忘れものを取りに誰もいないと思っていた教室のドアを勢いよく開けると、そこにはこのクラスの静かな優等生の姿があった。
眼鏡越しのきれいな瞳がこちらを向いた。
「あーごめん。忘れものして…邪魔した?」
がっちり目が合って咄嗟に謝る。
「別に、ちょっと驚いただけで」
そう言って手元のノートに視線を戻す。
「すぐ出てくからさ。そっちは日誌?」
さらさらと整った字を綴っていく彼の側を通り過ぎて自分の席へと移動して話し掛ける。
「日直だから」
ガサゴソと机を探っていると、少し間が空いて目線は下に落としたまま答えが返って来た。
後ろの席からこっそりと彼の背中を盗み見る。
思い返せばこんなにちゃんと話すのは初めてかもしれない。
きちんと切り揃えられた黒髪。
俯く伸びたその首筋のきれいなうなじに目が行く。
知らぬ間に無遠慮に見つめていたのがばれたのか
「なに?」
と振り返らぬまま声を掛けられた。
慌てて目を逸らす。
ばれてないと思うけど後ろめたい。
「何ってなに?」
「…別に」
素っ気なくぽつりと呟かれた。
「あんたはまだ帰らないの?」
「おれはもう少し掛かるから」
聞けば返事は返ってくる。
それはちょっと気分がよかった。
自分でも知らないうちに笑みが浮かんでくる。
目の前の彼に集中している側で水の滴る音がした。
窓の方に目をやるとさっきまで今にも降りそうだった灰色の雲から雨粒が落ちて来ていた。
「うわ…最悪。雨降り出した」
その声に下ばかり向いていたその顔がふと窓に向いた。
その横顔をじっと見つめて話し掛ける。
「なぁ…傘持ってる?」
「持って来てるよ」
「何で持ってんの!?」
「今日は雨の予報って出てたよ」
素っ気なく答えて、またその目は手元へ戻って行った。
話している間にも雨足はますます強くなっていく。
静かな教室に雨の音が響く。
「ねぇ…傘に入れてくんない?」
「まだ掛かるよ」
「待ってるから」
そう言って返事も待たないまま椅子をひいて自分の席に座って腕を枕に寝の体制に入る。
ちらりとこちらを見た気配がしたけど、あえて顔を上げなかった。
それから小さなため息が聞こえて、いいとも駄目とも返事はなかったから自分のいいように解釈した。
ザァザァと窓に雨が打ちつける。
静かな教室のなか、ふたりきり。
そっと腕のなかから顔を上げてその後ろ姿を見た。
手元を見たままこちらを見ない彼の後ろ姿を眺めながら、振り返ってこっちを見てくれたらいいのにと強く願った。
(二人ぼっち)
「この世は不条理なり!!
それでもおのれの信じた道を突き進むだけよ!!」
そう言って彼は豪快に笑った。
それが彼の最期の言葉だった。
それは彼の粛正が決まったその時の。
見事な散り際の一言であった。
周りから見たら彼が道理から外れたように見えたろう。
身勝手に振る舞い傍若無人のように見えたろう。
でも私だけが知っている。
彼が本当は優しいひとなのだと。
この世を正しくしようと奮闘してたこと。
幼い頃から側で共に戦って来たからこそ分かるのだ。
どんなに周りから恐れられようと蔑まれようと彼には譲れない信念があった。
それは時には非道な行為でもあっただろう。
ただ単に好き勝手に振る舞ってるように見えただろう。
だけどそれもこれも全部意味あってのことだったのだ。
誰かがやらねばいけぬ事だったのだ。
それを彼は嫌な顔もせず笑ってそれをやり遂げたのだ。
たとえその結果、粛正されることになってしまったとしても。
彼の真意なんて誰にも伝わらぬまま笑って先に逝ってしまった。
「ほんにこの世は不条理なり」
彼の真似をして誰も居ぬ暗闇にそっと呟く。
「…不条理なり」
(不条理)
おれがオトコだからダメだって言ったじゃないか。
それを今さら「君が気になる」なんて。
そんなの。
ずるいじゃないか。
アンタの前でなんか泣きたくないのに。
「気持ちの整理が出来るまで待っていて」なんて。
そんなの、
まだアンタのこと忘れられないおれに、散々酷いことをして来たアンタが言うなんて。
ずるいじゃないか。
目の前の男に勝手に溢れ出る涙を見られたくなくて必死で目元を押さえた。
こんな状況でも嬉しいと思える自分がいることが滑稽で堪らなかった。
✨(泣かないよ)
「なんでおれとお前が手を繋がないといけない訳??」
前をさくさくと歩く彼は不満を口にした。
暗闇の森のなかふたり仲良く手を繋いで散歩中、なんてことはなく誰が言い出したか肝試しをしようということになって2人1組になった彼と僕。
暗闇が怖いと、お化けが怖いと言って手を繋いで貰ってると言うのが今の現状。
「ほんとお化けは無理なんだって!!」
「だったら参加なんかしなければいいだろう」
文句は言うけどしっかり手を繋いで歩いてくれる彼の優しさが僕は好きだ。
「そうなんだけど君が行くなら僕も行かなきゃって思って」
「何だそれ」
だって僕は君がほんとは怖がりなのを知っている。
そしてそれを隠したいことも。
彼は後ろを振り向かず一心不乱に前を目指してしっかりと僕の手を握って歩いていく。
「絶対に置いていかないでよ。手を離さないでね」
「分かってるってうるさいな」
本当は怖いのに僕のために頑張ってくれる君。
怖さを我慢するように力強く僕の手を握りしめているそれをしっかり握り返して微笑む。
僕はね、別にお化けなんて全然怖くないんだ。
(怖がり)
幾重にも幾重にも降り積もったあの人への想いは。
はらはらと流れるようにこぼれ落ちた。
あの人と一緒にいる時は輝いて見えたそれは、時間が経つにつれ眩しすぎるように思えた。
いまでは純粋に見上げることもしんどくなった。
少しずつ少しずつ受け止められなくなったその想いはおれの中からこぼれ落ちていった。
落ちていったその想いは誰にも気付かれずそのまま消えてしまえばいい。
本当に、消えてなくなれお願いだから。
じゃないと苦しくて立ってられない。
(星が溢れる)