『秋風』
単に秋風
なら
肌寒い風ということだろう
けれど
『秋風』が吹く
となると
男女の関係が冷める
という意味でも使われる
「秋」と「飽き」をかけているらしい
何れにせよ
私は「秋」が好きではない
植物が枯れて散る様
「紅葉」がきれいだと想えたことがない
老い続ける自分と重なるからだ
私は雪国育ち、雪国住まいだ
だから雪のない冬は冬ではない!
とさえ思っている
そして、大抵の雪国の大人は
雪が降るのを嫌がる
除雪という重労働の始まりだからだ
でも
わたしは雪が降ると
40を過ぎたいまも尚
子どものように、毎年ワクワクするのだ
モフモフした誰もまだ踏みしめていない雪に
足を踏み入れる感触
山盛りに積もった雪にダイブするワクワク感
まあ…こんなことする大人は私くらいだw
そして…
枯れた木々も雪化粧をする
とても冷えた日のダイヤモンドダスト
そして木々に凍り付く花のような様子
何とも言えない神秘的な
真っ白な世界に魅了される
それは
私の汚れた心を浄化するような
天に召された感覚に近い
私はきっと、この汚れた世界から離れて
早くそちらの世界に行きたいのだろう
だから
いつまでも大人にもなれず
真っ白な雪景色が天国かのような感覚に陥る
『秋風』はいらないから
早く真っ白な世界になればいいのに…
『スリル』
『スリル』とは↓
楽しみとして味わえる、恐怖感、緊張感、不安感
何だそれ…?
楽しみとしてそれらを味わえるのなら
パニック障害
うつ病→双極性障害
に
15年も費やす必要などないのに
楽しめる人のその感覚を
僅かでも分けて欲しいくらいだが
そこまでして
何かを得られるのだろうか?
私の脳にはその『スリル』というものは
持ち合わせていない
例えるならば
ギャンブル?
浮気や不倫がその類いなのだろうか?
だとしても…私には
楽しむ『スリル』
ではなく
全力で費やすもの
と変換され
楽しみながら、恐怖感、緊張感、不安感など
不可能なのだ…
だから完治の無い
「双極性障害」
あー
『スリル』ねぇ…
私にある感覚としたら…
踏み切りで最前列で停車したときだろうか?
「このアクセルを今、踏み込めば逝けるよ?」
というもうひとりの自分からの悪魔の囁き…
これ楽しい?
って普通の人は想うんだろうな
でもね
普通じゃない私には
ちょっと怖くて
でもちょっと魅力的な感覚に陥るんだよ
生きるか死ぬか
私だけが決められるっていう
普通の人にはわからないであろう優越感
これは
『スリル』と言っても大丈夫そ?w
『飛べない翼』
私にもしも、翼があったとしたら…
それが正しく
『飛べない翼』であろう
何故か?
過保護を超えた過干渉の毒親に
人生の半分以上もレールをしかれ
結婚相手すらも
そのレールのまま選択をしなければならず
今度はモラハラ、性奴隷
子どもへの虐待夫にレールを握られ
パニック障害、うつ病からの双極性障害を発症
何度も飛ぼうとしたのに…
飛べずに…ここまできてしまい
双極性障害からの一般就労不可との医師の判断
2人分の子どもの塾代、教育費により
債務整理をしている私は
生活保護という選択肢はない
子どもが巣立つ今
本来ならば私も巣立つはずだった
沢山の呪縛から解き放たれるはずだった
けれど…
安定していた13年目のうつ病が急激に悪化
仕事も失い、双極性障害と診断変更
結局…
私の「翼」は一度も飛べぬまま
人生を終えなければならないのだろうか?
子どもが巣立てば、ひとり分の生活費でも
なんとか稼ぐことさえ出来れば飛べるのか?
でも双極性障害は一生の付き合いになるはずだ
また仕事をしても、安定した生活の保証はない
家を借りるにしても
身内を捨てた私には保証人もいない
なにも…
なにもない
それが私だ…
就労支援施設からのスタートが無難だそうだ
障がい者雇用にまでも届いていないという現実
昨年までは働けていたのに…
昨年まではこの夢を叶えて飛べるはずだったのに…
一気に崩れ落ちた現実と、どう向き合えばいい?
毎日この恐怖が一度は襲いかかる
今はゆっくり…
と医師は言うけれど
今もうつ病にすら理解のない毒夫がいるこの家で
ゆっくりなど出来ることなどはないのだ
寧ろ…ゆっくりすればするほど
「養ってやってるんだ!」と言う名の強迫に
怯え続けるのだ
だ、か、ら…
ゆっくり休まなければならない
この身体と心を無理にでも動かし
働くという選択肢をするしかない
それが現状だ
それでは双極性障害がよくならない?
そんなことは…承知だ
でもこの『飛べない翼』を
「飛べる翼」にしなければ…
私の生きる意味を、希望を失うのだ
だから恐らく、今後も再発と寛解を
繰り返すに違いない
でもね…
私にも「翼」があるなら…
途中で折れても
一度くらいは飛ばせてよ!
私が選んだレールを歩みたい…
それが私の切なる願いだ
『飛べない翼』は飛べないのではない
飛ばないのだ
飛ぶ勇気がないだけだ
せっかく「翼」があるなら
チャレンジして失敗した方がずっといい
だからね
私は「飛ぶ」よ!
私は私になんか負けない!
私は「飛べる!」
そう信じてる
『鏡の中の自分』
以前も話したことがあるが…
私は私の容姿を憎んでいる
毒親には川から拾ってきたから似てないんだと…
毒姉からは大人になってからもずーっと
「ぶーちゃんw(豚)」と呼ばれていた…
幾度となく罵られ、貶されて続けると
鏡を見ることが怖くなる
写真さえ怖くなる
そしてなによりも
『鏡の中の自分』にさえバカにされているようで
それはいまも尚、続いている
自分と向き合うのが怖い
それは
容姿だけではない
職場や友達の前ですら着飾り、本心を出せない
イイ人を演じるのだ
そうすれば『鏡の中の自分』を消せる気がした
向き合うのが怖いから
自分とも他人とも
それを隠すためだろうか?
年相応に全く合わない、
奇抜なヘアスタイルやファッションをし
更に敵を作ることもある
40を超えても尚、このスタイルは変わらない
本当に自分をさらけ出し
自分とも他の誰かとも向き合えないならば…
嫌われるくらいならば…
いっそ自分から嫌われる道を選ぶのだ
いくら着飾っても報われない
このどうしようもない空虚感
『鏡の中の自分』はきっと嘲笑っているに違いない
「惨めだなw」「いたい奴だなw」と…
だから私は私のことをよく知らない
容姿はおろか、本当の自分ってやつがない
だから恐らく、女優さんになれるくらい
演技がうまい
そうやって、自分だけではなく
他人までも嘘で埋め尽くす
私はどこにいるんだろ?
私は誰なんだろう?
誰かにとって最善の私を演じきってきたのだが…
一度崩れ出すと歯止めが効かなくなった
そうして、パニック発作、うつ病からの
双極性障害
誰かにとっての最善の私でもなく
自我がある自分でもない
なにが好きで何が嫌いなのか?
なにがしたいのか?
何が食べたいのか?
何にも湧いてこない
「無」
誰かにとっていい子、イイ人を演じてきた女の終局…
それが「無」
残酷極まりない
が
それが今の私であり
『鏡の中の自分』なんだろう…
だから
『鏡の中の自分』の顔すら未だに知らない
この歳になると
「可愛い」とも言われなくなる
そうやって自分と向き合えた頃には
自分が想像以上にしわくちゃに年老いた自分と
ご対面するのかもしれない…
私の中の『鏡の中の自分』は
母のドレッサーの前で
「なんで私だけが不細工なの?」と泣いていた
小学校低学年のまま時が止まっている…
『眠りにつく前に』
と聞いて
あなたならどちらを先に想像したでしょうか?
夜?、寝る前のこと?
それとも…
永遠に眠りにつく時のこと?
私は後者だ
普通の人ならきっと
いま、生きている実感がある人はきっと
前者なのだろう
けど
私は違うのだ
普通でもないし
いま、生きているという実感がない
悲観的に聞こえるだろうが
実はそうでもない
不幸すぎる人生なのは明らかだが
別にいま、ドン底にいるという実感もない
生きている意味とか
そういうのを考えるのももうやめた
けれど言うならば…「無」
感情がわからない
苦しめてきた色々なものを捨て
少しは幸せを感じるかと少しは思ったが
それもない
ただただ
毎日を繰り返す
意味のない、やりがえのない、
達成感のない日常を…
「みんなそんなもんだろ?」って思うでしょう?
でもね、私はそんな「仕方がない」という
感情を持ち合わせていないし、
端から見たら
「達成しているだろ?」と言われるのだが
当の本人にはその感覚がない、実感はない
結局は「無」がしっくりくる
頑張っても褒められることなく
もっと、もっと、もっと…
「がんばりなさい」と言われて生きてくると
達成しても、しても尚
達成に終わりがなくなる
だから「死」というものも怖くはない
何故か?
「死」という先にも達成感はないだろうし
死後の世界もまた続いていくのだろうという
私なりの解釈なのだ
きっとその先でも
「がんばりなさい」と
誰かに言われるのだろう
だから、
例え今の人生の『眠りにつく前に』
したいことも特にない
したいことはないが…
何かあるとするならば
ひとりでも多くの人の記憶に残りたい
それが例え私への
恨み妬み、嫉妬、憎悪であろうとも
私が生きていたという証として
多くの人の記憶になりたい
誰かの一番愛する人にはなれないから
せめて
誰かかしらの憎しみの相手であろうが
記憶に残って欲しい
そんな私はひねくれ者でしょうw!?
それでもね
自分では生きた心地がしないから
せめて誰かにとっての
生きた証でいい
私が『眠りにつく前に』
側に誰かはいてくれるだろうか?
別に孤独死は怖くはないのだけれど
最後くらい誰かに看取られる人生で終われたら
その時初めて「あー、私幸せだわ」
って想える気がするんだよね☆彡