところにパワー使うようになった気がして、一層馴染めません。
潤滑油は主食にはならないよ?って思うけど、そういうところで線引きする人増えたような気がするけど、気のせいでしょうか、最近私が出会った界隈だけでしょうか。
話がどんどこ逸れてってもう戻れないので、何気ないふりでやり過ごしてやってください。
My Heart
自分の心、ハートのイメージを自分の中に持ってる。
環境が変わったり出会いがあったりトラブルに見舞われたり様々な外を映す鏡の何に自分は反応しているのか。
時におでこ、時に後頭部、時に五感、その辺でまず拾って、ハートに続くルートに何を通すのかもみもみ揉んで、選ばれた要素がルートを通り、通っていく中でもふるいにかけられてハートに沁み込んでいくことは限られる。
食物の消化プロセスに似ていると思う。
食べ過ぎれば消化機関が疲労したり、壊れてしまえば上から下から出すしかない。
消化が強い人弱い人、少食な人大食漢、個人差が大きいことも。
内臓に優しい食生活をし続けると刺激物を欲さなくなるというけど、心にとっても同じなんだろうか。
食べ物は辛い物好きコーヒー好きアルコール大好きカップラーメン食べる派で、心の摂取物もエログロノワールいける派だけど、歳をとって刺激に弱くなったのか、昔のように自ら求めていく気持ちは弱まっているかもしれない。
それを弱くなったと捉えるのか健康になったと捉えるのか。
大事大事に温室に入れておけばいいってもんではないような気がするけど。
私のイメージしているハートは柔らかく光っていて、喜んだり笑っていると光量が増し、穏やかな時は柔らかい。
傷付いたところは表面がかさぶたみたいに何かで覆われ、増えればまだら模様になって光が見えにくくなる。
傷が癒えればかさぶたは剥がれてまたつるっとする。
みんなの中に必ずあって、ほんとうは柔らかく光っている。
圧倒的に尊い!
それが心ってやつです。
ないものねだり
学生時代からの友達の中に、1人ものすごく一緒にいて楽な人がいます。
高校生から知っているけどなんとなくグループの中にいて、気づいたら仲良くなっていたのは就職する前とかだった気がします。
彼女はとにかく頭が良くて勉強や仕事が出来るのはそうなんですが、そうでありながら他に寛容です。
相手を尊重する姿勢が一貫しているように感じます。
今まで出会った頭のいい人たちはこれが難しいのかなと感じることがありました。
たくさんのことが見えてしまうし先がわかってしまうこともあるし説明してもわかってもらえないこともあるし、その分悲しい思いをすることもたくさんあるんだろうなって思います。
彼女のすごさは、自分は賢い人特有の道を歩みながら、アホなことしてんね、と言いつつも「転んでもいい怪我してもいい、命だけは大事にねー!」と笑って送り出し、帰ってきたら「うんうん、アホだねー」と一緒に笑ってくれるところです。
「自分がいる世界の人たちと違う、転職とか無職を繰り返すような野良と同じ目線で付き合えるところ最高だよ」みたいなことを伝えます。
一時期、「むむっ」と感じる人と付き合ってたこともありました。
「この人と結婚しちゃったらぜったい夫婦で飲もうとか出来ない…」って勝手にハラハラしていましたが、彼女の運命の人は違いました。
とても良い人と結ばれました。
出雲大社に一緒にお参りに行った甲斐があったねー。
今はバリバリ出世して、仕事はめっちゃ出来るけど独自性があってややムズの部下を集められているそうです。人を尊重する彼女の特性をすっごく活かせる配置だなと思って、人事の采配に惚れ惚れです。
優秀な人たちってやっぱりすごい!
自分とは全く違う世界を生きている彼女ですがこれからも会えば笑い転げられる良き友でいてほしいです。