答えは、まだ
田舎の実家の裏山に見事なヤマハギの木があって、毎年花が咲く頃に祖父を訪ねて来る人がいた。
薄紫の着物を着た綺麗な女性で、なぜか決して門より中に入ろうとせず、祖父が出て来るまで表で待っている。
「まだでしょうか?」
「まだです」
それだけの会話を交わすと、女性は黙って帰ってゆく。
その後祖父は少し沈んだ様子になる。
そんな光景が、僕に物心ついてから実家を出る少し前まで続いた。
最後に見た女性はとてもやつれていて、「まだでしょうか?」の声も消え入りそうにか細かった。
「まだです、すみません」
祖父の答えもどこか悲哀を帯びていた。
そしてその年の冬、ヤマハギの木が枯れた。
祖父は裏山で長い間手を合わせ、初めて僕に事情を話してくれた。
まだ少年の頃、萩の化身と出会って求愛され、それからずっと返事を待たせてきたのだと言う。
「たおやかに見えても怪しだからな……他に逃げる方法を思いつかなかったが、可哀想なことをしたかもしれん」
祖父はぽつりとそう言った。
空白
何も書かれていない、美しい装丁の本を持っている。
子供のころ輸入雑貨店で見つけて、どうしても欲しくてお年玉で買ったものだ。
いつかこの雪のようにまっ白いページに海のような青いインクの万年筆で、詩やお話や感じたことを書こうと思った。
私だけの本!
あれから数十年、もったいなくて何にも書けないまま背表紙は日焼けしてしまった。
でも空白のページを開けば、何度も何度も空想で綴った私の歴史が閉じ込められている。
今も時々手に取って何を書こうか思案するけれど、もはやこのままで良い気もする。
ひとりきり
クラス替えってどういう基準で決められていたのだろう。
今は児童が少ないから、一学年に一クラスで持ち上がりというのも少なくなさそうだが、私の時代は五クラスくらいあった。
不思議なのは、なぜか三人グループの友達と、学年が代われば二人は同じクラス、私だけが別のクラスになる。
小学校でも中学校でも、それも一度や二度ではない。
五人グループだった時は、二人と二人が同じクラスで私は一人。
高校入学でも、同じ中学から来た子はクラスに一人もいなかった。
どうして?と泣きそうになりつつ、出来るだけ平気な顔をして教室の端に座った。
また一から頑張って、頑張って話しかけて、何とか居場所を作らなければならないのだ。
大人しくて人見知りだったから、知り合いがいると新しく友だちを作らないと思われたのだろうか?
それとも存在感が薄くて、最後の方の数合わせになったんだろうか、
何となく後者のような気がする、先生に関心を持たれない子供だったし。
Red,Green,Blue
同僚には3人の彼氏がいる。
それぞれ名前をもじって、赤、緑、青と呼んでいて
「昨日赤さんからお誘いがあったんだけど、青くんと約束してて」
という感じで話す。
そういうお付き合いに共感出来ない私は、「へー、ふーん、そう」と聞き流していたのだが、暫くして彼女は全員と別れてしまった。
「別れて友達になった、連絡はとってる」
とのことなので、そういうものかと思っていた。
そのうち彼女は百田さんという人と付き合い出した。
同時に碓田さんという新入社員の女性に急接近し始め、しきりに連絡先の交換を持ち掛けている。
碓田さんは仕事とプライベートを分けたい人らしく、なかなか教えてもらえないと彼女は私にこぼした。
「レアなのよ、うすだいだいは!」
どういう意味?と聞き返すと、ウスダ=うすだいだい色、モモタ=桃色、とかいうことなのらしい。
「あと少しで12色揃うのに……」
彼女はLINEの友達リストを開けながら悔しそうに言う。
ちなみに私の名字は村崎だ。
きっとリストには“紫”と書かれているに違いない。
フィルター
脳梗塞で入院した父が一年ぶりに帰ってきたとき、その変化に驚いた。
確かに父ではあるのだが、粗いフィルターでろ過した後のような感じがしたのだ。
父の精神を構成している細かい部分を除去し、残った大きな資質だけで再構築しました!という表現がしっくりくる。
どういう脳のカラクリなのか、子供のように単純な人になってしまった。
家族は“父のような人”というスタンスで受け入れ、やがて慣れた。