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8/4/2025, 11:30:07 PM

ただいま、夏

 「行ってきます!」
ランドセルを背負って家を飛び出した僕は、お母さんの「飛び出しちゃダメよ!」の声を背中に聞いた。
そして通りをやって来た車にはねられた。
 9月1日、新学期の朝のことだ。

 今年の夏休みは最高だったんだ。
海へ行って、川でキャンプして、新しいゲームソフトを買ってもらって、花火大会にも、映画にも行った。
 そして9月、僕が事故に遭うはずの日、起きたらまた夏休みが始まっていた。

 「いいのよ」とお母さんは言う。
「何度でも繰り返すの、お母さんがそう願ったんだから」。
今日から夏休み、明日は海、来週はキャンプ。
 永遠の夏に、僕はまた帰る。

8/3/2025, 1:09:58 PM

ぬるい炭酸と無口な君

 突然現れた鎧兜の武者に、恐ろしい顔で詰め寄られた。
 “貴様、あの娘を真実愛しているか、否か?”

 ええと……困ったな。
真実ってその時のその人だけのものですよね。
状況変わったら本人でも分からなくなるし。
でも今僕は彼女が世界一大切で大好きで、それじゃダメですか?

 武者はむうと唸り、無言のまま鬼の形相で消えてゆく。
 ああびっくりした。
僕はぬるくなった炭酸を一気に飲み干し、冷や汗を拭った。
 あの答えで良かったのか悪かったのか、彼女の守護霊はえらく怖そうだ。

8/3/2025, 1:01:34 AM

波にさらわれた手紙

 お祖母ちゃんが若いころ、月夜の浜辺でセルキーに出会ったの。
二人は深く愛しあったけれど、やがてセルキーは海へ帰って行った。
 お祖母ちゃんは待って待って諦めて、普通に人と結婚して赤ちゃんが生まれた。
それが私のママなの。

……待ってて、手紙を出したりしなかった?

 だって海の底だよ?
どんな手紙も波がさらってしまうわ。

……そうじゃなくて。

 僕は黙り込む。
バッグの中の、大伯父の黄ばんだ日記帳を思う。
この異国の海へ、彼は戻って来るつもりだったはずだ。
あんな事故に遭うとは思ってもいなかったのだ。
 少女と僕は波打ち際で、白いレースのように泡立つ波を眺める。
届かなかった思いも真実もみんな、波が美しく消してゆく。

8/2/2025, 1:28:18 AM

8月、君に会いたい

 “その後変わりありませんか?
近々遊びに来ませんか?
8月中 良ければ1週間以内にどうでしょう?”
 “久しぶりー いいけど何企んでるの?笑”

 あからさま過ぎたか……と、私は返信メッセージを見て笑う。
でも1日も早く、パイナップル好きの彼女に会いたい。
 キッチンには二つの立派な丸ごとパイナップル。
訳あって買いすぎたけど、家族はあまり喜ばなくて、私もそこまで得意じゃなかった。
調べたら冷蔵庫で1週間、カットして冷凍で1ヶ月しかもたないらしい。
 美味しいうちに早く来ませんか。

8/1/2025, 3:31:34 AM

眩しくて

 朝、ギラギラ発光している東の窓へと忍び寄る。
 なんて殺人的な眩しさだろう。
ここは開けないでと言っているのに、私より早起きの夫がまた、うっかり開け放して行ってしまった。

 怖い…日焼けが、シミそばかすが。
意を決してカーテンに飛び付くと、なぜかレールに引っ掛かって閉まらない。
まだ日焼け止めを塗っていない手に、顔に、ジュッと凶暴な陽が焼き付く。
「ギャー」
 この時ばかりは無惨様にちょっと親近感がわく。


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