時計の針が下を向く。
空はすっかり黒に染まり、その黒が音を吸収して街は静けさで満ちていた。
誰もいない道、私の足音だけが響いていたのに、
ひとつ、ふたつと、増えていく。
「今日はどんなやつ〜?」
「結構デカめっぽいから、県立の広場か街の裏山の麓位まで誘導してから……って思ってるんだけど、」
「え〜、そんなんせせこましいじゃん。」
「そんなこと言って、前吹っ飛ばされて戸建て潰した奴だーれだ。」
「でもあん時誰も居なかったんだしいーじゃん。」
さっきまであんなに静かだったのに……
気付いたらいつもの調子でおどける聞き慣れた声で溢れる。
「……元気そうね、こりゃ今日の働きに期待しなきゃ。」
「お、任せてよ。お嬢に期待なんかされたら頑張っちゃうし。」
「馬鹿、皮肉だよ。調子がいいんだからほんと……」
「あ。」
誰かの何かに気付いた声。
その声の向く方向へ顔を向けると、
今日の夜の散歩の目的。
空の黒さに負けない、全ての光を吸い込むような大きな闇。
獣の体を無理やり人型に落とし込んだような不穏で、醜悪な、嫌悪感を覚える形。
その大きな体を縮めて誰かの家の窓を覗いている。
「ほら、早く終わらせて帰ろう。明日も学校なんだし。」
「さー!ひと暴れとしますかぁ!!」
「いい?ちゃんと広いとこまで誘導すんだよ?」
空が音を食む夜は私の、私たちの、
誰にも言えない秘密の時間。
窓を眺めていた。
いつもの景色がそこにはあって。
電柱と、空。それだけが見えるここの景色が好きだった。
一人では広すぎるベットに、寝転んでいるのは寂しくなって飛び出して、
ぼーっと空を眺めていて、一人では広すぎるこの部屋はいっそう肌寒くて、寂しくて、冷えた体を抱くように椅子の上で丸くなって、あなたの帰りを待っていたの。
早く帰ってこないかな、独りじゃ広すぎるこの部屋に。
早く帰ってきてよ。
二人には少し、狭い部屋に。
「返事は、すぐじゃなくてもいいから……」
「すぐ……でもいいか、な。」
「わたしもす、きです。……よろしく、お願いします。」
心臓がうるさくて、顔も手も熱くてあつくて、目が溶けそうで、震える膝は頼りなくて座り込んでしまいそうだったから、
バレないように逃げたの。
真黒な少し癖のある、私より少し高い頭。
広いけど華奢な背中。だいすきだった。
私じゃないのは知ってた、付き合うつもりだって伝えるつもりだってなかった。でも好きだった。
好きだったから、この3年間位は、隣で、1番で、居たかったのになぁ。
大人になればこれだって私の青春の1ページになるでしょう。その頃には伝えることができたりするんだろうか。
明日、君はそうでも無いと取り繕ったような嬉しそうな顔で私に「恋人ができた。」と告げるんだろう。
その時、私は笑顔で祝福できるだろうか、いや、しなければいけない。私が隣に居るために。1番じゃなくても、傍に居るために。さよなら私の恋、私には結べなかった愛よ。
今日は帰ろう。帰っていっぱい泣こう。
明日、笑うため、結ばれた2人を祝福する為に。
「昨日さ、彼から告白されてさ。」
「……うん。」
「付き合う……事になっ、た。」
「ふふ、おめでとう!ずっと好きだったもんね。」
「そ!んな、ことも無い、くは無いけど、」
「もー恥ずかしがらないでもいいのにー!」
逃げられない。
小さく震えている力強く握られた拳から、
少し浅い呼吸から、
濡れた瞳から、
その一つ一つが訴えてくる感情から、逃れられない。
「返事は、すぐじゃなくてもいいから……」
固まってしまった私を気遣うように掠れた声で告げた彼は、笑っているのに、今にも泣いてしまいそうな、
思いを吐き出し安居したような、複雑そうな顔をしていた。
彼のそんな顔を見て、私はハッと我に帰り、返す言葉を探す。
そもそもこんなこと初めてで、混乱している。
彼とは新学期始まって、席が隣になった頃から話す機会が増え、趣味の話とか、その日の弁当とか、たわいない話をしているうちに段々仲が深まっていた覚えはある、大いに。
授業中ふと隣を見ると退屈そうに先生の話を聞いている彼の横顔とか、体調不良で休んだ次の日に話しかけてくれた時の心配そうな顔とか、好きなアーティストのニューシングルを手に入れて喜んでいる時の顔とか、いちいちなんだか輝いて見えていた事が次々と思い浮かぶ。
「すぐ……でもいいか、な」
急に話した私の声に少し驚いて小さく跳ねる肩が可愛く思う。顔が強ばっている。それは多分私もだろうけど。
鼓動が跳ね上がる、
続きを吐く為に開けた口が乾く、
呼吸が苦しくなる。
顔が、どんどん熱くなっていく。
「わたしもす、きです……よろしく、お願いします。」
青かったのに一瞬で血が通った顔も、とてもすてきだった。