1000年先も
良いお題。
何も思い浮かばない。
100年先だったとしても何も思い浮かばないかも。
きっと人それぞれ時間のものさしを持っていて、それはたぶん、その人の現在の年齢とかに左右されるものではなくて、もともと持って生まれたものさしのような気がしていて、私のはおそらくかなり短い。
確かに思える未来方面は来週のことぐらいまで、それよりも先は例え予定を入れていたとしてもかなり輪郭が点線。
「カレンダーに予定入ってたのは知ってたけど、ほんとにこの予定来るんだ!」って驚いたりすることもしばしば。
ユーレイ部員のような存在感でしか掴めない。
それは「今を生きる」って感じのことではなく、ものさしの問題だと思うのです。
もちろん過去方面も短くて、印象的なことが増えてくると過去もボロボロ抜け落ちて、自分の人生振り返ってもなんだかあんまり覚えていない。
しかし出来事は思い出せなくとも起きていたわけで、その時の自分の畑には撒かれているわけで。
肥料の内容は思い出せないけど現在の畑にはこんなものが実っていますということは隠しきれもしないわけで。
過去に見た映画や読んだ本だって買っちゃうこともあるし、後半まで見てから「あ、これ見たわ」って楽しむことだって出来ちゃうのです。
1000年先のテクノロジーでそのものさし伸ばせますよって言われたとして、どうかなー伸ばすかなーなんか興味ないなー。
勿忘草
勿忘草って文章の中でたまに見かける言葉だけど、私の人生の中では縁がない植物だった。
勿忘草って見かけても、どんな葉っぱでどんなお花なのか思い浮かばない。
これだけ見かけるということは、人々にとってはそれなりに触れる機会があり、思い出なんかもそこにあって、何かを想起させる存在なんでしょう。
そういう、多数の人々は知っていそうだけど自分はわからないものに触れる時、「同じ文化圏で育ったか」ということを思う。
今までの職場で、違う方々から何度か「帰国子女なんでしょ?」と言われたことがある。
先方はもちろん悪気のかけらもなく、むしろ褒めていますという気配を漂わせておっしゃっていたように思う。
残念ながら私は東京生まれヒップホップ育ち(ヒップホップ育ちではない)悪そうな奴らは大体友達(友達ではない)(ややこしいが時代の力に抗えない)というフレーズがすっと出るぐらい、どっぷり国産です。
帰国子女なんでしょ、の発生元としては、あーこの人同じ文化圏で育ってないんだな、だからああいう振る舞いになるんだろうなって、いいなーもあったかもしれないし、だから仕方ないんだなーもあったかもしれない。
言われた私は、ちょっとだけ切り離されたような気持ちになったわけだけど。
勿忘草も知らないし仕方ないか。
ブランコ
幼稚園の年長さんの時だったか、ブランコの柵に座っていてバランスを崩し背面方向に落っこちた。
目の方向は天を仰いでいたはずなのに、なぜか落下の景色の記憶がスローモーションで残っている。
びえーんと泣いて、公園の中にいた母親と帰宅した。
その後の記憶は無いが恐らくずっと痛がっていただろう、結果的に右肘の骨にひびが入っていた。
簡単なギブスのようなものを腕につけられて、肩から腕を吊った生活が始まった。
なんせ幼稚園さんですから、特別感に意気揚々と登園した気がする。
みんなに「わーどうしたのどうしたの」と囲まれたし、質問いっぱいされた気がする。
はっきりと記憶に残っているのが、得意げに左手でも鞠がつけます、とやっていた時に、幼稚園でもとびきり人気の光に溢れた先生が「左手でも上手にできるんだねー」と褒めてくれたこと。
目はボールから離さずに鞠つきを続けながらも、さぞや鼻の穴が膨らんでいたでしょうね!
かわいい!
旅路の果てに
人間の誕生のプロセスを旅だとしたら、旅路の果ては母親のお腹から外に出たとき、そしてまた新たな旅が始まる。
受精卵は受精してからプランクトンから魚の時代、陸に上がって手足が生えて、と人類の進化を一通り経験すると聞いた。
確かに、エコーを撮る度にその命は形を変えていたことを目撃してきたから、その壮大な話は夢物語には聞こえず、納得しかなかった。
「出産して赤ちゃんを育て始めたら急に縄文時代みたいになっちゃったんです、体感が」と話した時に、その人が「そういえば」としてくれた話だった。
その場にいたみんなで、「ああ、お腹から外に出て進化の続きやってるんですね、赤ちゃんは」となんだか腑に落ちてしまった。
たしかに、子供が2、3歳になる頃から言葉で他者とコミュニケーションを取れるようになり、そうなると他者との交流が始まり、体感一気に文明化が進んだ。
1人の体の中に人類の進化の過程が全て詰まっていると考えると、なんて大きな存在なんだろう。
そして、微々たる長さではあるが人類の歴史が伸びるたび、1人が経験する過程は増えていく。
人類の経験したあれやこれやは次々と新しい人々に詰められていくわけで、より新しい人間たちがより深度を増していくのではないかと思えるし、人類の未来は明るいと思えるのです。