夢じゃない
クリスマスの昼休み、社長が社員全員に10万円を渡して言った。
「何でも好きに使っておいで。
ただし今から、一時間以内。
間に合わなければ返金。
領収書がなくても返金。
足りない分は自腹で払うこと」
数年前、友人の会社であった夢のように羨ましい本当の話である。
焦った友人はとりあえず近くのデパートに駆け込み、ブランドの財布と高級チョコレートと、プラチナのネックレスを買ったそうだ。
「気に入ったものが買えなかった、ちょっと足りなくて自腹になった」
と悔しがっていたが、じゃあ私なら何に遣うかな……と考えると、なかなか良い案が思いつかない。
またね
夢のような美しい里に滞在していた。
里の人は皆親切で温かく、特に子供たちは良く懐いて、私の急な出立を寂しがってくれた。
「またね、きっとすぐ戻ってきてね」
見送る声に大きく手を振って応え、そして……。
あなた!パパ!
耳元で大声がして、はっと目覚めるとそこは病室で、妻と娘が泣いていた。
私は事故に遭い、ずっと意識を失っていたらしい。
もしやあの夢の里は、あの世だったのでは…と、今さらながら愕然とした。
退院が決まり、喜ぶ家族を見るにつけ、一抹の不安が胸をよぎる。
あの時あの別れ際、私は里の子供たちに何と答えたのだろう。
「ああ、またね」
まさかそう言ってしまったのだろうか。
それがどうしても思い出せない。
泡になりたい
事件現場には人の形をした泡の塊が一つ、そして半狂乱になっている恋人らしき男性。
この海の見える展望台で、大勢の人の目の前で、一人の女性が泡になって消えた。
私も目撃者として警察に事情を聞かれた。
……いいえ、特に変わった感じはしませんでした。
途中で男の人が離れて飲み物を持って帰ってくる間も、その人はずっと海を見ていました。
それから急に足下から溶け出して……。
その証言に嘘はない。
ただ泡になる直前、風に乗って彼女の呟きが聞こえたことは、なぜか言えなかった。
「もういいかな」
ごく普通に淡々とした調子で彼女はそう言ったのだ。
その時実は私も、同じことを考えていた。
投げやりでも何でもなく、ただふと酷く疲れた気がして、もうこの辺で十分かな……と思った。
それくらい美しい海だった。
ただいま、夏
「行ってきます!」
ランドセルを背負って家を飛び出した僕は、お母さんの「飛び出しちゃダメよ!」の声を背中に聞いた。
そして通りをやって来た車にはねられた。
9月1日、新学期の朝のことだ。
今年の夏休みは最高だったんだ。
海へ行って、川でキャンプして、新しいゲームソフトを買ってもらって、花火大会にも、映画にも行った。
そして9月、僕が事故に遭うはずの日、起きたらまた夏休みが始まっていた。
「いいのよ」とお母さんは言う。
「何度でも繰り返すの、お母さんがそう願ったんだから」。
今日から夏休み、明日は海、来週はキャンプ。
永遠の夏に、僕はまた帰る。
ぬるい炭酸と無口な君
突然現れた鎧兜の武者に、恐ろしい顔で詰め寄られた。
“貴様、あの娘を真実愛しているか、否か?”
ええと……困ったな。
真実ってその時のその人だけのものですよね。
状況変わったら本人でも分からなくなるし。
でも今僕は彼女が世界一大切で大好きで、それじゃダメですか?
武者はむうと唸り、無言のまま鬼の形相で消えてゆく。
ああびっくりした。
僕はぬるくなった炭酸を一気に飲み干し、冷や汗を拭った。
あの答えで良かったのか悪かったのか、彼女の守護霊はえらく怖そうだ。