霧のような小雨だ。
傘を差す労力>雨を身体で受ける、の。
方程式が成り立った。
閉じた傘を持ったまま軒下を抜ける。
雨の感触はまるで、夏に嬉しい道端のミストのようだ。
生憎今は夏ではないのだが。
歩行者用信号が点滅したのが見えたため、足を止める。
道ゆく人々は傘を差しているので、
横着をしているのは俺だけらしい。
丁寧な暮らしをしている人が随分多いようだ。
「今帰り?」
振り返ると丁寧な暮らしがいた。間違えた。同期がいた。
部署は違うが、丁度帰りの時間が一緒だったようだ。
俺の隣に並んだ彼女は、よいしょ、と傘を閉じた。あ。
「悪い、まだ雨降ってる」
俺が閉じてたから勘違いしたんだろう。雨が柔らか過ぎて、傘にぶつかる音が聞こえないせいもあるだろうけど。それにしたって戦犯は俺でしかない。
「知ってるよ」
ばさばさ、と無遠慮に傘の水滴を飛ばしながら彼女はなんて事ないように呟く。おい、スラックスに飛んでんだけど。俺一応スーツなんだけど。まぁ元から濡れてるしいいのか……じゃなくて。知ってるって言ったか?こいつ。
「駅までいっしょに濡れて帰ろうよ」
にこ、と。一瞬目が合った彼女はあまりの衝撃に動けなくなっている俺を置いてまた傘を見ている。仕上げとばかりにとんとん、と傘の先端で地面で叩いて水を落とす。俺が呆けているうちについにマジックテープがくっつけられ、傘は完全に役目を終えてしまった。俺の脳と同じように。
青になったよ、なんて微笑まないでほしい。いっそのこと俺が傘を差そうか。しかし彼女が差さなければそれはただの相合傘でしかなく、つまるところ詰んでいる。チェックメイトだ。今まで気にならなかったはずの雨が、揶揄うように俺の頬に当たった。
『柔らかい雨』 白米おこめ
大海原を進んでいる。
どこを見ても、どこまで行っても、曇天だ。
どんよりしている訳でもなく、太陽が透けた嫌に眩しい雲。
マストの日陰に逃げて、方向感覚が狂わないよう舵を握る。
船が揺れる。海賊船のような木造で、
そのくせただ平凡な自分が乗っているだけの船。
形ばかり立派で、中身はない。
縄が軋む音が聞こえる。まだ錨は降ろせない。
自分が何処辿り着くのかなど見当がつかない。
なにせ地図がないのだから。
昔は持っていた気がする。夢見る宝の地図を。
一体、何処で失くし、諦めたのか。
騒めく波に持っていかれぬよう、
舵を一方向へと取り続ける。
地図がなくとも、自分の道が分からなくとも。
ただ真っ直ぐ、ひたすらに進み続ければ。
きっといつか、どこかの海の片隅で、
光芒がかかる場所へと辿り着けるはずだから。
だから、まだ錨は降ろさない。
「一筋の光」 白米おこめ
例えば、学校から帰る時。
傘を差さなくてもいいくらいの、細かな雨が降っていて。
どうしようかなあと思って、薄灰色の雲を見つめる時。
屋根から差し出した手に、雨がぽつりと当たった時。
例えば、仕事の休憩時間。
誰も居ない休憩室で、静かに携帯を眺めている時。
ペットボトルの結露で指先が湿る時。
食べ終わった後のビニール袋が、ゴミ箱の中に見える時。
…あなたの、例えばの中に。
私の書いた文章が、入ればいいなと願っている。
「哀愁を誘う」 白米おこめ
鏡の中の自分を見ると、これが今こうやって
考えているのだなあと思う。
今、この文字を読んでいること。
スマホを持っている手が視界にあること。
一人称視点だ。ずっと。産まれてからずっと。
鏡を見ると思う。
私は“私の世界”の主人公だと。当たり前ながら、改めて。
周りの人のことを考えて、というのも分かるけど、
主人公なのだから、
その他のことはただのイベントでしかないのかも、と
思うこともある。
鏡を触る。勿論、鏡と私の間で指先が触れ合う。
指先がじわじわと冷たくなる。
触れている部分に、体温が移る。
そうやって混ざり合って、体温が等しくなって。
それでも、私が動くから鏡の中の私が動くのであって。
どうやっても、この世界の主人公からは逃げられないのだ。
向こうの私が、鏡の中から逃げられないのと同じように。
「鏡の中の自分」 白米おこめ
眠りにつく前に、ひとりぽつり。
明日は貴方の誕生日だなあと思いついて。
誕生日を祝われる貴方のことを考えて、
周りの人に恵まれた貴方に、
邪険にしつつも嬉しそうな貴方の顔に、
勝手に心を綻ばせ。
そこに私がいないことに、勝手に心を痛ませて。
人間って本当に身勝手なのね、と思ってみたり。
ここにはいないひとを想って泣くなんて、私達だけかしら。
貴方達にとっての幽霊は私なのね。
貴方達から見れば、私が幽霊側なのね。
いいよ。
私が老いて死んだのならば、
火葬場で骨をひとつ盗んでくださいな。
その骨を薄く伸ばして、栞にでも加工して、
キャラクター紹介ページに挟んでもらうから。
……そうやって、貴方の誕生日が来るたびに。
永遠の眠りにつく前に、
貴方と逢える方法を探している。
「眠りにつく前に」 白米おこめ
伊武くん誕生日おめでとう