傘の中の秘密
誰も知らないであろう。
私が朝、雨音に嫌気がさしたこと。
靴が雨水で汚れて憂鬱になったこと。
湿気で髪がうまくまとまらず、ため息をついたこと。
だんだんと近づく職場に嫌悪感を抱いたこと。
今日のタスクを思い出して気が重くなったこと。
上司の顔を思い出して吐き気がしたこと。
今日も今日とて「社会人」の顔をする。
時に良い先輩になったり、時に良い後輩になったり、業務内容以外が忙しい。
社会に揉まれ、早数年が経った。
憧れていた社会人はなれそうにもないな。
輝いていた自分はとうにいなくなっていた。
多分、今の私の顔は死んだ魚の顔よりも酷いであろう。
そんな顔を世に晒すわけにはいなない。
これは傘の中の秘密にしておこう。
雨上がり
雨の日の学校はなんだか不思議な気持ちになる。
本の世界に飛び込んだような、非現実的な趣がある。
私はそれが嫌いじゃなかった。
雨の日だからみんな落ち込み気味かと言われたらそうでもない。
偏頭痛で体調が悪そうな人や、部活がなくなって喜んでる人たちもいる。
湿気でヘアメイクが上手くいかず嘆いてる人もいる。
雨の日だとこんなにも十人十色になるのかと驚嘆したりもする。
席が窓側だと雨音がよく聞こえる。
水溜まりのできたグラウンドに風で揺れる木。
窓から少し風が入り、少し震える。
外が気になり、教師の声が入ってこなかった。
駅まで歩くのに最悪だなんて思っていればあっという間に授業は終わってしまった。
放課後、クラスメイトと一緒に外へ出ると雨はすっかりやんでいた。
これじゃ傘ささなくても大丈夫そうだねと折りたたみ傘はリュックの中に留まった。
先程の天気とは一転し、水色の空が一面に広がった。
コンクリートは色濃くなり、土を含んだ道は少しぬかるんでいた。
水溜まりをジャンプでよけながら帰る日は幼い頃に戻ったような気がした。
何気ないクラスメイトとの帰路も雨上がりになるだけでほんの少し、特別な日になる。
夢を描け
小学校、中学校、高校と誰しもが必ず書かされたであろう「将来の夢」
私は将来の夢を書く時間が苦手だった。
何故、みんながみんな将来の夢があると思っているのか。
小学校低学年ならそれらしい夢を、小学校高学年ならそれらしい夢を、中学校なら少し現実味を帯びた夢を、高校ならさらに具体的な大人びた夢を書いた。
自分の得意不得意、何が好きで、何に没頭できるのか。
それすらも曖昧だった。
あったとしても、長くは続かず、将来に繋がらない。
こんな自分は他の人より劣っているのだろうか。
でも、そこまで気にしてはいないし、将来どうなりたいかなんて今考えたって分かるわけない、と言い訳をした。
なるようになる、なんて都合の良い言葉を座右の銘に。
最近、思うことがある。
夢を持つことは大層素晴らしいことである反面、自分を壊してしまう凶器にもなりえる。
夢に向かって目標を立て、自分を進化させることが出来る。
だが、それに囚われすぎると自分を壊してしまう。
なら、いっその事、夢を持たず成り行きに生きていく方がマシなのではと思ってしまった。
夢という夢を持たなければ生きていけない、なんてことはない。
私は、何事にも囚われず、自由に生きていきたい。
私の夢は、自由に生きること。
届かない...
五年前の今日、貴方の声を聞くことができなくなった。
最後の記憶はたくさんの管に繋がれた貴方の姿と機械音が淡々となり続ける病室。
貴方を親族が囲み、私は端でただただ見つめていた。
簡単に割り切れるようなそんな話ではなくて、かといって声を枯らすまで泣き叫ぶわけでもない。
いなくなるなんてつゆ知らず、これからも貴方といられると思っていた私にはあまりにも酷だった。
不思議と涙が出なかった。
感情が全て失われたかのように思えた。
痛みも悲しみも苦しみも、何も感じない。
ただ、貴方が居ない。
五回忌の今日、例年通りお墓に行き、貴方の好きな胡蝶蘭を置いてきた。
これも五回目か、と少し慣れてしまった自分がいた。
その時、急に涙が溢れ、今までのものが一気に流れ出た。
こんなことに慣れたくなかった。
この五年の間、貴方との思い出はこのお墓参りだけ。
もう一度貴方に会いたい。
もう一度貴方に会って、貴方のいる当たり前の生活に戻りたい。
それももう、届かない。
Sweet Memories
甘いものはどうしても苦手だ。
後味が粘り濃く、しばらくの間、口の中が甘くて仕方がない。
そんな甘いものが苦手な私は、お菓子より特段甘いものに手を出してしまった。
チョコレートより濃厚でケーキより胃もたれするほどのものに。
甘味で高揚を覚えるなど思いもしなかった。
摂取をしたばかりなのにまた求めている。
苦手な後味だって嫌じゃなかった。寧ろ好きだ。
このようなまでに私を彷彿とさせる甘味は一体なんなんだろうか。
私がそれに気づくまで時間はかからなかった。
含んだ時の幸福感と満足感、無くなった時の寂寥感と物足りなさ。
人生に甘味という新しい領域が加わった時、私は受諾せざるを得なかった。
その時私は、貴方という甘味と共に生きていきたいと思った。