これからも、ずっと
夫も私もこの10年15年はてーへんだった。
底辺ではなく大変です。
公私ともに社会的な役割や家庭でのこと、いーろいろあった。
私はいっとき我を失っていて、全てから解放されたかった。
今振り返ってみてそのせいだったと整理しているが、当時は夫とのチグハグは一向に解消されず、心の平穏のためには一緒にいる方が大変だと考えていた。
夫と私は扇形の夫婦で、好きなことや興味のあることの方面やそもそもの性格がぜんぜん違う。
物事の本質だと思うことと温泉好きだけが合致していて、大きなことを決めるときはだいたい「だよねー」で済むし、協力関係はうまくいく方だと思う。
イザのときや同じ目標に走るときはいいけどそんなことは数年に一度だし、お互い好きなことをするとか、ぽっかり空いた時間にしたいことが違う。
日常における愛情表現や生活習慣、こまごまのことが違う。
なんでも話し合ってみればいいじゃんという私と、言葉数の少なめな夫と。
夫は自分にまつわることをあまり話さない。
そのことが私にとっては相手を理解することが難しいし、言ってくれないとわからないこともたくさんあるし、と不満だった。ぶつけてもきた。
夫はそういう時も多くは語らないが意思表示は断固としてする。
そのうち気がついたのが、その代わり夫は日常私に何も要求してこない。
語らない代わりに何も求めない。
私がどんなに浮かれていても落ち込んでいても暴れていても笑っていてもいつも同じトーンでそこにいる。
いてくれたんだと思う。
徹底した尊重という在り方。
無関心と違うことは肌で感じている。
そういう姿に気がついて、思い当たったことがある。
幼少期や青年期についてきた心の傷は誰しも持ってる。
なるべく修復したいと思って生きてきたけど、自分の努力や周りの助けがあってもどうしても治せない傷があった。
そこが、癒えてきているようだった。
夫のおかげだけではないかもしれないが、大きな助けであったことは間違いない。
この年月を共にいてくれたことに深く感謝している。
数年に一度の協力タイムはテニスのダブルスみたい。
私は前衛、夫は後衛。
前衛は手を出してみたり引っこめてみたり、後衛が取ってくれるって知ってる。
私が変な球打って落ち込んでたら「そういうことする人がいたから事態が動くってことあるからね」とフォローしてくれる。
後衛兼監督か。
私はのびのび動けて試合中はとても楽しい。
先のことは誰にもわからない。
来週の予定だってなんだか現実味がないというのに、年単位先のことなんか皆目見当がつかない。
だから「これからもずっと一緒にいようね」というよりは、歩いてきた道を振り返ってそうであったならそれはそれでとても良き人生だろうという心なう。
4/9/2026, 1:23:49 AM