【お題:鋭い眼差し】
目は心の窓
というが 眼光は
その人となりを
包み隠さず 映し出す
目が印象的な人を
つらつら考えると
岡本太郎、オノ・ヨーコ
そして ピース・又吉直樹が
養成所で
先輩から眼力くん
と呼ばれたという
エピソードを思い出した
しかし改めて
3人を思い浮かべると
決して鋭い目つきは
していない
鋭い眼差し
という表現がぴったりだ
この違いは何だろうか
と考える
鋭い目つきは
一瞬の閃光に似ている
怒りや集中など
感情や状態の表れだ
一方
鋭い眼差しには
意志を感じる
長い時間と
葛藤を乗り越えてきた
覚悟の表れだろうか
40歳を過ぎたら
自分の顔に責任を持て
という
自分が年齢を重ねるごとに
また
いろんな人と接するごとに
この言葉を
真実だと実感する
【 お題:子供のように】
社会に出てみると
学校での勉強も
大事ではあったが
休み時間や放課後に
子供同士で
経験したことは
何物にも代えがたい
とつくづく思う
吉田戦車の「まんが親」で
彼の娘さんが子供同士で
遊んでいた時のこと
年上の女の子から
「そんなこと言うと、
ハブられるよっ」
と注意を受ける
その様子に
母・伊藤理佐が
「アブられるって…」(←だったか?)
と目の幅大に 涙を流し
そこに
父・吉田戦車が
「ハブられる、な。」
と妻にツッコむ話があった
子供はストレートに
自分の本音を
出すことが多いが
それはまた
自分本位な
発言や行動をしようものなら
周りの子ども達からも
まるごとの本音で糾弾される
ということでもある
コミュニティーの中の自分、
というものを 皆それぞれ
自分の体で覚えていくのだ
社会に出ると
よほどの間柄でなければ
子供のように
こちらの
行動や発言のマズさについて
誰も指摘などしてくれない
状況によっては 相手が
黙って去っていくことも
あるだろうし
支障がない程度の
浅い付き合いへと
移行されることも
あるだろう
人はいつだって
人間関係に悩むものだが
子供の頃から
現在においても
失敗して 痛い目を見て
周りとの丁度いい距離を
自分なりにつかんでいくのが
人付きあいの
一番のコツかもしれない
【お題:カーテン】
かなり昔、
民放のテレビ番組で
自分の部屋に閉じこもって
20年以上 という男性の
ドキュメンタリーが
放送された
話題になった番組なので
覚えてらっしゃる方も
多いかもしれない
印象的だったのは
長い撮影期間の中で
スタッフと
男性の間に
信頼関係が結ばれていき
男性が 番組終盤、
スタッフの 目の前で
20年以上
閉めきっていた部屋の
カーテン、窓 を開け放ち
外の光を入れたシーンだ
暗い青色だった空気が
一気に陽射しを受け
部屋に透明度が増す様子を
カメラが見事に
とらえていた
そして
同じく印象的だったのが
もう1つの出来事
大ファンだという、
ミュージシャンのライブに
男性が出掛けるのだが
そのライブ後、
男性とそのミュージシャンが
ライブハウス内で
話す様子が映し出された
男性が
実は自分は長いこと
外と関わりを持たず
部屋に閉じこもっていたのだ
と話すと
彼女は
自分も 同じく
閉じ込もっていた時期がある
と話したのだ
それを聞いて私は
2人の偶然に驚きながらも
彼女の作る曲、声の中に
男性は
彼女が体験し
通過してきたものを
感じとった部分も
あるのかもしれない
と思った
もしかしたら
ただの偶然かもしれない
それでも
曲だろうと 絵だろうと
人が ああ、いいな
と感じるものは
作り出す人と
受けとる人の間に
感応しあう何かが そこに
あるのではないかと思う
それから
何年後になるだろうか
72時間 という番組の
エンディング曲が
とても素敵だったので
歌手の名を
番組エンドロールで
目を皿にして 探した
そこに記された名前に
見覚えがある気がして
ドキッとした
あわてて いま見た名前と
思いつく限りの
キーワードをいれ 検索した
まさに
男性が大ファンの
あの ミュージシャンだった
時間を越えて
ようやく彼女の歌を
私も聴くことができた
男性の番組で見た、
彼女の温かい人柄と
凛とした様子を
思い出しながら
世の中には こんな
時を経た出会い
もあるのだと 思った
【お題:ココロオドル】
昔、誰かに
読んでもらった絵本や
教科書に
載っていた話など
タイトルや作者は
思い出せなくても
大人になった今も
忘れられず
記憶に残っている絵や
ストーリーが
あるのではないだろうか
昔、幼稚園の先生が
読んでくれた絵本があった
登場人物は
猫の男の子、
人間のおばあさん の2人
猫の男の子は
おばあさんの誕生日、
ケーキを飾るローソクを
買いに 出かける
しかし、そこは 小さな子供
買ったローソクを
無事に持ち帰ることができず
この世の終わりとばかりに
大粒の涙をこぼし
顔をクシャクシャにして
泣き悲しむ
そこで おばあさん
無事だった、
ローソク数本を
ケーキに飾り付け
その数本ぶんを
自分の年齢にして
お祝いをする
そう、
誕生日を迎えて
おばあさんと 男の子は
同じ年頃の 2人になったのだ
釣りをしよう、と誘う
男の子に対し
おばあさんは
年齢を理由に
断ろうとするが
自分が
おばあさんでなく
子供であることを思い出す
小川を飛び越えよう
と、誘ってくる男の子に
おばあさんは やはり
断ろうとして
子供であることを思い出し
男の子と一緒に
心を踊らせ 遊び、楽しむのだ
もう何十年も前に
読んでもらった絵本なのに
このストーリーと、
独特な絵
特に
猫の男の子 の泣き顔と
ローソクの様子は
ただの
子供向けの絵ではない、
これでもかと
目に焼き付けられるような
子供だからって
媚びないわよ
とでも言いたげな
作者の迫力のような
あらがえない吸引力、
強烈なインパクトを
私に残したのだった
やがて、私は大人になり
100万回生きた猫
という絵本を読み
そこで
佐野洋子という名前を知った
彼女のエッセイを
面白いなあ
と思って、たくさん読んだ
そのうち、彼女が
自分と実母のことを
書いた本が出版された
まだ世の中に
毒親という言葉が
広く知られる前だったと思う
その本のレビューに
「佐野さんの作品には
どこか 藤子不二雄Aのような
怖さがあると感じていたが
この本でお母様のことを知り、
なんとなく合点がいった」
と評している人がいて、
そのレビューと
彼女の家族環境、感性に
このうえないほど共感した
猫の男の子と
おばあさんの絵本が
彼女の作品だったと
知ったのは
大人になってからだったので
幼い子供すら
取っ捕まる、
誤魔化し なしの
凄味と魅力を思い返し
そうだったのか…
恐るべし 佐野洋子
と、
おかしいやら、うれしいやら
なんだか 心踊るような気分であった
【お題:過ぎた日を想う】
人は死を迎えるとき
人生の出来事を
走馬燈のように
一瞬のうちに見るという
現代的にいえば
ショート動画
といったところだろうか
私がその動画を見るとき
叶わなかった希望は
残念ながら
沢山あるだろうが
もっとも 恐れるのは
別のところに ある気がする
人生は
当初 自分では
予定しなかった方向へ
激流に 飲まれるかのように
押しやられることがある
映画
ゴッドファーザーシリーズの
マイケルもそうだ
そして彼の場合
周りの状況に加え
彼自身の資質もまた、
本人の望む道を許さず
彼を離さないようにも見える
感覚 機転 決断力 実行力
そして相反するが
情の深さと冷酷さ など
彼が持ち合わせている、
ありとあらゆるものは
マフィアのドンである
父の後を継ぐことが
決まっているかのような
呪縛めいたものを感じさせる
しかし
どんな経緯があるにせよ
人が取る行動とは重い、
ということなのだろう
行動の結果は
巡りめぐって
他ならぬ 自分自身が
引き受けることになる
映画
「ゴッドファーザー 」
「ゴッドファーザー Ⅲ」
で描かれた、
父 ヴィトー
そして
息子 マイケル
それぞれの
臨終を迎える場面は
2つのシーン、
両者の人生を
まるで
お互いに照らし出すかのようだ
彼らの人生は
それぞれの
時代というタイミングや
ファミリー内の状況があり
比べることはできないが
死の間際
彼らが見る心象風景は
あまりに違いすぎるのだ