『もしも過去へと行けるなら』
突風が、心ごと、身体ごと、持っていかれるくらいくらい強い突風が吹いた。
「……ユキ?」
後ろから、呼びかけられる声が。振り返ると、春の嵐が吹き抜けて、桜の吹雪が二人の間を彩った。ハッキリと映る景色の中に、数年前の、髪を染める前の君がいた。
「いろは」
「あれ、いろちゃんって呼ばないんだ」
「あ、ああ」
ここは、学校だ。俺と彩が通っていた学校。桜の並木が立派に構えていて、春になると吹き抜ける風が目の中に花びらを運んでくる。懐かしい。
「ユキ、疲れてない?」
「疲れたんだ、俺もう」
あどけない顔をした彩は、ひょこひょこやってきて俺の顔を覗き込む。夢みたいだ。というかきっと、これは俺が見たい夢なんだ。いろはとは、もう数年会っていない。俺はもう、サラリーマンになった。
「……そっかあ」
「お前と会えて、俺すげー嬉しかった」
「自分も、そう思うよ」
いろはにはもう会えなくなった。だから、
「ここが今になったらいいのに」
そうしたら、いろはは俺を見上げて、ピシャリと頬を叩いてきた。青い雷みたいに、鋭く。
「お前も前向け!」
そうだ。いろははいつも、前を向けと言ってた。
もしも過去へと行けるなら、俺はいろはに会いに行く。だけどいろははそれを許さない。
「……おはよう」
朝日が差し込む。夜から付けっぱなしのエアコンが、冷たい風を吹き付けていた。
『またいつか』
「ま~た~いつかっ♪ あ~い~ま~しょっ♪」
「ーーーーそれ、逆じゃない?」
「え?」
「いつかまた会いましょう、でしょその歌詞」
「………………おー、そういえば、そうかも」
「でしょ?」
「誰ですか?知り合い?」
「……あー、うん。赤の他人」
「赤の他人の鼻歌に指摘入れられるって、かなりの肝っ玉だよね」
「うん、けっこう評判いいよ」
「えと、これは普通に、人違いとかでなく?」
「気になったから声かけただけ……ってことにしたかったけど、人違い。知り合いに似てたんだ」
「そうなんだ」
「またいつかすれちがいますか、ほいじゃ!」
「……お店入っちゃった……あの子、知ってる気がするけど、思い出せないな」
「……はあ、記憶喪失って、お医者さんに聞いたのに。僕のこと覚えてるじゃん。だって、あの間違いは、僕が最初にしたんだもん。」
きらきら、揺れる星々。その中でひときわ輝いた星を追い駆けていく。 僕もそうなりたくて、その光を振りまく笑顔が、心に焼き付いて離れない。追いかけても遠い。遠すぎる。
「クソが」
「何がクソだよバーカ!」
「は?バカっていうほうがバカなの!」
せっかく、追いついたと思ったら。
「バカっていうほうがバカっていうほうがバカ」
こんな、バカのアホまぬけだったなんて。
「……オメー、顔はかっこいいんだから少しはかっこつけたりとかしないの?」
「俺普段めっちゃ頑張ってるの知ってる?」
知ってるも何も、それを見てお前の隣までこぎつけたんだから、当たり前じゃんか。それを間近で見たくて、それで。
「……アンタみたいなバカ相手じゃないと、こんなバカな俺、やれてないし」
「…………は?」
始めてみた、こんな、ほにゃほにゃの顔。こんな顔他の人に、見せてないのか。可愛いのに。いや、見られたら困るのか。思考が絡まって、言葉に詰まってきた。
「は?って、お前、本当に、バカだね」
「……バカでけっこー。」
俺はもう、未練無いわ。
『揺れる木陰』
騒がしい街の音が、心の微細な声を掻き消す。 雑踏に紛れながらに煩い煩いとぼやく僕もまた、そのノイズの内訳に入る事実が、じんわりと苦しい。長く伸びるビル影を持ってしても、吹きつける熱風にはなんの歯もたたずにいる。
映画館に行こう。そう思い立ったのは、さっき同僚との話に出てきた、懐かしいアニメ映画の再上映があったから。熱くもなく、うるさくもなく、あの頃のノスタルジーに浸れるのなら、千円も二千円も、安いもんだ。
『お味はどちらになさいますか?』
塩味のポップコーン。フカフカの床、楽しげな声。そして、シアターに向かうにつれて増す静けさ。映画館の味がする。この不思議な匂い。他のどこでも得ることのできない感覚だ。そしてそれらを味わいながら、E‑32と書かれた席に座る。
広告の時間が、昔嫌いだった。SNSなんかをだらだら周遊すれば得られる情報だらけだからだ。だけれど社会人になった今、そんな時間もなく、他の映画に触れる機会が得られるのは大きい。
「……はじまる」
大きなスクリーンに映る、大きな大きな木。風に揺れる葉の音、ここまで風が吹いてくる気がした。ここは大きな木陰だ、大きな木を見ながら、薄暗い場所にいて、揺れる光を浴びているなら。ここは揺れる木陰の中。子供に戻るのだ。
『真昼の夢』
カンカン照りの太陽が照りつける8月、僕らは暗いところに閉じ込められる。何千何万という人並みが、一斉に同じ場所で息をする。それは、夢のように輪郭がぼやけていて、ここを出るときには何も覚えていない。ここにいる間は、こんなにも鮮明なのに。
カカカカカカカカカンと、勢い良く光がついて行く。端から端まで勢い良く照らされ、僕らも光を手に携える。そろそろ始まるのだ。
「みんな!会いたかったよ!」
今だけは、僕ら同じ夢を見るのだ。マイクを握った推しは、何より輝く真昼の夢だから。
「大好きだよー!!!」