#落ちてゆく
長ーい上り坂を一生懸命登っていたつもりだったのに、いつの間に下り坂になっていたんだろう?
ピークって、いつ過ぎたっけ?
山登りの話ではなく、人生のことである。
高校時代の友人たちと、久しぶりにランチをした。
なかなか全員顔を揃えるのは難しくて、実に十年ぶりだ。
前に会った時は四十代、終わりかけた子育てのことや、仕事のこと、美容の話で盛り上がったが、今回は違った。
“人生の黄昏時”に差し掛かったことを、皆ひしひしと感じていて、話題は衰えた体力と能力、思わしくない体調、老後の不安ばかりである。
あんなに若かったのに、青春を過ごしていたのに、坂道を転がり落ちるように、私たちは知らぬ間に老いている。
愚痴とも自虐ともつかず、苦笑混じりで話していたら、隣の席に四人組の高齢女性が座った。
ハイキング帰りのようなカジュアルな服装だが、全員かなりの高齢である。
彼女たちは注文したカレーをもりもりと食べ、その会話がこちらのテーブルまで届いた。
「生きてるって、楽しいわねぇ!」
私たちはハッと顔を見合わせて、黙り込んだ。
#キャンドル
街のあちこちで見かける、秋のキャンドル。
公園で、ご近所の庭で、郵便局の入口で。
全力で走ったのに間に合わなかったバスの、停留所のベンチにへなへなと腰を下ろしたら、傍に咲いた真っ赤なケイトウが、炎を揺らして笑っていた。
#たくさんの想い出
バーのカウンターで隣り合ったのは、異国風の奇妙な男だった。
その夜の私は鬱屈した想いを抱えていて、一人苦いグラスを重ねていた。
「一杯ご馳走してくれませんか?代わりに良いものを差し上げましょう」
男がそう話し掛けてきて、キャンディのたくさん入った小瓶を置いた。
「何です?これは」
「想い出玉ですよ、美しい想い出が味わえるんです」
「他人の想い出なんか、味わったってしょうがないでしょう」
私は鼻を鳴らした。
自分の人生に疑問を感じている今、誰かの美しい記憶など、知りたくもない。
「いやいや、人じゃありません。私は鳥の研究をしてましてね。鳥の想い出というのは中々面白くて、あなたの憂鬱に効くかもしれない」
バカバカしいと思いながら、私は男に酒を奢ってやった。
その後のことはあまり覚えておらず、気づいたのは服のまま、自分のベッドで目覚めた時だ。
ポケットからあの小瓶が出てきたが、どう見てもただのキャンディなので、私は口中の苦さを解消しようと、一粒つまんで舌にのせた。
ふいに潮風が体を吹き抜け、視界一杯に眩い空と海が広がった。
私の憂いがちっぽけに思えるほど、その感覚は広く高く雄大で、新天地へと向かう自負で、胸がはち切れそうになる。
ああこれは、海を渡るカモメの想いなのだ、と分かった。
#秋風
山の麓の小道に、色鮮やかな落ち葉が散らばっている。
大きくて真っ赤な一枚を、ふと取り上げて裏を見たら、小枝で引っ掻いたような字で
“どんぐり300コおねがいします”
と書いてある。
もう一枚拾ってみると、それには
“ミナミのクニへ引っこします。春までさようなら”。
他にも“冬みんのおしらせ”やら“しんせんな栗あります”やら、どれも手紙のようだ。
どうやら秋風の郵便屋さんが、鞄をひっくり返してしまったらしい。
#また会いましょう
初めて行ったスーパーの入口で、懐かしい人にバッタリ会った。
立ち話で大いに盛り上がり、またきっと会いましょうねと、名残惜しく別れた。
ぐるっと回って買い物をし、レジに並ぶと列のすぐ前に、別れたばかりの彼女の姿が。
早すぎる再会は、何だか気まずい。