『冬になったら』
ずっと、覚えてる。
あの無垢な表情を。
ずっと、覚えてる。
あの温もりを。
息は白く
指先は悴む
繋いだ手は冷たく
積もった雪に足をとられる
毎年、冬になったら、思い出す。
分厚い手袋を はめて
肩甲骨まで伸びた髪をなびかせ
宝石のような瞳の上の睫毛は 粉雪で白く
寒さ故に 柔らかなその頬を赤く染め
やさしい笑顔で駆け寄る貴女
そんな貴女はもういない。
今はまるで冬のような、貴女。
いつになったら、春が訪れるのかしら
『紅茶の香り』
鼻先に感じる、心地よい香り。
揺れるカーテンの隙間から入る暖かな日差し。
ゆったりと腰を掛け、右手にはティーカップを、
左手には分厚い本を。
昼下がり。
庭のマリーゴールドは鮮やかに色づき、
マスカットのような風味のダージリン。
スッと鼻に抜ける爽やかな口当たり。
紅茶の香りとともに、左手は忙しく頁を送る。
ふと、隙間から窓の外を見る。
もうこんなに時間が経っていたとは。
おやつの時間ですよと部屋の戸を叩く音がした。
『踊りませんか?』
紺藍の夜空に、
浮いた月。
天頂で、白く、淡く。
ルージュ・ドゥ・サンのドレスに身を包み、
耳の上のあたりで結われた髪に、
刺された薔薇の髪飾り。
ノワール・ドゥ・シャルボンの背広に身を包み、
目の元まで下ろした髪に、
すらりと伸びた下半身。
まるで、今日の主役は彼女らなのだと、
言わんばかりに。
そう、物語る。
白手袋に包まれた手を、紳士に差し出し、
長手袋に包まれた手を、そっと置く。
踊りませんか?
そう誘ったように、
今宵は深く、長く。
耳から拾う音に、ひらりと。
明けない夜に、舞うように。
もう、今宵の主役は彼女らなのだと、
言わんばかりに。
『奇跡をもう一度』
私は目を閉じた。
その刹那。
唇に、
柔らかいそれに、そっと触れられた。
私は目を見開いた。
その刹那。
唇に、
その上に、その中に、
あたたかいそれに、口は、占拠された。
はじめての感覚。
私の頭は正しい判断をしてくれない。
また、
また、
その奇跡を、もう一度。
その奇跡を、軌跡として。
もう一度。
『たそがれ』
完全に日が沈む前の、
少しだけ、
太陽が斜めから強く光るとき、
黄昏時だと、教えてもらった。
なんだか、身体が重くて、
なんだか、帰るのが、寂しいような、
そんな時間。
橙色の光は、私の目や肌を刺す。
手を繋いで、少し上を見上げてみて、
にっこり笑うのを見て、私も笑う。
逆光で、あまり見えなかったけれど。
それでも、儚い記憶。
もう数十年も前のこと。
いわゆる父親という存在。
私の中に残る、唯一の、記憶。
だからいつもこの時間になると、思い出す。
たそがれ、の、記憶。
たそがれ どき の、
私の中で、永遠に生き続けて。
たそがれて。