なぜ泣くの?と聞かれたから
趣味の神社仏閣巡りの途中で迷子になった。
日も暮れたし人気もないし……と焦っていると、柴垣根のそばで泣いている女の子に出会った。
「どうしたの?何を泣いているの?」
「雀の子をイヌキが逃がしてしまったの。伏篭に閉じ込めてあったのに。おばさん、雀になってくれる?」
おや……これは源氏物語?
これでも文学少女崩れなので「若紫」の有名な一場面くらいは知っている。
ごっこ遊びだと思った私は苦笑した。
「小さいのに良く知ってるね、でも暗いからもう帰った方がいいよ。一人?お母さんは?」
「イヌキがあそこにいる。私に叱られて離れてるの」
指につられてそちらを向くと、“犬君”と称されたそれは、血の色の目を邪悪に光らせ、狼の形をした黒く蠢く何かだった。
私は悲鳴を上げ、その場を離れて駆け出した。
背中を子供の金切り声が追ってくる。
「なぜ泣くのと聞かれたから答えたのに!なぜ泣くのと聞かれたから答えてあげたのに!なぜ泣くのと聞かれたから雀にしてあげるのに!」。
足音
私の彼は猫のように足音を立てない。
そしてそれは、彼の家族も同じだということを今日知った。
紹介されたお父さんお姉さん弟さんは、彼そっくりのアーモンド型の瞳に薄茶色の猫っ毛、みんな家の中を音もなく歩く。
これってどういうこと?もしや彼って本当は猫?
ううん、そんな想像はあんまり馬鹿げてる。
もっと現実的に……そう、ご両親の出身地は確か忍者で有名な所。
お仕事はコンサルか何かで、でも深夜に出掛けることも多いと言ってた。
もしかして彼の一家は忍者の末裔?だからあんなに足音を忍ばせて歩くの?
『……どっちもハズレ』
彼の心の声である。
真相は昔住んでいたマンションの床が薄く、足音云々で下階の住民とトラブルになったから。
家族全員静かに歩くのが癖になり、それが引っ越した後も今も続いている。
しかし、思ったことが全部顔に出てしまう想像力豊かな彼女を、彼はこよなく愛しているので、ずっと微笑ましく見つめている。
終わらない夏
夏生まれなんです。
だから毎年夏が終わると、ああまた一つ歳取った……と意気消沈します。
夏の筒姫がにやにやしながら
「どうする?もうちょっと夏、続ける?」
と毎年聞いてきて、私は暑いの苦手だし
「いやいや!結構」
ときっぱりお断りしてたけど、年々決意は鈍りがち。
とうとう今年、じゃあもうちょっとだけ……と言ってしまったので、残暑厳しいかもです、ごめんなさい。
君が見た景色
とある場所へ、行った行ってないで彼女と軽く言い合いになった。
忘れっぽい俺に焦れて「ああもう!」と、彼女はおでことおでこをくっ付けてくる。
テレパスだから、そうすると頭の中の映像を相手に伝えることが出来るのだ。
「ほらここ、行ったでしょ?」
「あっ、ここか。行った行った!」
映像が頭に流れ込んできたとたん思い出した。
知る人ぞ知る夕陽の綺麗な隠れスポット、確かに数年前に行ったっけ。
それにしても記憶の景色に映り込んでいた俺、ちょっとカッコ良すぎな気がする。
俺のことをあんな風に彼女が見てるんだとしたら…えっと、ものすごく嬉しい。
言葉にならないもの
うんと小さい頃、親戚に連れられて芝居を見に行ったことがある。
笑えるお芝居だよ!と言われていたのに、びっくりするほど悲しい話だった。
幼かったので詳しい内容は分からない。
ただ、いつもバカにされている心の優しい主人公が、人助けで何もかも失くし、でもそれは別の人の手柄になってしまい、皆が幸せになったのに主人公だけ、誤解されたまま寂しく去ってゆく……という理不尽なストーリーだった。
私はショックで泣いた。
たぶん生まれて初めて不条理を知ってやるせない気持ち……と今なら言葉に出来るけれど、当時はとにかく悲しかった。
大人になって調べてみたら、藤山寛美さんという有名な喜劇役者の有名な悲喜劇らしく、確かにすごい迫力だった。