白米おこめ

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11/15/2024, 2:28:36 PM

そのビニール傘は、道端に棄てられたまま
ずっとそこにいた。

自分は役目を終えたのだと、降りしきる雨も、風も、
からりと乾いた太陽の光でさえも
文句ひとつ言わずに、甘んじて受け入れていた。


ただ、そんな傘も、このときばかりは
自分の折れた腕がどうにか元に戻らないかと苦悩した。

ダンボールの子猫が、心の無い誰かに捨て置かれて数分。
鈍色の空が瞼を落としはじめ、重暗い空気が漂う。
…これは、あと少しで雨が降り出すだろう。
いつでも空を見上げていた傘の、長年の勘だった。

ダンボールの子猫は、訳もわからずただ鳴いている。
どことなく自分に似た状況に、勝手ながら心配が募った。
無機物の自分と違い、向こうには生命があるのだ。
誰かに見つけられなくとも生きている。
ひとりでも、生きている。
そして、誰に知られずとも死んでゆけるのだ。
ただぼおっと緩やかに終わりを待つ自分とは違って。



何とか駆け寄ろうと風を拾い集めても、
折れた骨ではまともに受け止められず、
自分の手はただただ音を出してはためくだけだった。

せめて風除けにはなろうと、地面を爪先で削り耐える。
ぱたぱた、と自分の体で雨音が鳴り始めた。


…その中でひとつ、じゃり、と音がした。
人の足音だ。
リズムよく地面を踏むその音を、傘はよく覚えていた。

目の前のその人は、黒いしっかりとした傘を差している。
自分とは違うものだ。使い捨ての自分とは違う愛される傘。

がたり、と音がした。
子猫が幼い指先でカリカリと壁をひっかいている。
ふと、子猫に影がかかり、子猫は不思議そうにまた鳴いた。


傘は驚いた。


持っていた黒い傘を子猫に立てかけ、
代わりに打ち捨てられた自分を拾い上げたその手に。

まだ使えるな、なんて下から聞こえてきたものだから、
傘は少し泣きそうになってしまった。
子猫にも、自分にも、まだ死ぬなと言われているようで。
無機物のくせして、生命あるものと平等に考えられることが嬉しいなんて、図々しいにも程がある。

傘は、久しぶりに受けた小さな雨粒を拾い集めて、
大事に目の淵から落として、泣いた。


子猫の傘となったこの人の、
優しいその背を守るものになれるのなら。
腕が折れていようとも、再び道に打ち捨てられようとも。
私は傘であることを誇りに思って、
ただ、雨を受ける。


「子猫」(「傘」) 白米おこめ

11/14/2024, 11:38:49 AM

人はなぜ月を綺麗だと思うのか。
夜空にぽっかりと浮かぶ白月を見上げながら、
マスクの下で感嘆の息を吐いた。

バタン、と車の戸を閉めてから数分。
空を走る雲に見え隠れする星々と月を見上げて、
玄関は横にあるのに、家に入れずにいる。
雨上がりの夜だからか、虫の音もせず、
耳鳴りが聴こえるほど静かな時間がただただ過ぎてゆく。

ひゅうと冷たい秋風が頬を撫でる。
秋と冬の境目、衣替えをしないままの服装で
身体が緩やかに冷えていく。


「秋風」と聞くと、左京大夫顕輔の句を思い出す。
百人一首の一つ、「秋風に」から始まるあの句。

…今からおよそ800年も昔の句。
私が立っているこの場所でも、誰かがきっと
私と同じように空を見上げて月の為に息を吐いただろう。


月の光を背に受けながら、玄関に手をかける。
家に帰ってもなお、私は懲りずに窓から月を見るのだろう。
それを知っていながら、
私は名残惜しくドアに欠けていく月を見つめ
秋風と手を繋いで玄関のドアを閉めた。

「秋風」 白米おこめ

11/13/2024, 1:20:05 PM

『私は今から少し寝るから、
貴方は夢の中へ追いかけてきてね』

真白いベッドの上でそう微笑んだまま、
彼女は帰ってこない。

今日も、彼女の夢へ行くために。

夜までずっと



生きるのだ。






「また会いましょう」 白米おこめ

11/11/2024, 12:19:43 PM


白衣の天使。いわゆる、看護師。

白衣の天使の羽は、どうやって生えているのか。

ある人は、大学生。ある人は、高校生の時に。
人は天使になろうと決意する。

そうして、人は理想と現実を学ぶ。
その間に、沢山の苦痛を感じて生きる。

その苦痛が、理想が、
その身の肩甲骨を引き上げ、背中の肉を破る。
肋骨が剥がれ、曲がり、羽根のように背を突き破る。

その痛みに耐え、血を落とし骨を清め、
痛いままずっと頑張った、その先。

背中に飛べない翼が生える。

床に跪き、患者の手を下から下から掬う。
羽が汚れても気にせずに笑う。笑顔をみせる。

床に伏した人に、自らの羽をちぎり、分け与え、
天へと繋がるようにする。

白衣の天使は、飛べない。
白衣の天使は、人である。

だが、確かに、その背には飛べない翼が生えている。


「飛べない翼」 白米おこめ

全世界の看護師さん、いつもお疲れ様です。

11/10/2024, 2:36:37 PM

「すッ、…す、ススキです」

俺の脳内に、一面のススキ畑が現れ……

………やってしまった。

ガヤガヤと騒がしい居酒屋が、一瞬静まった気さえした。
脳内のススキ畑は対照的にざわわ、ざわわと揺れ……いやそれはサトウキビだった。うん。俺の脳内に沖縄の風景が…じゃなくて、そんなのはもう関係ないんだ。大事なのは、今この状況をどう切り抜けるかであって。

…よし。状況を整理しよう。
①、俺は職場の後輩と居酒屋に飲みに来た。
②、俺は彼女の事が最近気になっている。
③、気になりすぎて、口が勝手に好きと言いかけた。
④、ススキで誤魔化した。

脳内のメモ帳に書いたが何だこの流れは。これでも営業か?俺は。商談相手だったら完全にやらかしてる。いや好きな相手だとしたらもっとやらかしてる。
まずなんだよススキって。誤魔化すにももっと他の言葉あっただろ俺のバカ。「すき焼きで〜す」ほらすき焼きとか!!どうすんだよススキって。会話どう繋げろっつーんだよ。ほら彼女も固まってる…

「えぇと……ススキなんですか?」

おいどうするんだよ。ススキになるかならないかの二択が迫られてる。俺に残された道は“はいそうですススキです”か“いやススキではないです”しかないんだ。あ。

「す、鈴木……そう、鈴木とは上手くやれてるかなって…」

ありがとう鈴木。職場に鈴木が居て助かった。ススキと鈴木なら聞き間違いで通せるはずだ。それにしたって最初の鈴木ですはおかしいけどそこは目を瞑ってくれ頼む頼んだ。

「あっ、鈴木さん…そうですね、色々教えてくれます」

サンキュー鈴木。いつも書類に凡ミスが多いが許そう。今度缶コーヒーぐらい奢ってやろうか…

「…でも、その…なんというか、距離が近くて」

は?…待て待て待て待て。雲行きが怪しい。とりあえず脳内で鈴木にあげた缶コーヒーを取り上げる。やっぱ無しだ。エア鈴木がしょげてるがダメだ。お前にはやれない。

「同じ距離でも、先輩は良いんですけどね」

…今なんて?困ったように眉を下げて笑う彼女は勿論凄い可愛いんだが、いや、今なんて?場合によっては鈴木に缶コーヒーどころか自販機を買い与えるレベルまで感謝するぞこれ。え?俺なら良い…俺なら良いって言った?この子。

「…私も、ススキですかね?
…意図を読み間違ってたら、恥ずかしいですけど」

箸を落とす。持ってるのが箸でよかった。というか何にも掴んでなくて良かった。もし電話でも持っていようものなら鍋の〆になっていた。

俺は忘れていた。彼女が営業の中でも優秀な新人であることを。営業に大切なのはトークスキル、あと…相手の思考を読む力だとか諸々。彼女は相手の思考を読む力が武器なんだなよく分かったやめて欲しかった。こんなところでこんな奴相手に使わないでくれ。そんな俺の脳内で、ススキ畑は変わりなくそよいでいる。その揺れを見つめながらススキの花言葉には「心が通じる」なんてあったなとか思い出して、俺はもう一度、告白には似合わない植物を引っ提げて彼女の目を見た。

「ススキ」 白米おこめ

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