そのビニール傘は、道端に棄てられたまま
ずっとそこにいた。
自分は役目を終えたのだと、降りしきる雨も、風も、
からりと乾いた太陽の光でさえも
文句ひとつ言わずに、甘んじて受け入れていた。
ただ、そんな傘も、このときばかりは
自分の折れた腕がどうにか元に戻らないかと苦悩した。
ダンボールの子猫が、心の無い誰かに捨て置かれて数分。
鈍色の空が瞼を落としはじめ、重暗い空気が漂う。
…これは、あと少しで雨が降り出すだろう。
いつでも空を見上げていた傘の、長年の勘だった。
ダンボールの子猫は、訳もわからずただ鳴いている。
どことなく自分に似た状況に、勝手ながら心配が募った。
無機物の自分と違い、向こうには生命があるのだ。
誰かに見つけられなくとも生きている。
ひとりでも、生きている。
そして、誰に知られずとも死んでゆけるのだ。
ただぼおっと緩やかに終わりを待つ自分とは違って。
何とか駆け寄ろうと風を拾い集めても、
折れた骨ではまともに受け止められず、
自分の手はただただ音を出してはためくだけだった。
せめて風除けにはなろうと、地面を爪先で削り耐える。
ぱたぱた、と自分の体で雨音が鳴り始めた。
…その中でひとつ、じゃり、と音がした。
人の足音だ。
リズムよく地面を踏むその音を、傘はよく覚えていた。
目の前のその人は、黒いしっかりとした傘を差している。
自分とは違うものだ。使い捨ての自分とは違う愛される傘。
がたり、と音がした。
子猫が幼い指先でカリカリと壁をひっかいている。
ふと、子猫に影がかかり、子猫は不思議そうにまた鳴いた。
傘は驚いた。
持っていた黒い傘を子猫に立てかけ、
代わりに打ち捨てられた自分を拾い上げたその手に。
まだ使えるな、なんて下から聞こえてきたものだから、
傘は少し泣きそうになってしまった。
子猫にも、自分にも、まだ死ぬなと言われているようで。
無機物のくせして、生命あるものと平等に考えられることが嬉しいなんて、図々しいにも程がある。
傘は、久しぶりに受けた小さな雨粒を拾い集めて、
大事に目の淵から落として、泣いた。
子猫の傘となったこの人の、
優しいその背を守るものになれるのなら。
腕が折れていようとも、再び道に打ち捨てられようとも。
私は傘であることを誇りに思って、
ただ、雨を受ける。
「子猫」(「傘」) 白米おこめ
11/15/2024, 2:28:36 PM