初恋はレモンの味。
どこの誰がそんなことを言ったのだろう。
爽やかで甘酸っぱくて、吹き抜ける初夏の風のような憧れを抱かせる。ずるい謳い文句。
私は知っている。その甘さは"普通"の人だけが知れる味だ。
「先輩と付き合うことになったんだ」
私の初恋は、親友のそんな言葉でもってはじまる前に終わってしまった。
親友だから一番最初に伝えたくて。
その言葉が嬉しくて。はにかんだその笑顔が無性に愛しくて。それが自分のものにならないことが、悲しくて、悔しくて。
そうして気付いた。私の初恋。
彼女は大親友で。どこに行くにも、何もするにも一緒だった。なんでも話せた。なんだって聞いた。彼女のためならどんなことでもしてあげたい。そう思っていた。
私たちはずっと一緒にいるんだと、疑いもせずに思っていた。
その想いは"普通"とは少しだけずれていた。
「おめでとう」
言葉と笑顔を取り繕ったけど、うまくできていたかはわからない。
少しずつ、離れていく距離。過ごすはずだった時間が、違う誰かに奪われて過ぎ去っていく。
彼女が私と"同じ"だったら。きっと今も、そこにいたのは私だったはずなのに。
苦い、苦い記憶。
その味は今も少しも変わらない。
一枚の招待状。二人は結婚するらしい。
もしも、彼女が振られたら。そしたら私の元に帰ってくる。抱きしめて、慰めて。今度こそずっと一緒にいたい。
そんな身勝手な期待は叶うことがないまま。煤けた想いは吐き出すことのないまま。
"普通"から逸脱した私は、レモンの甘さを知らぬまま。
苦味にずっと囚われて。想いをずっと秘めている。
【初恋の日】
突然告げられたタイムリミット。
なんと明日の朝には世界が滅びるらしい。
そんなこと言われても、正直困る。焦りとか悲しみとかより、浮かんできたのはそんな感情だった。
別段情熱を注いできたことはないし、将来の夢とかもないけれど。いつかそんなものに出会えたら素敵だなー、なんて漠然と思っていたから。
そんな「いつか」への希望も持てなくなってしまうのか。そう思うとやるせ無くて。身体から力が抜けていく。
どうして良いかわからないから、とりあえずごろり。ベッドに寝そべって天井を見上げる。
見慣れたこの景色とも、もうすぐお別れなのか。急に実感。途端に寂しくなってきた。
同時に後悔。
今日だって何もなく、ただ普通にだらだら過ごして終わってしまった。読もうと思った漫画も読んでないし。部屋の掃除もしていない。最後だって知っていたら、もう少しちゃんとした一日を過ごせたはずだ。そうだ、LINEの返信、返してなかったんだった。
とりあえず返信しよう。そう思ってスマホを起動して、……指が止まる。何を返しても、どうせ世界は終わってしまうし意味がないんじゃ。ああでも、今までありがとうくらい送った方がいいかな。でもでも、そんなことしたら、逆にしんみりして、悲しくなってきちゃうかな……。迷って結局、放り投げてしまった。
最後だというのに返信ひとつ返せない。
情けないを通り越して、なんだか笑えてきてしまう。
だめだよ。神様。世界の終わりをこんなに突然宣告するのは。
後悔なく生きるって簡単じゃない。今日の後悔を改める。そのために明日があるんだから。
せめて、あともう少しだけ時間ください。
明日ならきっと、もう少しマシな最後を迎えられると思うから。
【明日世界がなくなるとしたら、何を願おう。】
心臓が高鳴る。胸がいっぱいってこういうことか。心の真ん中が風船みたいにぶわっと膨らんで、君のことしか考えられない。
いつのまにか目で追っていて。何をしてても、寝ても覚めても。今君は何をしてるだろう。そんな想像ばかり。
食べたご飯とか、聴いてる音楽とか。君は何が好きなのかなとか、おんなじだったら良いなとか。
何気ないことに、ただただ過ごしていた日常に、君という存在が増していく。
君と出逢ってからの私は、どこかおかしい。
どんどんどんどん膨らんでいく感情が、私の形を変えていく。
これは恋。気付いている。
春の陽気に誘われた花のような、それを全て攫っていく嵐のような。甘くて、恐ろしい、小さな狂気。
【君と出逢ってから、私は…】
この空の向こうにはかつて大きな都市があったらしい。
何百年も昔、まだわたしたちに羽根が生えていた頃。人々はそこで暮らし、さまざまな生活を送っていたという。
空と大地を自由に行き来して、鳥たちと歌い遊ぶ。太陽は今よりずっと近くにあって、時折優しい歌声が聴こえてきたという。
小さい頃、おばあちゃんがそんな話をしていたと、寝転がって空を見て、流れる雲を眺めていたら思い出した。
その話が本当かどうか、今となってはわからない。今を生きるわたしには、羽根なんて生えていないから。鳥の羽ばたきを見送ることしかできないし、太陽の歌なんて聴こえない。
でも。目を閉じて、空想する。もしも羽根が生えていて、空を自由に飛べたのなら。青い空を駆けて、あの雲と同じ高さで世界を眺めることができたなら。心は躍る。それはきっと素敵なことだ。
瞳を開く。真っ青なキャンバスに、飛行機雲が線を描く。手を伸ばす。遠くの空を、わたしはここから見上げることしかできない。それがなんだか寂しくて。
今もまだ空に遊ぶ、鳥たちを羨ましく思うのは。
遥かの太陽に、こんなにも恋焦がれるのは。
かつてわたし達が空にあった証拠なのかもしれない。
もう一度、空を舞う。
瞳を閉じて、私はそんな夢をみる。
【大地に寝転び雲が流れる…目を閉じると浮かんできたのはどんなお話?】
「ありがとう」
そう伝えたい人のことを考えて、作文を書いてね。
学校で出された宿題。どうしようかな。帰り道、ずっと考えていた。
お母さん、お父さん。
すぐに思い浮かんだけれど、伝えるのはなんだか照れ臭い。
お姉ちゃん。
優しいけれど、貸した漫画をなかなか返してくれないから。お礼を言うのはその後で。
友達のまきちゃん。
昨日のお手紙で、いつもありがとうって伝えたばかり。
いろいろ考えるけど。ちっともぜんぜん決まらない。
決められないまま家に着いちゃって。ランドセルを放り投げた。重たい荷物がなくなって、身体がすうっと軽くなる。
ごろりと床に転がった傷だらけのランドセル。真っ赤な色が気に入らなくて、まきちゃんの水色が羨ましくって、壊れれば新しいのを買ってもらえる。そう思って乱暴に扱ってきた。
でも、ランドセルはとっても頑丈。どれだけぱんぱんにものを詰めても、思いっきり放り投げてもちっとも平気。ぜんぜん壊れてくれないから、4年生になった時、新しい色は諦めた。
もうすぐ私は6年生。あと1年とちょっとで、このランドセルともお別れだ。
よく見ると、端の方はぼろぼろになってきていて、少しずつ皮が剥がれてきてしまっている。
真っ赤な色をじっと見つめる。
あと1年。長いようできっと、あっという間だ。重たくて、可愛くなくて、やっぱり好きではないけれど。離れてしまうのはなんだか寂しい。
乱雑に転がったままのランドセルを持ち上げて、少しだけ丁寧に机の上に置き直す。
よし、決めた。ありがとうの相手。人じゃないけど、まあいいか。
6年間を一緒に頑張る、なんにも喋らない、無愛想なお友達。
いつもありがとう。
あともう少し、よろしくね。
【「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった】