この苦しみが終わる前に、忘れる前に大事なこと書き留めておこう。気持ちはその日の体調とか気分で180度変わるので、今のこの気持ち大事だと思ったので忘れないように。
まず、前の失敗は繰り返さない、他人に言われたことは一旦素直に聞いてみる、些細なことでも言ってみる相談してみる、辛くなったら相談する、コミュニティに参加してみる、続けてみる、失敗してもいいので続ける、大きな決断ほど総合的に物事をみて
判断する、外に出る、友達を大事にする、合わないと思ったらすぐにやめる、親には伝える
暖かい夏でよかった。外に出て汗もかいて太陽が長い時間照らしてくれるそんな季節で。
#夏
そう、あれはちょうど社会人になる前の最後の夏休み。書類面接が一向に通らなかった私は面接というフェーズまでも行けなかったが、夏休み明け間近にやっとこさ内定をもらってこの会社で頑張るんだって思っていた。
転職をする。理由はいろいろだが、ざっくり疲れたから。
面接、面接、面接、、、面接の日々、こんなに辛いとは、、、企業に媚びてはダメと意識しはするがこの日々から抜け出させてほしい一心で思っていもいないことを言ってしまったり、頑張って笑ってみたり、なんて惨めなんだぁぁ。(誰かの)名言曰くこの辛い日々が何かの糧になっているらしい。
ま、業界の研究だと思って、お話ししてるだけだと思って、気楽にやろう。終わったらたくさん酒を飲んでおつまみ食べて、全部忘れて寝よう。
面接後一人で振り替えると(趣味の話で盛り上がったと思った場面でも)、あの面接官の笑顔の裏にはこんな皮肉が込められていたのではないかとか、あの質問の意図は実はこれを聞きたかったのではないかとか、いろいろ気付きや反省があって、その度に『あー、この会社も落ちたな』という気持ちになる。
転職をしていて、仕事は自分が本当に好きなことをした方がいいと本当にそう思う。みんな本気でやっている仕事、その職場に仕事片手間人間を入れたくないと思うのは普通で、そういう人は排除されるべきなのだ。毎朝流行をチェックして自分もそれに置いていかれないようにアップデートしていかねばならない、それが苦にならない仕事。
知っているか、休みの日は趣味として仕事に関連する書籍を読み、実際にものを作ってみたり、情報を外部にアウトプットしたりせねばならない。資格取得は当たり前で、会社は、取れば取るほどお金が入るという仕組みでとにかく社員のモチベーションをあげようとする。
現代を生き残るには甘ったるい考えでは生きていけないことを突きつけられた。恐ろしい世界だ。
だが知っているか、一歩外に出ればいくらでも残業がない世界がある、いくらでものんびり過ごせる場所がある。それなのになぜ私はわざわざこの地に残ろうとするのか。また転職するつもりなのだろうか。これから先ずっと競争社会の社畜として生きていくのだろうか。私は楽しめているのか。次の会社では、もっと楽しいと思える仕事を探すための目標をもって頑張ってみてはどうか。そうすれば自ずと周りの人はみな私の目標を応援してくれる味方となり、私も除外されるべき人間として振る舞うことに罪悪感がなくなるかもしれない。
社会から排除されるべき者の考えることは時としてその社会の敵となる。これは外部に漏らしてはいけない。ひたすらに自分の中に押し止め最後の最後に裏切るその卑怯さが今日の社会を生き抜くために必要な力なのだから。
転職というのはきっと多くの人にとって人生において数回しか訪れないイベントでその時に決心したこと、反省したことというのは入社後すぐに忘れ去られる(会社ぬくぬくだ!)。今自分の中に芽生えた貴重な緊張感を大事にしていかねばならない。忘れた頃にここを見返そう。いつまでも会社ぬくぬくしませんように。
#願い事
子供の頃は動物が好きで獣医さんになるって言ってた。今している仕事とひどくかけ離れている。まぁ、子供の頃の夢とはそんなものなのか。
気持ちの変化があった瞬間をすごく覚えているんだ。あれは親戚のおじさんが言っていたことだが、獣医は牛のお尻から腕を突っ込んで体温を計るとか、ナイフでお腹を切って手術をするとか、麻酔を打ったはずの虎が獣医を襲った事件があるとか、そういう類いの現実的な話だった。実際仕事としては確かに綺麗なものではなかったり、身体に危険を及ぼすものだったりして、動物が好きってだけでは勤まらない仕事なのかもしれない。でも今考えると、それで獣医を諦めるとはとても無知なままの決断だったんだなとも思う。
中学生くらいから獣医という夢はだんだん薄れていき、ずっと続けていた英会話の関係で何となく海外に憧れを抱くようになった。
それから10年以上の時がたち、私は晴れて7月から無職になる。今まで続けていたシステムエンジニアの仕事を辞めたわけだが、またシステムエンジニアとして働こうと絶賛就活中である。
多くの転職者は就業しながら転職活動をするらしいのだが、私の場合はそんな器用なことはできないし、まして残業しながら転職なんぞ心身の健康が保たれないということで先に辞めることを決意したわけである。
しかし、今考えるとやはり就業中の就活が良かったと思う。なにしろ収入がなくなるのはシンプルに焦る。
この後悔と焦りでごちゃごちゃした気持ちになり、夜もろくに眠れないので、気持ちを整理しようと書き始めたわけである。
さて、つまり、私は焦っているのであるが、今は前に進むのみ。良かった点ももちろんあるさ。1.優柔不断な私が就業中には叶わないスピード感で就活できるということ。2.スキルを上げようというモチベーションが高まること。
まず、就業中だと何も焦らずとも収入があるため、就活という面倒な活動はわざわざ起こしたくないと思うんだ。その状態でどうして就活をしようというモチベーションになるのかというと、それは、たまにある上司からの理不尽な発言や、定時に帰れないというストレスの積み重ねである。それらによる身体的・精神的疲労は一時的なものであるのだが、実は将来を見据えた際にそれは大きな不安となり私の就活モチベを一時的に上げることがある。しかし、同職場で自分のやりたいことができていて、一時的な転職願望があるという程度であれば、向上心がない私にとっては、なかなかそこから踏み出すということが難しかった。
また、転職をして自分をPRするために自分を奮い立たせていると向上心がわいてくるんだ。これは過去に今の会社に入社する際にも感じたものと同じだと思う。忘れていた向上心を思い出させてくれる転職は素晴らしいと思う。そしてそれにはある程度ストレスが必要だったりする。
もし同じ時間軸で就業中の私がいたとして、そいつはきっと就活を始めたかもしれないが、思うような会社に出会えず面倒くさくなっていると思う。そして結局今の会社が一番いいのかもしれないという錯覚に陥り、そのままずるずると仕事を続けているだろう。
今の生き方に妥協して満足してはいけない。人生において無駄なことなんてひとつもないというじゃないか。無職の時間も、苦しい時間も、恥ずかしい時間も、すごく価値があるもので、むしろ時は金なり、時間とお金の一番いい使い方ができているってことだろう。味方はたくさんいる。ありがとう退職を承認してくれた上司、ありがとう転職エージェント、ありがとうハローワークと思って、不安がなくなるまで準備して、たくさん頑張ろうじゃないか。
でも、今回のやり方でひとつ心に決めたことがある。大事なことほど衝動でひとりで決めないこと。誰でもいいから相談すること。これ本当に大事なことだ。
子供の頃の私は現実がこんなに辛いなんて考えもせず、ただただ動物が好き、英語が綺麗って思ってたのにね。でもそれが美しい。それを今でも追いかけている自分がいるとしたら、今ごろ私になんて助言してくれるんだろう。
#子供の頃の夢
眠れないので、何か書くことにする。
友達の奥さんが妊娠した。それを知ったのは1月に彼らの結婚式が行われた時だった。6月に生まれてくる予定とのことだった。今思い出した。
私の周りには27年間異性とのお付き合いを経験したことがないという者もいれば、マッチングアプリを始めた者やマッチングアプリ歴3年のベテランもいる。現在彼氏持ちの私はその中でも比較的結婚に関して言えば有望な方。しかしこの余裕とは裏腹に、独りを謳歌している友人を見ると、彼のために今まで一人では絶対にしてこなかったゲームに時間とお金を費やしている自分は何か貴重なものを犠牲にしているのではという気もするのである。
私たちの体内では「老い」という現象が日々着々と起こっている。これはある日ふと気づくもので、その老いた部分が気になり始めると突然不安で頭の中がいっぱいになって、ネットで整形手術が可能かを調べたり、同じ年代の人たちの体を観察して自分と比較したりし始める。そんな時によく、私はもうこの地に留まっても良い歳なのではないかと考え始める。夢などというものは現実を目の当たりにする度に変化し、忘れ去られる。まるで過去が改竄されたかのように今の生活に満足し始めるのだ。毎日の残業と話を聞く耳をもたない上司のいる会社で働く私は端から見ると社会主義企業に洗脳されたかわいそうな社畜なのかもしれない。
最近はコミュニティ離脱を勧める宣伝をよく見る。その時期なのかもしれないな。。
テーマを完全無視して書いていた。
もしも君が、君だよ、これを読んでくれている君(KIMI☆)。「君」がいるなら私は少しだけだが喜んでいる。
#もしも君が
その人はくるくるくると回転し、着地した場所は電車の中だったんだ。目が離せなかったんだけど、それはバク転にではなく、その人の口もとがすごく綺麗だったからなんだ。私の好みの口もとだった。そしてどうしてか、私は彼女の優雅な振る舞いと私に浴びせる見下すような視線を懐かしく感じて書き留めておかねばと文字を綴っている。
その電車は人が少なかった。それにしてもバク転をしながら乗車するなんてと驚いている乗客もいただろう。どうやってあの狭い扉の中に複雑な動きをしながら入っていったのか、私も見ていたはずなのに思い出せない。でもそんなことはどうでもよかった。ただあの唇が寝起きの私の隣で静かにその柔らかさを魅せてくれている朝を想像していた。
ふと顔を上げるともう彼女が乗った電車は出発していて(というかずっと前に出発していた)、1つ後の電車に乗った私は目の前で携帯をいじっているおばさんを見下ろしていた。おばさんは携帯をいじっているけど実はバク転をしながら電車に乗る人だったらどうしようと考えるとなんだか退屈な日常にたくさん可能性があるような気がしてきた。今日は私の頭に1本の白髪を見つけたんだけどそんなこともどうでもよくなってきた。
#春爛漫