伝えたい
伝えたいことがあって走っていたはずなのに、忘れてしまった。今はただ無事だけを祈って、溶けた皮膚や瓦礫につまづきそうになりながら走っている。彼が混じっているかもしれなかった。原型がなくなってかすかな悲鳴を上げる人々の中に。俺の脚はちゃんとある。だってこうして走れている。
ドサッ。
あっ。呆気なく転んでしまった。立ち上がろうとしても動けない。当然だった。本当はわかっていた。俺の脚は半分なくなっていて、走れている方が不思議だってこと。
『やまちゃん。』
俺を呼ぶ声がした、気がした。数時間前に聞いた声。俺は血まみれになりながら瓦礫をかき分けた。
ただ、ごめんって言いたかった。俺が悪かったって、それだけで良かった。
「ごめん、ごめん、なさい……。」
グチャグチャの肉塊を抱き寄せて泣いた。
この場所で
「わたくしは、この場所で待っているのです。」
女は私と目を合わせないまま、そう言った。
「彼はあの時、死ぬはずのない人間だった。」
女の体が透けていることなどどうでもよかった。
「その辺りだけ、土がむき出しになっているでしょう。」
女は地面に視線を落とし、人差し指を向けた。
「彼の魂はきっとまだそこにいるのでしょう。生きているときと一緒。彼はしつこい人よ。」
ふっと、笑ったように見えた。
女は木となり花となり、男の帰りを待ち続けるだろう。
誰もがみんな
誰もがみんないつか死ぬことを実感した去年の夏。身内や友達が亡くなったわけじゃなかった。
でも、私に色んなことを教えてくれた人だった。
彼女の代わりは絶対に見つからない。
あなたの歳を追い越す日が来るのが怖い。
スマイル
君の笑顔は太陽みたいに眩しい。宝石のような瞳は僕の全てを見透かしている。お天道様が見ているってこのことかといつも思う。
僕は信じない。君は今日もいつもの笑顔で僕を待っているんだ。そうに違いない。
……違う。こんなの、君じゃない。
彼女の透けた瞳は隠されていて、白い歯も見えなかった。太陽が、沈んでしまった。
「あ、あああああああああ」
周りの声が聞こえなくなって、視界が暗転した。
目が覚めて、僕は自分の目を潰した。
偽物の太陽が、高いところから嘲笑っているようで腹がたったから。
『あなたは、寂しい夜に優しく照らす月みたいだね。』
君の言葉が反芻している。優しくて心地よい、春の風みたいな声だった。君の笑顔がないと僕は光れないのに、それすらも忘れていく自分に嫌気が差す。
見えない目がじんわり熱くなって、馬鹿みたいに泣いた。
どこにも書けないこと
「どこにも書けないことってある?」
カタカタと軽やかにキーボードを叩く彼女の指をなぞりながら問う。
「そんなの、一番わかってるくせに。」
彼女は、長くて白い指を私の顎にすべらせて、その唇を近づける。艶のないそれはサラサラとしていて、彼女を口いっぱいに感じた。
彼女のエッセイに書けないのは、この私だけ。