ルクリアの束

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4/4/2024, 12:54:03 PM

それでいい

 目を覚ますとそこは異世界で、知らない神様がロッキングチェアに腰掛けてパイプを燻らせていた。
「お前にはこの中から好きなものを選ばせてやる」
 神様がそう言って指を鳴らすと、真っ白くてだだっ広い空間の中に突如として『万物』が現れた。
 ちなみに、万物というのは万物のことである。それ以上でも以下でもない。
 俺はその中から真っ先に『それ』を取った。神様は顔をしかめて「それでいいのか?」と問うた。
「これでいい」
「本当にそれでいいのか?」
 これでいいと再び答えると、神様は空間を埋め尽くす巨大な肝臓に姿を変え、俺はチェーンソーを構えて微笑む不気味な男たちに取り囲まれていた。
「もう一度聞こう」と、神様が吠えた。
「お前は、本当に、それで、いいのか?」
 俺は震える手で「やっぱりこっちにします」と『それ』の偽物のほうを取った。神様は満足げに唸った。
「それでいい」

 目を覚ますとそこは現実世界で、俺は冷蔵庫に冷やしてあるノンアルコールビールのことを思い出した。

4/3/2024, 1:50:05 PM

1つだけ

 心優しい天使Aはしばしば地上に舞い降りて、だれかの願いごとを1つだけ叶えてあげていました。

 あるとき、不幸な青年が言いました。
 どうか、この世界を終わらせてほしい、と。
 天使Aは彼に銃口を向けて引き金を引きました。天使Aは青年のことが好きだったので、悲しくなりました。

 あるとき、疲れた地球が言いました。
 そろそろこんな世界は終わらせてくれ、と。
 天使Aは大きめの小惑星を手配して地球にぶつけました。天使Aは地球のことが好きだったので、悲しくなりました。

 あるとき、鬱病の天使Aは別の天使Bに言いました。
 もう、この世界を終わらせてほしいんだ、と。
 天使Bは天使Aをタイムマシンに押し込んで、10^N年先の未来に送りました。きっと、その頃には天使たちもこの宇宙と一緒に滅びていることでしょう。
 それから、天使Bはイッツ・ア・スモールワールドを口ずさみながら天空を周回していましたが、しばらくすると涙があふれて声が詰まって歌えなくなってしまいました。それは天使Aが好きだった歌でした。

10/23/2023, 4:53:33 PM


どこまでも続く青い空

 ある秋の昼下がり、私はおよそ十年間暮らした家を出た。鍵は閉めない。いや、鍵はもともと持っていないのだった。私は何も持っていない。
 足の裏が地面に触れると、その感触の生々しさに一瞬怯んだが、私は慎重にゆっくりと歩み出した。大地が身体を支えてくれることの安心感。頬を緩めて、歩調を徐々に早めていく。いつしか私は駆け出していた。
 前方から乾いた風が吹いている。見上げると雲のない澄み切った青空がある。背後から私を引き戻して閉じ込めようとする人は、もういない。
 
 私は今、海の見える町に住んでいる。

8/9/2023, 3:49:32 PM

上手くいかなくたっていい

 夜の街に雨が降っている。電話ボックスの窓を水滴が絶え間なく伝っている。僕は震える手で受話器を握りしめている。
「もしもし……俺だけど」
 こんな時間にどうしたのよ、と君が言う。話すのは久々だから、こんな状況でもつい頬が緩んでしまう。
「やっと見つけたんだよ。あいつ……」
 だから何? どうするつもりなの? と君が言う。きっと心配そうに怒った顔をしている。
「上手くいかなくたっていい。それをやることに意味があるんだ。君のためじゃない。これは俺が、」
 お願い待って、と君が言う前に僕は受話器から手を離して外に出た。ポケットにしまったナイフの感触を指でなぞって。今から、僕は、君を弔うために。
 ——外されたままの受話器からは、雨の音が聞こえる。

8/8/2023, 1:10:30 PM

蝶よ花よ

 ワルシャワでそのコンサートに行くことになったのは全くの偶然だった。
 友人に急な用事が入ってしまい、自分の代わりに行ってくれとチケットを渡されたのだ。「君も小さい頃ピアノを習ってたって言ってたでしょ?」「ほんの少しだけよ」
 赤いドレスを着た少女が整然とした拍手とともに壇上に現れた。ピアノの前に腰掛け、白い指先を鍵盤に添える。ふっと柔らかに微笑むと同時に、弾き始めたのはショパンのワルツ。
 難度の高い曲でありながら技巧を感じさせない軽やかな演奏を聴きながら、楽しげな異国の少女に私は一瞬だけかつての自分の姿を重ねてしまい、苦笑いして首を横に振るのだった。

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