無人島に行くならば
彼女は無人島暮らしだ。
と言っても、サバイバル生活なんかではない。
最新設備を備えた安全かつ快適な住居、本土まで十数分で連れて行ってくれるモーターボート。
仕事は全部リモートで、必需品はネット注文すれば、翌日にはドローンが届けてくれる。
賢くて愛情深い二頭の大型犬と、整備済みの美しい海岸線を毎朝散歩するのが彼女の日課で、気が向くと自らモーターボートを駆って本土の街までやって来る。
街では恋人や友人と愉快に過ごし、けれどどんなに親しい相手でも、彼女は決して島へ招かない。
みんな興味津々で招待を乞うが
「ダメ、島は私の隠れ家だから」
と笑って断られてしまうから、私たちは想像するしかない。
街明かりのない島で、夜には星が降るのだろう。
緩い波の音と一緒に、人魚の歌が聞こえるのだろう。
海の向こうから真っ先に、朝陽が会いに来るのだろう。
そして何にも邪魔されず、ゆったり自分だけの時間を過ごす。
……いいなあ、そんな無人島暮らし!
コーヒーが冷めないうちに
朝、夫を送り出してコーヒーを淹れる。
熱々を少し冷ましている間に、奥歯をカチッと噛んで加速装置起動。
瞬時に家事を済ませたら、ほどよく冷めたコーヒーを飲み、暇にまかせて世界征服の計画を立てる。
パラレルワールド
夕食の後、洗い物をしていたら息子が「親父は?」と聞いてきた。
「和室でしょ」
「もう行ったの?じゃ俺も」
息子は急ぎ足で廊下へ出て行き、ピシャンと障子が閉まる音がする。
私は洗い物を済ませると、エプロンを外しながら娘の部屋のドアを叩いて「そろそろ和室に行くよ」
と声をかけた。
うたた寝していたらしい娘は、のろのろと顔を出し「めんどくさ……」とぼやきながらも素直についてきた。
週末は一家で和室に集う、そう人に言うと「仲良しねぇ」と驚かれるが、うちは決して仲の良い家族ではない。
夫とは最低限の会話しかないし、子供たちも好き勝手している。
私は廊下の奥にある、和室の障子を静かに開けた。
六畳間の床には、畳の代わりに夜空のような闇が渦巻いていて、その先はパラレルワールドだ。
こちらの生活は仮の姿、向こうの世界で私たちは腕利きのハンター一家として名を馳せている。
サバイバルを生き抜くには、仲が良かろうが悪かろうが、家族一丸となるしかないのだ。
「行くよ、ママ」「うん」
娘が先に渦へと飛び込み、私もすぐ後に続いた。
もしも世界が終わるなら
月の桂に腰かけて、地球が燃えるのを見ている。
私の知る、千年前とは比べ物にならない酷い戦があったのか。
天変地異の果てなのか。
兎はしょんぼり耳を垂れ、桂男は斧を下ろして沈黙している。
彼の地の人々が夜毎に見上げ、尊び慈しんで語ってくれた私たちの物語。
夢見る人がいなくなれば、この世界も消えるでしょう。
月はまた空っぽの、荒れた天体になるでしょう。
靴紐
ある日突然、足の裏が痛む病になった。
靴が好きだったのに、ヒールや硬い革靴が全部ダメで、五分と歩けなくなってしまった。
インソールを工夫したり医者にも行ってみたけれど、もう治らないらしい。
履けるのは軽量のスニーカーだけ、シューズボックスを泣く泣く整理したら、やっとすっぱり諦めがついた。
朝、スニーカーに足を突っ込みひらりと外へ出る。
靴紐は最初から緩め。面倒でいちいちほどいたり結んだりしない。
靴が変わると服が変わり、お出かけ先が変わり、生活スタイルが変わった。
緩くて軽い第二章だ。