怖がり
私はかなりの怖がりな子供でした。
高所への恐怖も暗がりへの恐怖も幽霊や宇宙人、なんでも怖かったものでした。
電車に乗る時は駅のホームの高さが怖くてちょう真ん中しか歩けませんでした。
日によっては柱から手を離せなくて母に怒られていました。
電車に乗る時のホームとの隙間はものすごく広く深く闇が口を広げているように見えていました。
段差が隙間のタイプの階段なんか地獄で、へっぴり腰で手すりにしがみつきながらようよう。
もちろん幽霊は怖いです。
宇宙人も油断ならないです。
昔は怪談ぽいことも宇宙人のこともテレビでたまに流れていて、怖がりなのに見ちゃうと見ちゃって、もんもんと恐怖を抱いていました。
母のことを、本当は宇宙人が母に擬態してるんじゃないかと疑ったことも一度や二度ではありません。
私は長子なので、もし母が宇宙人だったら、弟や妹はまだ小さいから気がついていないだろう、どうやって宇宙人に怪しまれずに2人を連れて逃げ出すことが出来るだろうかと策を巡らせていました。
でも実際は夜怖くて眠れない時、小さかった妹を自分の布団に寝かせて一緒に寝ていました。
上に兄弟のいる皆さまに一言お伝えしたい。
色んな兄さん姉さんがいることと思います。
好きでも嫌いでも結構なんですが、少なくとも小さいころ、上の子たちは何かあったら下の子たちを守りたいと考えてました。
断言しちゃう。
これは親にそう言われたからとかではなく、自然発生的に備わってしまうものなのです。
もちろん下の子たちに頼まれたわけでもなく、それの何がいいのかと、余計な肩の力だったのかもしれません。
それでも、たとえラオウのような性格になったとしても、あの頃のあれは愛だったと思うのです。
親子でもなく、友達や恋人とでもなく、兄弟の間にしかない愛の形だったと思います。
押し付けです。
ラオウといえばうちの三兄弟はまんまと北斗の拳の三兄弟とそっくりの性格だなーと感じることがあります。
武論尊先生、当時からバースオーダーのこと詳しかったんかな。
長子は年長であることにあぐらをかいて好き放題やり、兄弟から借りたお年玉を返さずに叱る母から逃げ回っていますと、私がいない時母から兄弟たちに「大人になってお姉ちゃんがお金貸してって訪ねてきても絶対にドアを開けてはいけない」という教育がなされていたらしいです。
今はラオウが亡くなった年齢も遥かに超えて、ラオウみはめっきり減りました。
ラオウがもし長く生きたら、意外と早めに落ち着いちゃったりしたのかもしれない。
おかげさまで長じて後は兄弟にお金を借りに行くこともなく今日を迎えております。
お互いにドアを開けあえる関係って素晴らしい!
我が生涯に一片の悔いなし!!
星が溢れる
私の中にある女の子が住んでいます。
彼女は人間ではない種族です。
彼女の住んでいる世界はおひさまが照らないので、星はとても身近な存在です。
彼女の体の中には、人間にとっての血液のように星が巡っています。
彼女は今難しい恋をしています。
人間を好きになってしまったんだそうです。
人間に変身して好きな人の目の前に立つ時、目から星が溢れます。
あんまり溢れちゃうと「この人目から星が出てる!」って彼に気付かれちゃうから、なるはやで一旦目をつぶるそうです。
彼がニコッと笑って「最近どう?」って話しかけてくると、ハートから星が溢れます。
あんまり溢れちゃうと服の隙間から外に出ちゃうので、またバレるリスクを負いますから、なるはやでハートに鍵をかけるそうです。
「人間に変身せず、私が私のままで彼に会いに行ったら、私が私のままで彼は彼のままで「話したいです」と伝えたら、友達になってくれるかな…?」
そのことを悩んだ時、悩みすぎた時、頭がパッカーンと割れてしまうんです。
そこから星が溢れます。
あんまり溢れちゃうと本体を維持しにくいんだそうで、なるはやで頭を修復するそうです。
そんなこんなで何かと溢れやすい星ですが、多少漏れちゃってもどうってことなくて、星の湧く泉に汲みに行って足しとけばいいんだって。
雑な作りぃーと正直思ったけど、うらやましいね。
人間よりもずっと長寿なのもなるほど納得です。
ずっと隣で
今住んでいる家のお隣さんは2軒あります。
裏の隣も入れると3軒あります。
引っ越してきた時、昔ながらの「向こう3軒両隣」+裏のおうちに挨拶に行きました。
裏の方とは会えなかったけど、他の方々とはお会いできました。
引越しの挨拶なのに、やり手のおばちゃんは夫婦の出身地、引越しの理由、馴れ初めまで聞き込んできました。
流石の腕前です。
その後のお付き合いはあまりなく、道で会えば挨拶するくらいです。
とても静かな地域なので、いろんな音が聞こえます。
こないだ娘が「どこからかウォーイって聞こえて怖くて寝れない」とやって来ました。
一緒に部屋に行って待っていると、おそらく裏のおじさまのくしゃみだと思われる「ウォーイ」が聞こえました。
「パパもよく壁吹き飛ばしそうなくしゃみしてるじゃん、そういうのもきっとお隣には怖い音として聞こえてるよ」「おんなじだね」って「ウォーイ」はもう怖くないものになったようで平和に眠りました。
会ったことはないけど、お隣と裏のおうちには犬がいそうです。
2匹とも声の高さから、小型犬のような気がします。
うち1匹はおそらく老犬で、夜中にたまに少し苦しそうに鳴いている気がします。
実家で飼っていた犬を思い出したりします。
妹一家が遊びに来た時、妹が庭に出ていた時に裏の方と壁越しにばったり会って挨拶したそうです。
裏の方とは会えていないので、妹がここの住人だということになっているでしょう。
お隣さんて不思議です。
天文学的な数の家の中から運命的なご縁で隣同士に住む。
毎日ものすごく近くに暮らしているし、ある意味友達にも見せないような生活の一部が漏れてたりするのに、人間関係としては滅多に会わない。
どういう距離感なんでしょう。
仲良くなってしょっちゅう行き来するようなお隣さんもあると思うけど、今ぐらいの、気配を感じるくらいの距離感でずっと隣で暮らせたら1番いいなって思っています。
もっと知りたい
何年も一緒に暮らしているのにちっともわからない家族のこと。
夫は口数は少ない方でも無いけど、自分についてあまり話さない。
「それじゃいつまで経ってもわかんないよ!」って怒ったこともある。
でも先日夫のお母さんと話してて、「あなたには何でも話すのねぇ」と言われて心底目ん玉飛び出た。
ご冗談でしょ!まじでわからん。
何年もわからんわからんと暮らしているうちに、そりゃ発信側の問題だけでもなかろうとは思っていて、受け手側のセンサーがザル説も考えてみた。
私は安直な言葉の応酬でしか相互理解を図れないと思っているのかな、とかさ。
でもそれの何が悪いんだ、人間は相手を知りたいし自分のことも知ってほしいから言語を獲得し発達させてきたんだろうが!と1人でぷんぷんしたりもした。
話し合える喜びというものは確かにあるしね。
でも人間の存在というものは、人間だけではなく生物かもしれないけど、言葉なんか発さなくても佇まいや表情、存在そのもので多くのことを開示している。
雄弁多弁で美辞麗句なスピーチ上手、でも1ミリも響かない話なんて珍しくない。
夫の存在感は確かにあって、何を考えているのかはいまいちわからないのだが、なぜか抜群の信頼感はある。
私はきっと、何を考えているのかは丸わかりだが信頼感はあまりなさそう。
子供たちの様子を見ているとそんな感じに判断しているようだ。
「知りたい」と思うことは諸刃の剣で、双方の架け橋になることもあれば相手を深く傷つけてしまう暴力にもなる。
ネットにはどちらもうんざりするほど溢れてる。
相手を判断する自分の力に自信がないと「もっと知りたい」って情報を求めるような気もするし、実際知ることによって愛憎が増えていく構造もあるし、やり過ぎは人生をややこしくしそう。
私も夫に「わからん、開示求ム」ってザルを振りかざすことはもうやめて、シックスセンスで読み取る能力をもっと磨きたい所存です。
平穏な日常
今の家には少しお庭があって、いつも座っている食卓の私の席から自然と見える配置です。
古い日本家屋に住んでいて、リビングと縁側の仕切りは雪見障子で、下半分を開けていると座るとちょうど庭が見えます。
目線の先に謎の石柱が3本立っていて、高さはそんなに高くなくて、そこにお米を置いておくとすずめや名前のわからない小鳥が食べにきます。
たまに怖い糞も落ちています。
その横に少しだけこんもりした場所があって、先日亡くなったハムスターのお墓になっています。
亡くなる前に子供達と球根を植えて、芽吹くのを待っている中死んでしまいました。
今はお花が咲いてお墓の周りはにぎやかです。
引っ越してきたのは春でした。
その頃は小鳥や蝶々がたくさん庭で遊んでいて、うっかり死んじまって天国に来たかと思いました。
でも、町のあちこちにそんな光景が広がっていて、ここは天国ではなくこれから私が暮らす日常になるのだと知りました。
今年も春を待ち侘びています。