風鈴の音
南部鉄器の風鈴が、狂ったように鳴っている。
独居の伯父が緊急入院した日のまま、軒下の雨風に煽られて。
聞く人のいなくなった風鈴の音は、風の悲鳴のよう。
お爺ちゃんが帰って来ない!
びしょ濡れで叫ぶ風鈴をそっと抱き下ろして連れて帰る。
おいで、私の所へ一緒においで。
拭き清めて新しい短冊を付けてあげる。
悲しまないでまた涼やかに歌って。
そして皆で、お盆を待ちましょう。
心だけ、逃避行
暑い。
こんな日は鱧の湯引きが食べたいな、ガラスのお皿に涼しげに盛って、酢味噌を添えて。
焼き茄子も良いな、冷たくした翡翠色の茄子にたっぷり生姜を乗せて。
それから茗荷を混ぜた胡瓜もみ。大葉を散らした冷奴。
どれが食べたい?と夫と息子に聞くと、即答でいや肉!肉!肉!
肉焼くだけでいいからね!野菜とか混ぜなくていいから、ガッツリ!
28センチのフライパンを取り出しながら、私の心はじわじわと、無への逃避行を始める。
冒険
幸せにしますとか大切にしますとか、一生守りますとか。
どんな言葉にも頷いてくれない手強いジュリエットに、やけくそで言ってみた。
「じゃあ、一緒に人生を冒険しよう」
彼女は満面の笑みで、月夜のバルコニーから飛び降りてきた。
届いて……
訳あって犬を引き取ることになった。
もう成犬で、人慣れしていなくてすぐに歯を剥く。
何かしたら噛むわよ…と言わんばかりの嫌われようだ。
仕方がないのであまり近寄らず、ただただ好意を送ることにした。
日に何度も「可愛いね」「賢いね」「お利口さんだね」「大好き」と笑顔で褒めちぎっていたら、なんと一月くらいで撫でさせてくれるようになった。
そうだよね、人間だって褒められて悪い気はしないもの。
好意が届くと素直に嬉しいもの。
犬は今、私の足にくっついて寝ています。可愛い。
あの日の景色
高野山の奥の院の辺りに、“姿見の井戸”と呼ばれる井戸がある。
覗き込んで自分の姿が映らないと、三年以内に死ぬのだそうだ。
曇り空のあの日、あの人と軽い気持ちで中を覗いた。
井戸は想像よりもずっと狭く深く暗く、水面が落ち葉に覆われてよく見えない。
ざわざわと木立が騒ぎ、どこかで鳥が甲高く鳴いた。
言い伝えをそのまま信じるわけではないけれど、何だか急に不安になった。
「ちゃんと映ってるよ、二人とも」
そう言って、ぎゅっと肩を抱いてくれたあの人が、世界で一番好きだった。