脳裏を虫が這いずり回っている。
通った足跡が極彩色に色付く。
なめくじ。バッタ。蜘蛛。
かんじ、片仮名、ヒラガナ。
混ざる。色が混ざる。目の中に色が。移る、移る。
サインポールの目。ロイコクロリディウムの温床。
走る。脳裏に走る。
「脳裏」 白米おこめ
意味がないことなんて、この世に存在するのだろうか。
ありきたりで欠伸が出るような始まりだが、
本心からそう思うので仕方ない。
たっぷりと余韻を持ったのちに、涙目で読んでくれ。
人の脳は記憶をする。
永久に覚えているとは言えないが、それなりに。
私は、脳自体には全ての記憶がどこかにあると思っている。
自分が思い出せないだけで、
捨てない限り、物は何処かに存在しているはずである。
見えないのは、それを置いた場所を忘れるからであって。
物自体が失くなっている訳ではないと、そういう理屈だ。
大事なのは、物を置いた場所を思い返す“きっかけ”である。
その物自体を忘れてしまっても、何かの拍子に、
ふと思い出せるきっかけ。
卒業アルバムで思い出す友達の手紙とか。
窓から見える雪で思い出すスノードームとか。
そういうもの。
それは物であったり、光景であったりするが、
全てにおいてその根底にあるものは“記憶”だ。
全ての記憶が、他の記憶を忘れないための助けになる。
古い記憶が、新しい記憶を覚える為の道標になる。
これはわたしの自論。
全てのことに意味があると思っている。
全てのことは、何処かで何かの足掛かりになるはずだと。
あなたはどうだろう。
意味がないと思うことがあれば、教えて欲しい。
その事自体が、わたしにとって意味があるから。
「意味がないこと」 白米おこめ
こんばんは。
では、さようなら。
「あなたとわたし」 白米おこめ
霧のような小雨だ。
傘を差す労力>雨を身体で受ける、の。
方程式が成り立った。
閉じた傘を持ったまま軒下を抜ける。
雨の感触はまるで、夏に嬉しい道端のミストのようだ。
生憎今は夏ではないのだが。
歩行者用信号が点滅したのが見えたため、足を止める。
道ゆく人々は傘を差しているので、
横着をしているのは俺だけらしい。
丁寧な暮らしをしている人が随分多いようだ。
「今帰り?」
振り返ると丁寧な暮らしがいた。間違えた。同期がいた。
部署は違うが、丁度帰りの時間が一緒だったようだ。
俺の隣に並んだ彼女は、よいしょ、と傘を閉じた。あ。
「悪い、まだ雨降ってる」
俺が閉じてたから勘違いしたんだろう。雨が柔らか過ぎて、傘にぶつかる音が聞こえないせいもあるだろうけど。それにしたって戦犯は俺でしかない。
「知ってるよ」
ばさばさ、と無遠慮に傘の水滴を飛ばしながら彼女はなんて事ないように呟く。おい、スラックスに飛んでんだけど。俺一応スーツなんだけど。まぁ元から濡れてるしいいのか……じゃなくて。知ってるって言ったか?こいつ。
「駅までいっしょに濡れて帰ろうよ」
にこ、と。一瞬目が合った彼女はあまりの衝撃に動けなくなっている俺を置いてまた傘を見ている。仕上げとばかりにとんとん、と傘の先端で地面で叩いて水を落とす。俺が呆けているうちについにマジックテープがくっつけられ、傘は完全に役目を終えてしまった。俺の脳と同じように。
青になったよ、なんて微笑まないでほしい。いっそのこと俺が傘を差そうか。しかし彼女が差さなければそれはただの相合傘でしかなく、つまるところ詰んでいる。チェックメイトだ。今まで気にならなかったはずの雨が、揶揄うように俺の頬に当たった。
『柔らかい雨』 白米おこめ
大海原を進んでいる。
どこを見ても、どこまで行っても、曇天だ。
どんよりしている訳でもなく、太陽が透けた嫌に眩しい雲。
マストの日陰に逃げて、方向感覚が狂わないよう舵を握る。
船が揺れる。海賊船のような木造で、
そのくせただ平凡な自分が乗っているだけの船。
形ばかり立派で、中身はない。
縄が軋む音が聞こえる。まだ錨は降ろせない。
自分が何処辿り着くのかなど見当がつかない。
なにせ地図がないのだから。
昔は持っていた気がする。夢見る宝の地図を。
一体、何処で失くし、諦めたのか。
騒めく波に持っていかれぬよう、
舵を一方向へと取り続ける。
地図がなくとも、自分の道が分からなくとも。
ただ真っ直ぐ、ひたすらに進み続ければ。
きっといつか、どこかの海の片隅で、
光芒がかかる場所へと辿り着けるはずだから。
だから、まだ錨は降ろさない。
「一筋の光」 白米おこめ